「ドスケベ催眠術師」と「合理主義者」に向かうことについて、あるいは「ドスケベ催眠術師の子1~2巻」ダイマ・感想
ダイレクトマーケティング
幸福なことに、「ドスケベ催眠術師の子」については綺羅星のような作家・ライターがスポイラーを回避しつつ適切な推薦文を作成していますので、ぜひそちらの参照をおすすめしたいです。まずは挙げたあと、それらに対して私から彼らの推薦コメントが以下に素晴らしいかコメントを付します。
複数人の推薦コメントがあるのですが、その中でも順不同で「さがら総」先生、「田中ロミオ」先生、「石川博品」先生のそれを挙げました。
「ドスケベ催眠術師の子」がとても「一般的(つまり、誰もが真剣に向き合うべき)な問題」を取り扱っているとして、最も一般的に読むべきと推薦していらっしゃるのが「さがら総」先生です。良い意味で射程範囲が広い、素晴らしい推薦コメントです。「ドスケベ催眠術師の子」はクソ真面目に一般的な話をしている。そのことを信じてくれというコメントであり、僕もそう叫ぶものです。「一般向け」――つまり、学級文庫に置いてある本を薦めるレベルで、誰にでも、このnoteを読む全ての人に「ドスケベ催眠術師の子」を読んで欲しいという意図で「さがら総」先生のコメントを取り上げています。
「田中ロミオ」先生の推薦コメントを挙げたのはいくつかのワードから。この作品は「優等生」的であること、「ドスケベ系」というジャンルを示していること、その中でも「ビギナー向け」であること、そして「ドスケベ催眠術師」のポテントを指摘していることです。後述のように、僕の期待は「田中ロミオ」先生とは別の向きなのですが、これらのセールスポイントは間違いなく当てはまるものと思います。「ドスケベ系」というジャンルを知る人にとって「ビギナー向け」であるからといって薄味でないことは、上述の「さがら総」先生のコメントから推察できるはずです。一般的問題に、クソ真面目。「ドスケベ系」にも種類がありますが、詳しい人ほどどのタイプの強火か理解できるでしょう。これは、ジャンルに詳しい人に複数のコメントをあわせて期待いただくために挙げたものです。
「石川博品」先生のコメントはある程度ラノベを読み慣れている人へ向けたものです。「耳刈ネルリ御入学万歳万歳万々歳」というラノベ読みにとって言わずと知れた奇妙な作品の作者のコメントです。たぶん、非-ラノベ読みにしてみれば「変なタイトルつけるやつのタイトルに向けたパッション」と受け取られるかもしれません。ですが、本筋はそこではありません。「耳刈ネルリ御入学万歳万歳万々歳」が頭おかしいのかと言いたくなるような語り口でそうだったように、「ドスケベ催眠術師の子」もまた頭おかしいのかと言いたくなるような(あるいは頭ロジカルモンスターかと頭を抱えたくなるような)語り口をしているのですが、「自分と向き合って」「他者と向き合って」「社会と向き合って」、そして「どう生きていくのか」をいずれも本気で、心の底からの本気で血を流して書いている作品です。「石川博品」先生が「ガンギマリの奴が書いた本」ということには極めて強い意味があります。単なるタイトルのインパクトではなく、「耳刈ネルリ御入学万歳万歳万々歳」という真摯な小説を書いたあの人が、この作品はアレを書いた人の共感する、「ドスケベ催眠術師の子」以外のタイトルはあり得ない完全にキマった一作であるということです。たぶん、ラノベ読みであれば期待のハードルがとんでもないことになるでしょう。何も心配いりません。単なる配慮でこんなコメントにはなっていません。このコメントに値する内容に、「ドスケベ催眠術師の子」はなっています。
