源平ツツジ
ツツジに源氏と平家の名前がついているんだってね。 ポンと昔。 今から800年も昔のことだよ。 寿永3年、1184年、2月7日のこと。 源義経の有名な一の谷の戦いがあった日だよ。 平清盛が亡くなってから 3年もたつと、 平家一門は源氏の勢いにおされて、 都を追われて、京都から西へと落ちて行ったんだ。 だけどやっぱり、挽回して源氏と戦おうと、 平家の武士たちが 兵庫県の一 , リンク, の谷に集まっていたんだよ。 そこへ、源範頼、義経の兄弟が平家を迎え撃とうと 一の谷目指して下って来た。 鉄拐山の南には、 南北に走る3つの谷があったよ。 東から一の谷、二の谷、三の谷と呼ばれている所だよ。 平家軍は東の守りを生田の森、 西の守りを一の谷に置いたよ。 北側は鉄拐山だから 源氏は来られない。 南側の海から攻めてくるに違いないと待ち構えていたんだ。 一の谷には平家の赤い旗が一面にひるがえっていたんだよ。 突然、後ろの山からなだれ落ちて来る軍勢にびっくりした平家軍さ。 そうさ、義経のひよどり超えの坂落ちとしで、 源氏軍が山から攻めてきたんだ。 この一の谷では激しい戦いがあったんだ。 源氏軍も平家軍も 大勢の血が流されていったよ。 この頃から、 このあたりの山肌には 赤と白のツツジが 入り乱れて咲くようになったんだって。 平家の旗は赤だったし、 源氏のは白だったからね。 誰いうともなく『源平のツツジ』と呼ぶようになったんだって。 赤と白の美しいツツジにも こんな悲しい謂れがあったんだね。 ツツジの花は鎌倉武士を思い出させてくれるよ。