源頼朝(みなもとのよりとも)と木太刀(きだち)の湯 (全1回)
今日はね、平安時代も終わるころ。1192年に鎌倉幕府を開いた源頼朝(みなもとのよりとも)のお話だよ。
ポンと昔々。今から850年くらいも昔のことだよ。1159年に平治の乱(へいじのらん)という大きな戦いがあったんだ。京都から西側の西軍は平清盛(たいらのきよもり)で、京都から東側の東軍は源義朝(みなもとのよしとも)がそれぞれリーダーだった。戦いは平清盛、西軍が勝って、源義朝は負けてしまったのさ。頼朝は義朝の子供だったから
ね、本当は戦いに負けてしまった源頼朝の子供だったから、殺されてしまうところだった。けれど、運が良かった。伊豆のの蛭ケ小島(ひるがこじま)に流されることとなって助かったんだ。それは14歳の時のことだったよ。そこで20年くらいも過ごすことになるんだ。
頼朝はね、その伊豆で結構楽しく暮らしていたんだ。念仏を唱えたり、勉強したり、狩りにもよく行ったりしていたんだ。しかもね、頼朝のことを見張っていた北条時政(ほうじょうときまさ)の娘の北条政子(ほうじょうまさこ)さんという人とね、二人は恋に落ちちゃったりもするんだよ。このお話はまた後でね。
さて、その日も頼朝は天城連山の北の方に狩りに出かけて行ったんだ。そこでころんでしまって膝に大けがをしてしまった。歩くこともままならないほどの大きなひどい傷だったんだ。木の枝に縋り(すがり)ながら供の者たちと近くの川まで下りていった。傷口を洗わなければならなかったからね。やっと川に着くとその膝の傷をよくよく洗っていたんだ。
「なんと、この川岸は暖かくはなかろうか」
川から上がって来た頼朝は、すがっていた枝でごつごつと川岸の地面を叩いてみたんだ。するとどうだろう。こぼこぼと温かいお湯が沸き出てきたんだよ。
「おお、おお」
歓声を上げて供の者たちとそのあたりを掘ってみると、みるみるとお湯が沸きだしてくる。頼朝はお湯の温かさが気持ちよくて、また膝をあらってみた。
それから数日後、傷口はみるみる良くなって、あっという間にその傷口はふさがったんだ。
「これは妙なり。あれこそは怪我を治す薬湯(くすりゆ)なり」
喜んで頼朝はこう言ったよ。
それからというもの、頼朝が木の枝でお湯を出したというので、{木太刀の湯}(きだちのゆ)と呼ばれるようになって怪我やできものに苦しんでいる人たちがやってくるようになったんだ。今でもそこにはささやかな湯殿があるんだというよ。
おしまい。