以上がダイレクトマーケティングです。あまり先入観を持たずに飛び込んでほしいので、感想である以下のスポイラーは読まずにどうか彼らに寄り添ってください。もう一つ、僕からわがままを述べるならば。本気で彼ら彼女等に向き合ってあげてください。論理を、信念を、誇りを、枠にはめるのではなく彼ら自身の言葉から帰納的に構築し、演繹的に君ならこうすると信じられるよう必死になってください。諦めないでください。どこにも辿り着けないかもしれません。何も理解できず、失敗して転んでわけがわからないとなってしまうかもしれません。それでも努力し続けてほしいのです。それは決して僕が誰かに強制できるものではありません。ただの、僕の望みです。
「ドスケベ催眠術師」感想
このラノ2025への意識
僕の読者としての主戦場はライトノベルではありません。昔は大量に読みふけっていたのですが、今はメインとして「コンシューマのフルプライスエロゲ」「同人エロゲ」「ソーシャルゲーム」「(FANZA系の)ブラウザゲーム」、サブとして「分析哲学」「文学理論」「一般向け科学啓蒙書」が主戦場で、最近少しSteamにも手を出しており、「ライトノベル」は定評のあるものを遅れて読む人間でした。
それを悔いたのが、かつてラノベを多読していた人間としてはよく知っていたことではあったのですが、「ラノベの続刊」が出なくなることです。死ぬほど面白い作品の続きがない、という地獄経験をラノベ読みはたくさん味わっているはずです。僕もたくさん味わってきました。
そして、知っていたはずなのに、ある好きな作家・ライターの素晴らしいシリーズの続刊が期待できないことを知りました。その上で、次に取りかかったシリーズもやはり素晴らしいので今回は応援しようという気持ちです。
ですが僕は「買ってくれないと続きが出ない」のような薦め方は絶対にしたくありません。それはエレガントではないと思いますし、そもそも本質として僕は絶対に面白い、絶対の自信を持って推薦する、この本棚、この遊んできたゲーム達が構築した僕という人間を、「こいつはこの一冊を推薦するような人間」として評価してもらって構わないしそれが適切な評価だ、という覚悟で「面白いから」推薦したいです。
なので、まずはこのラノ2025に意思を投げることで、この期間に該当する作品を5つ選出しようと思いました。
が、僕はそもそも現在主戦場としてラノベを離れており、偶然的に同人サークルのライターとして応援している作家のラノベを読み、最高に面白く、続刊がないという事実に発狂し、新シリーズが面白過ぎたので、俺は応援すると立ち上がったはいいものの、そもそも最近の作品を5冊すら読んでいないという事実の前に屈しました。
しかも、このラノで挙げるべきは好きな5冊です。僕は自分の好き嫌いが非常に激しい人間であることを自覚しています。砂漠の中から好きなものを探し出せる自信はなく、けれどラノベ沼には信頼できる読者が多くいらっしゃることは知悉していました。
彼らの道標を借りて5冊に至るために、まず手に取ったのが「ドスケベ催眠術師の子」でした。
不純な動機で読み始めて今、大好きだ、応援したいと心から思っています。理由は単純に作品として質があまりにも高いからです。これからもシリーズが続き、「桂嶋エイダ」先生の作品が世に出続け、2巻からの新参ですが、あわよくば「俺はドスケベ催眠術師の子2巻からの桂嶋エイダ古参だが?」面をしたいです。昨日読み終えたド新参がよ……
それならば、早くピックアップした10作品くらいを全部読むべきなのですが、好きだと叫ぶ場所はこのラノに限りません。Xでも良いですし、それでも紙幅がまるで足りないならここ、noteがあります。
誰かの気が狂うほどその作品は面白いらしい。
本作を読んでいない人にはありえんバーの長さでスポイラーを踏まずともこいつ発狂してるなという空気がなんとなく読めて、久しぶり(あるいははじめて)にラノベを手に取る契機になれば嬉しいですし、読んだ人にはこれ読んで頭おかしくなった人の悲鳴は絶対に聞きたいと信じているので、僕が叫びます。先ず隗より始めよ。
「ドスケベ系」への強火として
