鶴姫(つるひめ)と常山城(つねやまじょう)落城 その1(全3回)


今日はね、戦国時代、岡山県にあった常山城落城のお話しだよ。
ポンと昔。備中(びっちゅう)岡山県の瀬戸内海の海を臨むところに児島富士と呼ばれている標高307メートルの小山があってね、そこに常山城はあったのさ。遠い昔は瀬戸内海に浮かぶ吉備(きび)の小島と呼ばれていた小さな島だったんだけれど、室町時代の頃から川から流れて来た土砂が積もっていって陸続きになったんだ。この常山城の城主お殿さまは上野隆徳(うえのたかのり)といったよ。そしてお嫁さまが鶴姫(つるひめ)さ。鶴姫はとっても勇気のあった有名な女性なんだよ。

天正(てんしょう)3年、1575年6月4日、毛利軍(もうりぐん)6500は上野隆徳のこの常山城を攻めてきた。一か月前毛利軍は備中(びっちゅう)松山城を落としてきたばかりで、勢いに乗っていたんだ。備中松山城のお殿さまは三村元親(みむらもとちか)といってね、鶴姫のお兄さんだったんだよ。常山城は小城だ。あっという間に毛利軍にぐるり囲まれてしまった。

6月6日、常山城の大手の木戸は破られてしまった。大手とは正面のことさ。鬨の声(ときのこえ)、鉄砲の音、叫び声、お城の中にいる者たちは、息も出来ずに怯(おび)えていたよ。もちろん隆徳軍もわずかな家来しかいなかったけれど、それでも戦ったのさ。とうとう毛利軍が二の丸を攻めてきた。隆徳も鉄砲で応戦したけれど、落城は目に見えていたよ。そうとも、毛利軍に負けたのさ。隆徳はね、一族の自決を決めたんだ。そうさ、隆徳の家族みんなで死ぬことに決めたのさ。その時さ、隆徳のお嫁さん鶴姫は、すっくと立ちあがると、きりきりと具足(ぐそく)を付けだしたんだ。具足をつけると、その上に経帷子(きょうかたびら)をしるして、ぎゅっと上帯を締めて、白い鉢巻をきりりと頭に結んだ。そして、国平(くにひら)が打たる二尺七寸の太刀(たち)を腰に差すと、白柄のなぎなたを小脇にかかえた。


今日はここまで。
鶴姫たちは、どうなるんだろうね。
読んでくれて、ありがとう。

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