二日酔いの清正(きよまさ)危うし その1(全3回)
今日はね。戦国時代の虎之助(とらのすけ)という豊臣秀吉(とよとみひでよし)の家来のお話しだよ。虎之助は子飼い衆(こがいしゅう)の一人だったのさ。子飼い衆ってね、秀吉が尾張の国で織田信長(おだのぶなが)に仕えた頃、秀吉に仕えていた家来の少年たちのことを言うんだよ。
虎之助はね、秀吉のいとこだったのさ。だから、子供の頃から秀吉のお手伝いに来ていたんだね。虎之助はね、加藤清正という名前になって槍の上手な強い武将となっていったんだよ。同じ子飼い衆には、福島正則(ふくしままさのり)や加藤嘉明(かとうよしあきら)という、これまた有名な武将たちもいたよ。もちろん、秀吉もお嫁さんの、おねさんも虎之助たちを子供のようにそりゃあ可愛がってくれたのさ。
ポンと昔。加藤清正はね、永禄(えいろく)5年、1562年の生まれ。豊臣秀吉が25歳ころのことだね。秀吉のお母さんの兄弟の子だから従弟(いとこ)だね。そんなこともあって、子供の頃から秀吉のところでお手伝いをして、家来になっていたんだね。石垣作りが上手で、槍の名人と言われたんだよ。武名(ぶめい)とどろく豊臣家臣団きっての猛将(もうしょう)さ。3千石から肥後(ひご)19万5千石のお殿さまになっちゃったんだからね。
天正16年、1588年。清正はね、肥後の国、熊本県の半分の領土の19万5千石のお殿さまに大抜擢(だいばってき)されたんだよ。そうさ、柴田勝家(しばたかついえ)との戦いで良い働きをしたんで、そのご褒美(ごほうび)だったのさ。清正はね、喜んで家来の37人を引き連れて肥後の国に入ったんだよ。この時、清正28歳。たった3千石からの大出世だったというよ。
今日はここまで。読んでくれて、ありがとう。
明日は、いよいよ国右衛門(くにえもん)の登場だよ。
お休み、ポン!