まず「ドスケベ系」なるジャンルがあると措定して(措定するとは、まああるかどうかしらんけど仮にあるとして、くらいの雰囲気で捉えてくださって構いません。「ブルーライト文芸」なるジャンルがあると措定して、くらいのふわっとした感じで受けてください)、僕は「ドスケベ催眠術師」に「ドスケベ」ポテントがあるとは思っていますが、現状真摯に「ドスケベでない」ことに強い、初代の贖罪から二代目の誇りに至る影から走る光があると信じています。だから、「ドスケベ催眠術師」が登場し「ドスケベ催眠術」を使うこの作品が、特に2巻で一般に言われる意味で「ドスケベ」でないことを「誇らしい」と思っています。
「田中ロミオ」先生の推薦コメントの幾つかのワードに賛意を示しつつ、総体として軌を一にしないのはこのためです。
僕にとって「ドスケベ系」とはかなり関係性的・社会的なものです。僕の態度は一巻を読み進めている間に零した悲鳴に簡単にあらわれているでしょう。
僕がこの作品を読んで真っ先に思い浮かべたのはQruppoの「抜きゲーみたいな島に住んでる貧乳(わたし)はどうすりゃいいですか?」です。近々にアニメ化します。なので、ぬきたしが痴情派できるということは、お茶の間でドスケベ催眠術できることを合理的に導出します。僕はドスケベ催眠術師の子がお茶の間で放送されてほしい。これはギャグで言っていません。(この作品における)ドスケベ催眠術師という概念に対して、かなり切実な気持ちです。
「抜きゲーみたいな島に住んでる貧乳(わたし)はどうすりゃいいですか?」という作品について深くは触れませんが、サブタイトルは「Is the island Utopia or Dystopia?」です。
頭がおかしくなりそうなワードが飛び交うドスケベ作品ですが、主人公達はそういったドスケベ、性産的行為を避ける反交尾勢力であり、体制側の抑圧に逆らって毎日のように追撃をかわしスタイリッシュアクション帰宅をして貞操を守っています。
つまり、この島において主人公たちはマイノリティであり、マジョリティに抑圧されています。しかしながら、世界的に見ればこの島こそがマイノリティであり、マジョリティからの圧力を受けています。さらに、この島の性産的行為はあまりにも男-女のそれを意識しており、たとえば同性愛や性同一性障害をあまりにも無視しています。そういった入れ子構造でのマイノリティとマジョリティの関係の中で、「どういった形で自分は周りの人と、周囲の環境と、世界とやっていくのか」を幾つもの立場で示し、叫び、戦うのがこの作品です。
僕にとって、「ドスケベ」はそういった近い人との関係、ムラ的な空気、社会的モラル、一般的正義に関係する問題です。
「ドスケベ催眠術師の子」において、一般的な意味で言う「ドスケベ」は強く脱臭されています。「ドスケベ催眠術師と言いながらドスケベ催眠術師じゃないじゃん」という印象を抱かせます。
だからこそ、「弾ける」ことが求められることもわかります。
ですが、「ドスケベ催眠術師と言いながらドスケベ催眠術師じゃないじゃん」とは初代の平助の息子への贖罪であり、二代目である真友の誇りです。
というか、本作のサブタイトルでエロゲパロが、特に平助の謝罪後駆け出すところで「かけぬけ☆青春スパーキング!」がパロられていたり「近現代エロゲ(古のエロゲだけでなく)」が強調されるので、どうしても特にそのあたりのエロゲを意識せざるを得ず、となるとぬきたしを意識せずにはいられないのです(そして、本作はぬきたしとも上のポストで述べているとおりボクともでもない。本作にしかない独自性がある、と僕は信じています)。
「ドスケベ催眠術師」あるいは「ドスケベ催眠術」まわりを取り巻く概念として特に注目すべきは上質な変態、ドスケベニュータイプだと思います。二代目ドスケベ催眠術師、真友は二巻において四田がドスケベニュータイプに羽化したことを忌むべきことだとは思っていません。むしろある程度のおいしさをもって捉えています。対して、一巻のビデオレターにおける初代ははっきりと息子への謝罪において「人々を上質な変態へ覚醒させるのもやめる」と断言しています。
