平氏(へいし)にあらざれば人にあらず その1(全3回)
ポン!
それは平安時代の終りころのことで、能登の国(のとのくに)今の石川県のお話です。
今から850年くらいも昔のこと、1159年に平氏(へいし)と源氏げんじ)という武士同士の平治の乱(へいじのらん)という戦いがありました。
平氏のリーダーは平清盛(たいらのきよもり)で、源氏のリーダーは源義朝(みなもとのよしとも)でした。その戦いは平氏の平清盛たちが勝ったのです。ですから、日本で初めて平氏の武士たちが京都に都をおいて国を治めるようになったのです。それまでは天皇や貴族たちが国を治めていましたからね。
平氏の平の人々はそれはそれは贅沢な(ぜいたくな)暮らしをしていました。平氏の人たちは宋の国(今の中国)と貿易をして、たくさんのお金を儲けていましたし、農民たちからはたくさんの年貢を取っていましたから、ごちそうを毎日食べてきれいなお着物を着て、パーティーなどをして贅沢な生活をして遊んでいたのです。
「平氏にあらざれば人にあらず」と平の時忠(ときただ)さまは言っていました。これはとても有名な言葉です。平家の者でない者は人間じゃないと言って威張っていることなのですから。けれども、「おごれる者も久しからず」と言われるように、華やかな平家の時代は20年と少ししか続きませんでした。おごれる者とは威張っている人たちのことで、久しからずとは長くは続かないということです。そんな平家を許さないと立ち上がったのが源氏の武士たちでした。1184年一の谷の戦い、屋島の戦いと次々と源氏たちは平氏軍を倒していきました。とうとう1185年の壇ノ浦の戦い(だんのうらのたたかい)では源氏たちが勝って多くの平氏の者たちが海の中へと消えていったのです。
壇ノ浦の戦いが終わって8ケ月ほど過ぎたある日のことです。人目を忍ぶかのように能登の大谷と馬緤(まつなぎ)の境にある、小さな港、澗(ま)に一艘の船が入ってきました。
今日はここまで、ポン!