上月城(こうづきじょう)落城と山中鹿介(しかのすけ) (その2 全5回)
永禄12年(1569年)、出雲の国の千酌湾へ船で乗り入れえるとすぐに尼子勝久と一緒に昔の尼子氏のなかまたちを呼び集めたんだよ。あっという間に6000人が集まって来たんだ。鹿介はね自分たち尼子氏のお城だった月山富田城を毛利軍から取り戻したかったんだよ。最初宍道湖近くの末次城に入って行ったのさ。
「鹿介がまた来たのか。よしすぐに受けてたとうではないか。輝元よ、突撃じゃ!」
永禄13年(1570年)お正月、月山富田城から12㎞離れた布部山麓で毛利輝元軍と尼子氏の鹿介軍が戦ったのさ。
鹿介たちは鉄砲を使って戦ったんだけれど負けてしまったのさ。鹿介たち尼子氏軍はまた末次城まで逃げ帰っていたんだよ。
逃げ帰ったと思ったら今度はすぐにね、末次城は吉川元春軍に囲まれてしまったんだ。吉川元春は毛利元就の次男だからね。とうとう鹿介は降伏してしまったんだよ。降伏ってね、自分が負けたから言う通りにしますって約束する事を言うんだよ。
鹿介や尼子勝久は処刑されることになったんだ。けれどね、家来たちは皆助けてもらえることになったんだよ。処刑とは殺されることさ。処刑になる前の日のことだよ。鹿介は赤痢という病気にかかってしまったんだ。お腹がひどく痛くなってお手洗いにいかなくちゃあならなくなった。昔のお手洗いは外の小さな小屋の中にあったからね。お腹が痛いからとずっとお手洗いの中にいたんだよ。そうして見張りの家来のスキを見てな、なんと。逃げ出してしまったんだ。赤痢という病気は嘘だったんだ。尼子勝久もうまく逃げ出すことに成功したんだ。そうしてこのふたりはね、その頃力を持っていた織田信長を頼って逃げて行ったんだ。
今日はここまで、読んでくれてありがとう!なかなかずる賢い鹿介だね。続きは明日のお楽しみに!お休み、ポン!
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