雑にやろうと思えばある程度戯画化した変態として上質な変態は一発的なネタとして使いやすいです。本人の抑圧していた欲望を一時的に開放することで、ドスケベ催眠術が解けたあとも、「これこそが自分のやりたかったことなのだ」と後催眠ではなく、あくまで自発的な決断として彼らは羽化します。けれど、それを初代はやめると断言しています。
冒頭で行われた“狂乱全裸祭”のようなものはあってはならないのです。
あれは"よくない"と作中何度も強調されています。
それはただの忌避感ではなくて、初代にとっては息子への不器用ながらも真剣な謝罪です。小学校の作文で、初代のカッコいいところとして「自分の信じた正義を貫くのに全力なところ」とキラキラとした目で胸を張り、揚々と語る息子に当時の「ドスケベ催眠術師」は、少なくとも父の考えでは及んでいませんでしたし、それは社会の目としてもそうでした。
だからこそ、息子は徹底的に社会から傷つけられ、父親は応急措置的に(実に初代と、そして初代の子らしいやり方です。こいつら親子すぎる)息子に当面を生き残る力を与えつつ、「ドスケベ催眠術師」という存在が社会と調停できる、むしろ社会で困っている人を助ける善なる存在なのだと社会認識を塗り替えるために必死で戦いました。
そして、二代目は「その贖罪とは関係なく、その贖罪を引き継ぐのではなく」初代の「ドスケベ催眠オブリージュ」の精神をしっかりと持ち、師と仰ぎ、師が塗り替えようとしている健全なる「ドスケベ催眠術師」という職業で、誇らしい師匠を超えると努力しているのです。
「ドスケベ催眠オブリージュ」の精神を持ち、高いコンプラ意識を持つ「ドスケベ催眠術師」が単にドスケベするのであれば、それは遡及して息子への裏切りです。「やっぱりドスケベ催眠術師ってそういうものなのか」ということになります。
「ドスケベ催眠術師」という字面的な意味から遠ざかり、ラベルが示唆する危険性と実際のその職業にある人の危険性がまるで乖離していっていることは、初代が償いとして始め、二代目が誇りとしているものです。だからこそ、「ドスケベ催眠術師」にまつわる物語に「催眠エロ」の色が薄いことは彼らの戦いの証左でもあります。
もし仮に「ドスケベ催眠術師」が本義に立ち返るのだとしても、それは決してこういった文脈を無視することはないでしょう。むしろ、非常に真剣に向き合うことでしょう。“狂乱全裸祭”はあってはならない。なのに「ドスケベ催眠術師」ともあろうものが本当に催眠エロをやるなら、それはどういうことか。二代目は、誰よりも、きっと息子を強く意識した初代よりも「ドスケベ催眠術師」という職業に真剣な子です。紙幅がドスケベで満たされるなら、絶対に何か真剣な理由がある。考えて、考えて、しっかり出した彼女なりにそうすべきだと判断した結論がある。僕は彼女のことをそう信じています。だから、今後「ドスケベ催眠術師」がエロい存在になるのだとしても、彼女は絶対に本気なのだと信じていますし、今の姿勢が貫かれるならば、それも誇り高く胸を張れるものだと信じています。あるいは、今の彼女からは考えられませんが、たとえ「ドスケベ催眠術師」をやめるのだとしても、真剣に、きっときちんと考えるのだと思います。
ですから、「ドスケベ催眠術師の子」というタイトルは詐欺ではありません。そのタイトルが「そういう存在」を意識させてしまうことこそが、サジ君の傷であり、それとサジ君が向き合うこと、初代が息子のためにできることをしようと頑張ったこと、二代目がその姿を見て初代を超えると邁進していること、全てに意味があります。だから、「ドスケベ催眠術師の子」というタイトルには意味があります。それはダブルでは足りないほどのミーニングが施されています。一般に考えられるところの「ドスケベ催眠術師の子」。かつて父が行っていた所業の結果としての「ドスケベ催眠術師の子」。父が自分がこういう存在になれば息子は救われるのではないかと足掻いた姿としての「ドスケベ催眠術師の子」。憧れた師匠の息子である「ドスケベ催眠術師の子」――一巻だけでもそういったたくさんの意味があります。「石川博品」先生が仰るようにこのタイトルしかないのです。
