源頼政(みなもとのよりまさ)と鵺(ぬえ)退治 その1(全2回)


今日はね、兵庫県の芦屋市(あしやし)に伝わる、鵺(ぬえ)という恐ろしい獣(けもの)をやっつけた源頼政(みなもとのよりまさ)という人の有名なお話しだよ。

ポンと昔、今から800年も昔の平安時代にあったお話しさ。それは仁平(にんぺい)3年1153年の夏のこと。第76代の近衛天皇(このえてんのう)は原因の分からない病気にかかってしまった。毎晩、丑(うし)の刻というから夜中の2時頃のことだよ。京都三条にある深い森の奥の方から黒い雲が、もやりもやりと膨らんで出てきたは、それが近衛天皇の住まわれている御所(ごしょ)の上へとやってきて覆い(おおい)かぶさってくるんだ。すると、近衛天皇は決まって、お苦しみだしたんだ。天皇のお傍(おそば)に仕えている宮人(みやびと)人たちは皆心配してね、お坊さんや占い師を頼んでお祈りしてもらった。けれども、ちっとも効き目がなかった。「これはきっと妖怪変化(ようかいへんげ)の者たちが悩ましているに違いない」と皆は考えたのさ。そこで、武勇にすぐれたものを呼んでその妖怪を退治してもらうことにしたんだ。その時、源雅頼(みなもとのまさより)という者がね、
「源頼政という勇者がおります。弓矢を射ることは百発百中の名人でございます。いかがでしょうか?」
早速、そうしようと決まってすぐに頼政は御所へと呼び出されてきたんだよ。
「私が朝廷にご奉公しておりますのは、敵を討つためです。雲の中の物を射たという話は、これまで聞いたこともございません。ましてや、目に見えぬ物をどうして討てましょうぞ。」
と言っていたんだよ。けれど、自信はなかったんだけれど、天皇のためと仕方なく弓を取ることにしたんだ。頼政はね、弓の準備をすると家来の猪早太(いのはやた)を従えてお庭で待っていた。

夏の夜は静かだったよ。やがて丑の刻(うしのこく)になった。

今日はここまで。
読んでくれて、ありがとう。
また明日だね。

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