信長、秀吉、家康のお餅つき 1回
今日はね、江戸時代に江戸の町の中に書かれていた落書きのお話だよ。
ポンと昔。江戸時代のこと。江戸の町の中にこんな落書きがあったんだってよ。
織田がつき 羽柴(はしば)がこねた 天下餅
ただ楽々と 食うは徳川
この五七五七七の歌は、とっても出来が良くて面白いから、いろんな本の中でも紹介されているんだよ。
織田がつきとは、織田信長(おだのぶなが)のことさ。重たい杵を振り上げて、お餅をついたのが信長のこと。1560年の桶狭間の戦いで、今川義元(いまがわよしもと)を討ち取ってからは領土を広げるために休む間もなく戦いの連続だったからね。お餅をつく時のように大変だった。そのことを言っているんだね。「餅」とは、この武将たちの夢のことさ。夢をかなえるために、考えたり戦ったりしていったんだ。
「羽柴(はしば)がこねて」は、羽柴とは秀吉のこと。豊臣秀吉(とよとみひでよし)となる前は羽柴秀吉という名前だったんだ。織田の家来たちの先輩の丹羽長秀(にわながひで)の「羽」と柴田勝家の「柴」をもらってつけたというよ。本能寺の変で49歳にして明智光秀(あけちみつひで)に殺されてしまった信長の後、秀吉は信長のやり残していったことを続けていったんだ。1590年、最後に小田原の北条氏を打ち倒すと、日本中の武将たちは秀吉の家来になってしまったんだ。それが、「こねた」ってことさ。
下の句の、「ただ楽々と食うは徳川」は、もちろん徳川家康(とくがわいえやす)のことさ。1600年の関ヶ原の戦いで勝つと秀吉がまとめてきた日本中をそのまま手にすることができたよ。それが、「楽々食う」ということだね。
武将たちの夢をお餅に例えたりして、こんな風に世の中の様子を歌にすることを、風刺(ふうし)を効かせた歌といってね、皆が面白がっているんだよ。こんな風な歌はいくつもあるのさ。今だって、こういう風刺を効かせた歌を作っている人たちはいるよ。出来が良いと新聞に載せられたりもしているよね。
風刺を効かせた歌の意味が分かって来るようになると、かっこいいよね。
最後まで読んでくれたありがとう。
それじゃぁ、お休み、ポン!