政宗(まさむね)と千貫松(せんがんまつ)その1(全2回)
9月1日は防災の日だよね。
大正12年、1923年の9月1日、今から100年くらい前。この日、東京に大きな地震が起きたんだね。大変な被害があったんだ。なのでこの日を防災の人してね、災害が起きても生きていけるようにといろんな準備を見直してみようって日になったんだよね。今日は江戸時代にあった地震のお話しだよ。
ポンと昔。今からちょうど400年くらい前のことさ。慶長16年、1611年はとっても地震の多かった年だったんだって。東北地方に大きな地震があったんだよ。この頃は関ヶ原の戦いも終わって、いよいよ徳川家康(とくがわいえやす)の力が強くなっていたところだよ。この年の春には家康の子供の秀忠(ひでただ)に将軍職を譲っていたんだ。豊臣秀吉(とよとみひでよし)の子供の秀頼(ひでより)はね、19歳になっていたよ。
この年の8月21日、M(マグニチュード)6.9の会津地震が起きた。すっごく大きな地震だったよ。若松城の石垣が全部崩れてしまったし、天守も壊れてしまったんだ。つぶれてしまった家は2万あまり。亡くなった人は3700人にもなってしまったんだって。この地震の大きな揺れで領内のあちこちでは、山崩れが起きてね。会津盆地を流れる大川は土砂で堰き止められてしまってね。村も田んぼも畑も水につかってしまったんだよ。そしたら、四方7里というから、1里は約4キロくらいだから、28キロメートルという大きな湖の山崎湖(やまざきこ)が出来ちゃったんだよ。
そして今度は10月28日。三陸地方で大きな地震と津波があったんだ。M8.1くらだろうっていわれいるんだよ。地震の被害はよく分かっていないんだけれど、津波の被害がひどかった。仙台領では溺死者(できししゃ)1783人。牛や馬が85頭が溺死と伝えられているよ。そして、南部(なんぶ)津軽地方の海辺では、人と馬3千あまりが溺死したと記録に残っているんだよ。
今日はここまで。
明日は、徳川家康が登場するよ。
どうなるのかなぁ。
読んでくれて、ありがとう。ポン!
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