「ドスケベ系」と一口に言っても様々なものがあります。最初に「措定する」と言ったのは、あまりにもその範囲が広すぎ、「ドスケベ系」では期待するものが拾えない可能性があるからです。たとえば「ドスケベ催眠術師の子」は下ネタ的に切れ味の鋭いギャグが勿論多々ありますが、「ドスケベ感動巨編」なのであり、「ドスケベ催眠×青春コメディ」です。それは恥部を隠してオープン露出できていないというより、コンプライアンスを意識して問題ある露出をしていないことこそが彼らなりの痛切な真剣さなのです。そして、そこまでやってもまだ怪物だ、幽明境を異にするという話も徹底して行われています。
あえて「ドスケベ系」というなら僕はそういったものとして「ドスケベ催眠術師の子」を見ていて、だから「さがら総」先生が述べているようにそれは文学的問題、非常に狭苦しく捉えるなら、たとえば近代日本文学におけるインテリ青年の神経衰弱的煩悶などではなく、現代社会における疎外という非常に一般的な問題を取り扱っている、学校に置かれていてもなんらおかしくはないものという発言にキマった顔で頷くものです。「ドスケベ催眠術師の子」という「やべータイトル」だからこそ置くべきだと思っています。なぜなら「タイトルからしてやべー」というのはサジ君が受けている傷の一つです。「ドスケベ催眠術師の子」を笑わない――それは初代の贖罪であり、学校に置かれていても問題ないということは、あの日作文を読んだ彼は守られるということです。もちろん「ドスケベ催眠術師の子」が小学校の学級文庫に置かれていたら「頭おかしいのか?」と思いますが、まさにそれこそが「ドスケベ催眠術師の子」が社会で生きていく難しさを示してもいるでしょう。
一巻の中盤を読んでいるとき、「ドスケベ系」という言葉が思い浮かび、「ぬきたし」という作品を思い浮かべながらも、上下関係ではなく、「別物」と判断したのは「ぬきたし」はマイノリティとマジョリティの衝突、戦争、調停であり、「ドスケベ催眠術師の子」は調停へのプロセスとしてマジョリティと戦争をするつもりが基本的にないからです。初代の志からして、息子が「ドスケベ催眠術師の子」であっても安心して生きていけるようにする、そのために善行を積み上げる、というものです。この場所を認めろと叫び争うのではなく、自分たちは無害どころか社会の役に立つとコツコツ成果を積み上げて証明し続けています。二代目にとって、それは贖罪とは独立にたくさん世のため人のためになる誇りある職業です。だから、「ぬきたし」とはプロセスが違います。それは上下関係を意味するものではないことは先のとおりですが、繰り返しておきましょう。また、「ぬきたし」以前、この会社の同人サークルが送り出した「ボクはともだち」は「主人公の友人キャラ」を「ルール」として宿命づけられた少年の物語ですが、「人助け」を扱うものだとしても、「ボクはともだち」は「ルール」に縛られることの苦しみにまず触れており、「ドスケベ催眠術師の子」は初代も二代目も「ドスケベ催眠術師としてこうある」という姿を能動的に、自ら決定し、貫いている点で異なります。これも上下関係を意味するものではなく、違いとして。
そして、こういった一般的な問題は一般的に考えられるべき問題であり、だからこそ「ドスケベ系」でありながら誰でも読め、その意味で「ビギナー向け」と言うことができます。それはビギナー向けが「ドスケベ系」の浅瀬であることを含意しませんが。
また、反転してエグくさらけだすようにドスケベネタを乱射する作品が浅瀬であることも含意しません。いえ、一般的な問題を取り扱いながらエグく乱射することは可能です。たとえば「ぬきたし」、とくに無印の一部ルートと2は全体的にそうです。なので、排他的というよりも両立的にそれを期待することも、可能といえば可能ですし、それは決して何らかの価値を必ずしも貶めるものではないでしょう。また、そういった道を「敢えて選ばない」ことにも価値があると信じています。
