吉祥寺サバイバル Ⅲ 定常期(stationary phase)Ⅲ-2 八王子中2男子 20XY年5月
秋月真一(あきづきしんいち)は八王子の公立中学の2年生である。公務員の父と中学校教諭の母の3人家族である。JR八王子駅から徒歩15分ほどのマンション4階に住んでいる。L村病が広がった時期、3人で手分けして食料の買い出しを行った。もちろんマスクをして、帰宅時は着ていた上着とマスクを廃棄し、手洗いとうがいを行った。
今後の予防策について、家族で話し合った。父親がネットで有効な方法を検索した。極力外出は避けることが望ましい。また、DIY店で入手してきた殺菌灯を人のいない部屋で点灯することにした。同時に扇風機を回して、殺菌された空気が他の室にも循環するように工夫を行った。
TVやネットで情報を得るようにしていたが、4月になって新しいものは皆無になった。この間、真一は母に勉強を観てもらったり、料理の手伝いをした。また、家族でDVDを観ることもあった。4月中旬、それが不可能になった。電気と水道が止まってしまったのだ。
食料も残り少なくなっていたので、水と食料を求めて、父が外出した。一定量の食料を得ることができたが、水は不十分だった。そこで、集めてきた材木で風呂の水を沸かして使用した。翌日、父が発熱した。風邪薬を飲んで、部屋を別にしたが、母も同じように発熱した。真一は二人を看病したが、父が亡くなり、母も後を追うようになくなってしまった。
真一は動けるうちに二人を埋葬することにした。一人ずつ毛布にくるんで、階段を下ろした。マンションには公園があったので、その一角に穴を掘って埋葬し、手を合わせた。近く発病することを覚悟していたが、症状が現れる兆候がなかった。
そうであれば、生きてゆかねばならない。4階の暮らしは階段の上り下りが大変である。残っていた水と食料、それに好きだった本をリックに入れて場所を移ることにした。幸い、駅前のホテルによい部屋を見つけることができた。灯りは100円ショップで入手したローソクである。
翌日から、自炊をしながら街の探索を開始した。乗り物は乗り捨てられていた自転車である。目的は食料と水、そして生存者である。京王八王子周辺を探していると、ブックオフに気が付いた。今後の参考になるサバイバル関連の本を何冊か選択した。キャンプ用品を扱っている店では「飯ごう」を入手した。これで、米を炊くことができる。
八王子は探索しつくした感があったので、野宿しながら中央線を下ることにした。野宿といっても、駅前のホテルを利用すればよい。豊田と日野駅ではほとんど得るものがなかった。立川は大きい駅である。それだけに死体の数も半端ではなかったが、手を合わせ、極力見ないようにした。必要物資の探索を継続して、かなりの収穫を得た。
駅前のホテルで1泊して、探索を継続した。国立と西国分寺駅は何も得るものがなかった。そして、次の国分寺駅で大きなの発見があった。改札の券売機にポスターを発見したのである。日高という人が吉祥寺で暮らしているということが分かったのだ。
昼を過ぎていたので、持ってきたおにぎりで腹ごしらえをした。暮らしているという地図をスマホで撮って吉祥寺に向かうことにした。JR中央線は立川と中野の間は直線である。そして、国分寺と吉祥寺の距離は9.2km。通常、自転車は15km/H弱の速度が出せる。ということは、かかる時間は約40分になる。真一は3時前に吉祥寺に着いた。地図を頼りに、日高の住居に向かった。
二人の喜びをどう表現すればよいだろうか。ようやく仲間が見つかったのである。
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