源義経(みなもとのよしつね)と笹竜胆(ささりんどう)の紋 その1(全3回)
今日はね、栃木県に伝わる源義経(みなもとのよしつね)についてのお話だよ。
800年くらいも前の平安時代も終わりころのことさ。
京都から西側の平家軍と京都から東の源氏軍とで大きな戦いがあったんだ。何度か戦いをしあって源氏軍が勝っていったよ。リーダーは源頼朝(みなもとのよりとも)と言ったよ。そうさ、鎌倉幕府を開いた人だね。
ポンと昔。その源氏軍と平氏軍の戦いではね、1184年の兵庫県で起きた一の谷の合戦や1185年の瀬戸内海の海で戦った壇ノ浦(だんのうら)の合戦では源義経がリーダーだったんだ。25歳の義経は良い作戦を立てて家来たちの先頭に立って平氏軍を倒していったんだよ。この義経はね、源頼朝の兄弟で一番末っ子の弟だった。鎌倉にいるお兄さんの頼朝の命令で義経はね、一生懸命に戦っていったよ。義経がいなかったら、源氏軍は勝てなかったとも言われているくらいなのさ。難しい戦いだったのに義経がリーダーとして鮮やかにかっこよく平氏軍との戦いに勝ったんで、義経の人気はすごかったんだ。京都の町で戦いに勝ったというパレードの時には道に溢れるほどのたくさんの人たちが義経を見に来ていたというよ。義経は朝廷(ちょうてい)からも声を掛けられたり、ご褒美も貰ったりしていたんだ。そんな義経の話しを聞いて、遠く神奈川県の鎌倉にいた頼朝は心配になってしまったんだ。
「もしかしたら、義経がワシをも倒して日本の大将になっていくのではないだろうか。義経を生かしておいてはならぬ。そうだ、義経を捕まえて討ち取ってしまわなくてはならぬ。」
今日はここまで。
読んでくれて、ありがとう。
ポン!