そして、「ドスケベ催眠術師」のポテントが一巻に収まりきらないこともまさにコメントにあるとおりです。さらに、二巻で示されたとおり引き出されたものはエロに関するものではなく、「ドスケベ催眠術師」と「その子供」と「社会」を取り巻く一般的な問題としてそうでした。エロポテントももちろん高いのですが、真剣に生きている「ドスケベ催眠術師の子」や「初代ドスケベ催眠術師」や「二代目ドスケベ催眠術師」や「幼馴染みのお姉さん」たちという人間が強すぎるワードに蔑ろにされることなく、むしろ正面からそれを見据えてそれぞれどう向き合い、どう生きていくのか示している点で真剣でした。
この異常存在である作者ならここからエロポテントを引き出すことも可能でしょうが、その場合真剣に真剣に考えて、「だからこうするんだ」と実行するという信頼があります。
この子たちが何かするなら、相応の理由がある。突拍子のないことが起きても、この子たちの真剣さを信じる。その上でなぜそんなことになったのか理解しようと努める。たぶん、僕はそうしようと必死になり続けるでしょう。「ドスケベ催眠術師の子」で言うなら、僕は大将のような、生徒会長のような、そんな肉人形でありたい。「ドスケベ催眠術師」が僕たちを肉人形としてしか認知できないことは関係ないです。むしろ、そう認識してしまうのにできるだけ配慮し、ドスケベ催眠オブリージュの精神を持ち、コンプラ意識が高いことを尊敬しています。リスペクトをもって向き合う。圧倒的な力を持つ相手に対し、何の抵抗の手立てもなくそれを行うことはとても勇気のいることです。それでも、そうありたい。
「ドスケベ催眠術師の子」は、だから仮に「ドスケベ系」を措定するのだとしても、「ぬきたし系」とすら明らかな差異を持ち、「ドスケベ催眠術師の子系」としか言えない独自性を明白に確立していると僕は思っています。そして、それが一般的な問題を真剣に扱うとともに、ライトノベルとしてエンターテインメント作品になっているとも。
まずはそういったジャンル的な意味でこの作品は素晴らしいものでした。
ドスケベ催眠オブリージュ
一巻の主要ヒロインである二代目ドスケベ催眠術師、片桐真友に少しだけ触れましょう。彼女を取り巻く問題としてたとえば「催眠術」「ドスケベ催眠術」「人間」「肉人形」は欠くことのできないものです。
彼女は一定のコンプラ意識とドスケベ催眠オブリージュの精神を持っています。ドスケベ催眠四十八手を始めとした術の研鑽を日々積み重ねて高みを目指すと共に、依頼人へ配慮しようと努めます。さらに、依頼人にしかドスケベ催眠術をかけません。依頼されて依頼人以外にドスケベ催眠術をかけることはない、ということです。
彼女は「催眠術」によってコミュニティを一度たやすく崩壊させており、「初代ドスケベ催眠術師」に救われた過去を持ちます。「初代ドスケベ催眠術師」も息子をひどく傷つけた過去を持ち、「ドスケベ催眠術師」とはそういった反社会的、社会を破壊する、敵対的な存在であってはならないという社会的な職業として二人は師弟関係で研鑽を積んでいます。
しかしながら、「ドスケベ催眠術師」として大成してしまったならば、対象の認識も、行動も、記憶も、思うがままです。何か自分がやらかしても、周囲の記憶を弄れます。その万能性に、ヒトは抵抗できません。
だからこそ、「ドスケベ催眠術師」はヒトを「人間」として見るのが非常に難しいです。どれだけ配慮しようとも、コンプラ意識を保とうとも、「でもこいつ、いつでもどうにかなるんだよな」という考えが常にあります。たとえば誰かに嫌われてしまったり、誰かとの関係がぎくしゃくしたりしたとしても、まあそれで何か不都合があれば事実として「いつでもどうにでもなる」のです。つまり、コンプラ意識が高いことに加えて、アクシデント発生時の対処力があまりにも、万能的に高すぎます。本人曰く「職業病」です。つまり、これは「ドスケベ催眠術師」一般の問題を片桐真友的に抱えているということです。
