梅若(うめわか)の涙雨(なみだあめ)その2(全3回)

ポン、昨日の続きだよ。

花御前(はなごぜん)と船頭の会話。

「あぁ、あれは皆で念仏をあげているのですよ。そうさのぉ、あれはちょうど去年の今頃のことさ。人買いがの、都の子供の稚児(ちご)を連れてきての、十(とぉ)をふたつみつ過ぎたくらいの可愛らしい子でよ、たいそう痩せて疲れておった。この船から降りるとなぁ、くずれて立ち上がれなくなってしまったんだ。人買いはな、ちぇ!と言ってどこかへ行っちまった。通りがかりの村の者が稚児の身の上を聞いての。どうやらそのお子は村上天皇に仕えるものの子だそうでな、、、」
「あぁ、それぞ。我が子、梅若(うめわか)ですよ。あちらへ急ぎ連れて行ってくだされ!」
花御前は桜の木の下にうずくまり、村人たちから梅若の話しを聞いた。
「我が死後は、この道の傍ら(かたわら)に埋め、その印に桜の木を植えてはもらえまいか。ここは街道の道筋でもあるゆえ、都への往来もあろう。万一問うものがあれば、この話しをしてもらえませぬか。それはきっと母上でありましょう。」
と息も絶え絶えに申されてな、ひとつ句をお詠み(およみ)になって目を閉じられたのじゃ。「お坊さまにお願いしてな、ここに塚を建てて梅若どのの言われた桜の木を植えたのじゃ。」

塚とはお墓のことをいう。花御前はそれからというもの、来る日も来る日も朝に番に梅若の菩提(ぼだい)を弔って(とむらって)念仏を唱えていたのだ。花御前が鉦鼓(しょうこ)   をたたいて梅若と呼ぶと塚の中から梅若の声がする。梅若の姿が見える。花御前は、「梅若、梅若」と叫び泣くのであった。村人たちは花御前を哀れんで梅若の菩提の横に庵(いおり)を建ててやったのだ。庵とは小さな家のことである。その庵の近くには池があった。都鳥が幾羽も楽し気に群れている。花御前は梅若の和歌を詠み、自分の和歌も声にしながら、池を三べん廻り歩いた。

今日はここまで、続きはまた明日、ポン!

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