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上月城(こうづきじょう)落城と山中鹿介(しかのすけ) (その5 全5回)

ところがさ、大砲を奪われた輝元軍の方は悔しいよ。今度は反対に上月城内に切り込んでくるとその大砲を谷底へと落として行ってしまったんだ。

こんな戦いをしている間にも上月城内には食べ物もお水も無くなって行ってしまったんだ。そうさ、兵糧攻ひょうろうぜめにあっていたんだ。上月城の城兵たちはお腹がぺこぺこでのども乾ききっていたんだよ。食べる物がなんにも無くなってしまったんだもの。とうとう鹿介たち尼子軍は降伏してしまったんだ。

尼子氏のリーダーの尼子勝久、神西元通じんざいもとみちたちはね、お腹を斬って行ったんだよ。切腹したんだ。城兵たちは皆、捕虜ほりょになって行ったんだよ。お城の中をキレイにおそうじしてね、毛利軍に明け渡して行ったんだ。

上月城の捕虜となった城兵たちは皆備中松山城びっちゅうまつやまじょうへと送られて行ったんだよ。途中、川を小舟で渡って行ったよ。鹿介が最後の小舟だったよ。見方が渡っている間、岩に腰を下ろして悠々ゆうゆうと扇で暑さをしのいでいたというよ。鹿介が向こう岸に着いた時の事さ。草陰くさかげに隠れていたものがサッと飛び出て来ると鹿介の後ろから斬りつけた。鹿介はとっさに飛びのくとザンブと川の中へと飛び込んだんだ。斬りつけてきた者も鹿介の後を追って川へ飛び込んでつかみあいになったよ。川の流れに流されながらふたりは上へ下へと水しぶきを上げて行った。そこへ後ろから鹿介にとどめをさした者があったんだ。毛利元春から命令された者だったんだ。

鹿介は捕虜になってもまた尼子氏を立て直そうと最後の最後まで思いを持ち続けた人だったんだよね。毛利軍をあざむきながらてこずらせた山中鹿介こと幸盛の最後の日は34歳の暑い夏の7月の事だったよ。

最後まで読んでくれてありがとう、ポン!

#日本史 #戦国時代 #山中幸盛

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