だからこそ「二代目ドスケベ催眠術師」である片桐真友ですら、「ドスケベ催眠術が効かない相手・効かないこと」を直接確認するために「ドスケベ催眠四十八手――夢幻狂気」を教室・初手で放ちます。なぜなら、そこで行われる“狂乱全裸祭”は本人達に記憶されませんし、もしバレたとしても根本的に肉人形にどう思われても片桐真友はなんとも思わないからです。
つまり、片桐真友がどれだけドスケベ催眠オブリージュの精神を持とうが、コンプラ意識を持とうが、呼吸するように「ドスケベ催眠テロ」発生のおそれがあります。
これは特に「肉人形」と「人間」が同時に絡む事案について厄介です。片桐真友は「肉人形」に配慮しますが、「好感を持つ人間」への愛着が強いです。
彼女にとって「人間」とは「ドスケベ催眠術」が効かない相手です。そう本人が言語として定義しているというより、生理的に「これは肉人形」「この人は人間」と認識してしまうのです。
相手が自分を「人間として友達になりたい」と願ってきても、上手く応答するのが難しいです。
片桐真友にはドスケベ催眠術がかかっており、「仲間」を得ることでそれは解除されます。
以上の困難性と課題から、「二代目ドスケベ催眠術師」片桐真友は「初代ドスケベ催眠術師の子」であり、ドスケベ催眠術が効かない佐治沙慈、つまり「自分が任意にコントロールできない、能力的に対等に接する他手段がない」相手を「仲間」にしようと試みます。
一巻においては「二代目ドスケベ催眠術師」と「ドスケベ催眠術師の子」が「初代ドスケベ催眠術師」に「ドスケベ催眠術」をかけられており、それを解除することが課題になっているのですが、「二代目ドスケベ催眠術師」は「催眠術」でコミュニティを崩壊させた記憶を封じられており、「仲間」を得ることでその「ドスケベ催眠術」は解除されることになっています。
彼女は「初代ドスケベ催眠術師」を恨んでいません。「記憶を取り戻す」ことも副次的だとしか思っていません。彼女の目的は「ドスケベ催眠術師」として「初代」を超えることです。初代の「ドスケベ催眠術」がかかって庇護されたままの「二代目」がどうして「初代」を超えたと言えようか? その強い向上心と、師である「初代」を見て確信した「ドスケベ催眠術師」という職業へのリスペクトが彼女を突き動かしています。
合理
主人公である佐治沙慈は「ドスケベ催眠術師の子」であり合理主義者です。モデルの内的整合性さえとれていれば合理的ではあり得るのですから、どのようなモデルについて合理的に振る舞っているのか、なぜそのモデルを選んだのかは謎として読み進めていましたが、まさか二巻に答えがあるとは思ってもみませんでしたね……ここでは一巻の話をします。
彼は合理的に利己主義を採用しています。これは「初代」にかけられた「ドスケベ催眠術」の結果であり、「ドスケベ催眠術」にかけられているからこそ彼は揺らぎません。自分の安寧を脅かす父親について、多く時間を取ることの出来る母親との対話を通じて上手くコントロールして離婚に持ち込み遠ざけ、自身も「自らをドスケベ催眠術師の子であると知らない」者達の環境へと拠点を移します。
合理的に考えて理由は単純です。佐治沙慈は何も悪いことをしていません。「ドスケベ催眠術師」が悪事をなしていたからといって佐治沙慈がひどい扱いをうけるいわれはないのです。明白に父親は社会的なモラルから糾弾されることをしていましたし、それをもって父親を糾弾するならまだしも、自身を迫害する周囲は現代社会の一般道徳規準に照らして不合理です。
とはいえ、そんな現実とまともに戦闘することもまた有限なリソースの配分として不合理です。よって、そもそも「ドスケベ催眠術師」と関係しないことが合理的です。よって、関係ないところで関係ない生活をします。
完全な孤高は決め込みません。不合理だからです。班活動や二人組などがあります。そういったところで一々考えているようでは無駄が大きすぎます。なので、適切な相手と適切な距離で合理的に関係しています。
