山勘(やまかん) その1(全3回)
今日はね、何のお話しか山を張ってみて 山を張ってみて? 学校ではいろんなテストがあるよね。テストの前になると、「山カンでいくか」とか「山を張ってみるか」なんて聞くよ。山を張るという山とはね、どんなことがあるかを前もって当てることをいうんだよ。電車の問題が出るかと予想してそればかり勉強していったら、なんと、飛行機の問題が出ちゃった。こんな時は、「山が外れた」なんて言うんだね。
ポンと昔。戦国時代のことさ。山梨県の甲斐の国(かいのくに)の有名な武将、武田信玄(たけだしんげん)の軍師に山本勘助(やまもとかんすけ)という武勇に優れた人がいたんだよ。軍師とは、戦いの作戦を作る人だね。
勘助(かんすけ)は近江(おうみ)、滋賀県の生まれの人と言われているよ。とってもお母さん思いの優しいひとだったよ。お母さんを手伝って畑を耕している時、大きな猪(いのしし)に襲われたんだ。勘助はなんの武器も持っていなかったけれど、お母さんを守るために、猪と戦ってやっつけたんだよ。その時に右目を怪我してしまったんだ。お母さんが亡くなった後は、どこかの武将に仕えようと旅に出たんだ。京都から河内(かわち)播磨(はりま)へと行った時のことだよ。そこで20人ほどの者たちと戦うことになって、その時に左足に大きな怪我をしてしまって、歩くにも不自由になってしまったんだ。右目と左足が悪いので、人間の半分だというんで、半体(はんたい)って言われていたんだって。でも勘助は負けなかったよ。安芸(あき)、広島の毛利元就(もうりもとなり)、周防(すおう)山口の大内義隆(おおうちよしたか)、豊後(ぶんご)大分の大友宗麟(おおともそうりん)、皆から価値なしと断られたよ。右目と左足が悪かったせいかなぁ。
今日はここまで。
昔から、就職活動は大変なんだね。
続きはまた明日、ポン!