斬首(ざんしゅ)の日 その2(全2回)
差し出された柿に対して三成(みつなり)は、
「柿か! それは胆(たん)の毒になるから、いらぬ。」
三成はこうきっぱりと言ったんだ。
「もうすぐ殺されるというのに、毒断ちをするとは、馬鹿なことよ」
警護の者たちは、こう言って馬鹿にしながら笑ったんだ。
「お前たち、馬鹿な者たちがそう考えるのも無理はない。大義(たいぎ)を思う者は首を刎ねられる間際まで命を大切にして、本意(ほんい)を遂げることを心掛けねばならないのだ。ここから脱走し、家康の首を獲ることはできまいかと今も考えておるのだ。」
警護の者たちは黙ってしまったよ。
このお話はね、有名な逸話さ。そしてもう一つ「改正三河後風土記」(かいせいみかわごふどき)に書かれているお話しにはね、こうあったよ。
三成は顔色も変わることなく、京都の町中を引き回されていたんだ。ある民家の前に差し掛かった時のことだよ。三成は大声でね、喉が渇いたから茶をくれないかって言ったんだって。
「おいたわしい、おいたわしいことでございます。さぁ、どうぞ召し上がれ」
と、歳をとったみすぼらしい女の人がお茶を勧めてくれたんだって。
「これで思い残すことはない」
と、三成はにこりと笑うとね、引かれて行ったんだ。
三成たちは京都の町中じゅうを、こうして引き回されて見世物にされてから、六条河原に連れていたれたんだ。そして斬首されてしまったんだよ。三成はこの時41歳だったよ。
三成は側室(そくしつ)を持たなかったので有名さ。側室とはね、お嫁さんの他に仲良しの女の人がいるってことさ。三成はお嫁さんの他には仲良しの女の人はいなかったんだ。子供は8人。計算が得意でね。豊臣秀吉(とよとみひでよし)から一番信頼されていた人だったんだって。三成たちの最後の日は小春日和の暖かい日のことだったよ。
最後まで読んでくれてありがとう。
お休み、ポン!
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