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おしんの自尊心 農家女性の戦後史

再放送のおしんを興味深く見ている。

男も女も幸せでいるための自己肯定感というのはとても大事で、薬物犯罪や、整形を繰り返したり、DVの男性に何度も何度もついていったりという女性たちをみると、特にそう感じる。

おしんも、謙虚で、生まれ育ちからしても自己肯定感は低そうに思えるけれど、久々に姑のいびりをみていると、「いざとなればなんとかできる」という彼女の自信がやはり腹立たしいのだろうなと感じた。

髪結いでも自分で稼げる、いざとなりゃ露店商も、洋品の企画も自分自身の手でお金を生むことができるという自信。
加賀屋で認められた自分の働く能力や身に付けた教養。
俊作や浩太に認められた自分の人格の高潔さというものについて、おしんは自惚れも含んだ自信を持っている。

佐和や恒子、おかよさま、おしんの母など他の女性登場人物とおしんの差を際立たせているのはそこだ。でも、実際はこれら他の人物たちが世の一般の女性たちの真実で、彼女たちにも脚本家は深い敬意を示している。

こぶし書房の農家女性の戦後史もこうした女性たちの新聞投稿をまとめ、農村における制度の変遷と紐付けたものだ。
時代は違うはずなのだけど、そこに綴られる苦しみは変わらず、おしんの放送時点でも、そして今も、多くの人達が共感しているだろう。

細かい中身に入っていくときりがないのだけれど、本質はとにかく自分の力で稼いだ自分のお金がないことが、いかに人間の自己肯定感に影響し、かつ家内労働が続く農家ではいまもそこから抜け出せない女性が沢山いるということだ。

無論、専業主婦など収入を持たなくても自分の価値を信じて幸福に生きておられる方々は沢山いるのだけれど、同じ労働をしながらいつか開拓地を所有しようと志す竜三と、いつまでも何も所有できず実家と連帯責任での義務だけ加算されていく農家の嫁としてのおしんの差は大きい。

介護や育児などのケア労働の価値認識というテーマ(認識されても解決には向かっていないけれど)は、農村における家内労働にもより色濃く同じくあてはまるのである。

自立したら家を捨ててしまうから自立させないというより、それぞれ自立している大人同士だからこその幸福な家庭というモデルが農村にもうまく築けていければと思う。

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