8月18日は誰の命日?その2(全2回)


秀吉はね、天文(てんぶん)6年、1537年2月6日生まれで、亡くなったのが、慶長(けいちょう)3年、1598年8月18日。62歳のことだったよ。そうさ、どんなにすごい武将だって死んじゃう時はくるのさ。

愛知県の尾張(おわり)で貧乏な農家の子として生まれてから、あちこちで働きながら織田信長(おだのぶなが)のお草履(ぞうり)取りとして仕えるようになってからはね、努力とアイデアを信長に認めてもらって、それからは、家来をたくさん持てるようになっていくんだね。そうして、明智光秀(あけちみつひで)が本能寺(ほんのうじ)で信長を倒した後、秀吉はその明智光秀を倒して、次々とその後も、日本中の武将たちを家来にしていったんだ。そうして、大阪には屋根まで黄金を使ったきらびやかなお城を作って日本一のお殿さまとなっていったんだ。50歳を過ぎてからやっと跡取りの男の子の秀頼(ひでより)が生れてくれたんだけどね、まだまだ小さい子供で何にもできないから、他の武将たちにやっつけられてしまうんじゃないかなって、とっても心配だったんだね。

この令和の世の中になっても、秀吉の努力とアイデアの素晴らしさと、その考え方は誰もが勉強したいって思っているところなんだよ。秀吉を紹介しているものの中には、もしかしたら、困った時にね、何かいいヒントが君を助けてくれるかもしれないよ。

秀吉の命日の話は、これでおしまい。
今日も読んでくれてありがとう
お休み、ポン!

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