母の手を握ってコタツしまわれる
とても寒くなってきたね。電気もガスもなかった昔はどんな風に暖まっていたのかな?
ポンと昔。母の手を握ってコタツしまわれる。これはね、江戸時代に作られた落書きにあった歌さ。江戸時代にはコタツがあったんだね。大人の男の人がお姉さんの手をコタツの中で握ろうとしたら、間違ってそのお母さんの手を握っちゃった慌て者のお話しさ。
越後屋に小半年(こはんとし)もいる風邪の神。越後屋というのは今の三越デパートの最初の頃の名前だよ。お着物なんかを売っているお店さ。人の出入りが多かったからね、このお店の大店(おおだな)はいつも寒い所にいたから、風邪が治らなかったというんだよ。大店っていうのは、お店の主人のことさ。
江戸時代の暖房にはね、炭しかなかったんだって。火桶といってね、今は火鉢とも言っているよ。お餅つきの臼のようなものに炭を入れて火を起こしたのさ。臼よりちょっと小さかったよ。その上に手をかざして暖まったんだって。夜寝る時には湯たんぽもあったんだって。湯たんぽってね、お湯を入れた入れ物のことで、それをお布団の中に入れて暖まったんだ。
火桶はね、遠い昔平安時代からあったというんだよ。平安時代の絵巻物にね、十二単(じゅうにひとえ)を着たお姫さまがお布団のない掘りごたつのようなところで足元の火桶に白い足を出して暖まっている絵が残っているというんだよ。それにしたって寒いからね、几帳(きちょう)と呼ばれる衝立(ついたて)を立てて少しでも暖かくなるようにしていたんだって。几帳(きちょう)ってのは、お顔を見せないためだけじゃなくて、暖房の役割もしていたんだね。
そうして、室町時代になると掘りごたつの中の底に炭を入れて、こたつ櫓(やぐら)の上には布(きれ)をかけるようになったんだって。そうさ、今のこたつになったんだね。江戸時代になっていくと、このこたつの布(きれ)が色どり華やかなものになっていったんだって。こたつのないところはスースーすきま風だらけだよ。昔の人たちは冬が来ると寒くてつらかったよ。寒いから仕事を終えるとみんな火桶のまわりに集まって来て、手をあぶって暖まっていたんだね。火桶の上には網が乗せられていて、お餅や銀杏(ぎんなん)なんかがゆっくり焼かれていたんだ。笑い声が聞こえてくるようだね。
これでおしまい。最後まで読んでくれてありがとう
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