本多正純(ほんだまさずみ)と宇都宮城の吊天井(つりてんじょう)その3(全3回)

昨日の続きだよ、ポン!
 
1622年(元和(げんな)8年)4月16日のこと。その年は家康の7回忌でね。七回忌ってのは、人が死んでから7年目にお墓参りに行くことをいうんだよ。江戸から将軍秀忠(ひでただ)は、大勢の家来たちに守られながら日光の家康のお墓参りに来たんだ。その帰りは正純のお城宇都宮城にお泊りする予定だったんだけど、お墓参りが終わって宇都宮城に向かっている時に秘密の手紙が届いたんだよ。加納御前(かのうごぜん)からだった。
手紙を読んだ秀忠はビックリして宇都宮城にはお泊りしないことにしたよ。「秀忠よ、宇都宮城には泊まってはなりません。吊天井(つりてんじょう)か、お風呂の床板が外れて刀の刃の餌食になるやもしれないのです。私が調べたところ、恐ろしいことが分かりました。お城の改築には江戸の幕府にちゃんと連絡しなければならないでしょ。正純からは二の丸三の丸と石垣の修理をするとしか書いてなかったんですよ。なのに城郭(じょうかく)の修理やら秀忠の休ませるための部屋を新しく作ったりしているんですよ。しかもその部屋を作った大工たちは若者たちばかりで一歩も外には出さず、もうすぐ出来上がるという時に殺してしまったんですよ。しかも、お部屋の雨戸には小窓が一つづつ付いていて人が通れるようになっているとのこと。それに、上方(かみがた)からは鉄砲240丁くらいも秘密に買いそろえていたらしいのですよ。きっと、秀忠、お前を殺すためのからくりがあの家にはあるのですよ。お泊りしてはなりませぬ。」と書いてあったんだって。 
 
でねぇ、この年の秋に正純は出張に今の山形県最上(もがみ)まで行っていたんだよ。その留守中役人たちが宇都宮城を詳しく見に行ったんだ。 
 
1622年(がんな8年)10月1日、将軍秀忠の代わりの使者がやってきて、追放するって正純にとうとう言い渡したんだ。 
 
正純はね、由利(ゆり)今の秋田県の横手というところに行かされてしまったんだよ。 
 
役人の記録にはね、宇都宮城には怪しいところは見つけられなかったって。ただ、床の高さが高すぎたとあったって。それはいけない事だった。床下に潜り込んだ悪者が刀でお部屋で寝ている人を下から刺すことができるからね。連絡もなしでお城のあちこちをリフォームしてあったり、秘密に鉄砲を作らせて運ばせていたり、40万両の行方不明の事など、怪しげなことウソをついていたことは本当だったからね。 
 
正純は横手に行ってからひっそりと15年間暮らして73歳で亡くなったんって。 
横手ってほら、横手の焼きそばで有名な所だよね。 
50万両って今ならいくらくらいなのかなぁ。学校の先生に聞いてきてね。 
 
これでおしまい。さあ、お休み。 
 

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