わざわざ無駄に波風を立てることはありません。それで面倒を被るのは不合理だからです。つまり、合理的に利己主義を徹底した結果、明らかにヤバいが明らかに尾を引く問題は起こさない男ができあがります。そしてそれは「ドスケベ催眠術」により強制されているので、ブレません。
そんな彼にとって「二代目ドスケベ催眠術師」との邂逅は一見最悪です。実際そう判断しました。
けれど、佐治沙慈は「自らにドスケベ催眠術がかけられている」ことも「その解除条件」も知りません。その事実を教えてくれたのが「二代目ドスケベ催眠術師」片桐真友です。
合理的な利己主義者にとってはごくごく当然のことですが、利己主義者は完全に利己的でありながら、利他的な行動が可能です。それは互恵利他と呼ばれるものです。たとえば「サルのノミ取り」を例にできます。背中のノミは丁寧に自分で取れません。利己的であるならば、吸血や伝染病媒介の危険の排除のため、誰かに取って貰うのがよいです。しかし、相手にそうしてもらうメリットがない。ならば「自分がとってやるからお前もとれ」を成立させるのは利己的かつ利他的です。これが互恵利他という利己的な戦略です。
この戦略の肝は利己的であるということです。良い話に聞こえるかもしれませんが、「相手が完全に利他的でなんでもかんでもやってくれるならフリーライドすればよい」のですし、「相手が役に立たなくなった」時点で互恵利他は終わりです。なぜなら、自分の役に立たないからです。これが互恵利他戦略が利己的であるということの意味です。それは合理的な利己主義の結果として、利他性の外観を呈しているだけです。「自分のためになるから」やっているだけで、「条件・状況が変わればスイッチを切り替えるように相手を切り捨てる」ことができます。はじめから利他的に動こうとはしていないからです。「これは俺のためだ」と素で動いているのが佐治沙慈です。ブレません。彼の利他的に見える行動は常に互恵利他を前提にしています。俺のためになるからやっているが、俺のためにならないならいつでも切り捨てる。相手は目的のための手段・道具・課題でしかない。「ドスケベ催眠術」がかかっているので、徹底的にこうです。
仲間と契約書
片桐真友は佐治沙慈を「仲間」にしようとします。それは「初代ドスケベ催眠術師」の「ドスケベ催眠術」を解除して彼を超えていくための一つのプロセスです。そのための方法として、片桐真友はとりあえず佐治沙慈を脅迫してみました。
「仲間にならなければ佐治沙慈はドスケベ催眠術師の子だとネットにばらまく」
脅迫です。佐治沙慈の回答はシンプルでした。
「無理な話」
彼は脅迫に屈さないと言ったわけでも、片桐真友に反感を覚えたわけでもありません。単に片桐真友の戦略は不合理で目的に適わないと述べているのです。
ドスケベ催眠術、ひいては催眠術は心理的なものです。解除のために「仲間」が必要であるとき、それは「仲間」の辞書的な定義によるのではなく、初代の思う「仲間」でもなく、片桐真友が思う「仲間」でなくてはなりません。
シンプルに「脅迫して言うことを聞かせている相手はお前にとって仲間なのか? それで維持している関係性で目的が達成できるのか? 不合理ではないか?」というのが佐治沙慈の合理的な疑問です。
つまり、片桐真友の要求を呑むと佐治沙慈は片桐真友の「仲間」として不適格になる。よって脅迫を飲んで片桐真友の「仲間」になることは「不可能」。
脅されている脅されていない以前に、片桐真友は目的逆行的なことをしている、というのが「ドスケベ催眠術師の子」として「ドスケベ催眠術師」についてある程度知っている彼のごく当たり前の疑問でした。
しかしながら、佐治沙慈とは極めて利己的かつ合理的な人間です。
自分に「ドスケベ催眠術」がかかっていると情報を与えられた瞬間、秒で掌を返します。状況・条件が変わればカチリと対応が変わります。「使える、かつ代替できない相手」とは「互恵利他」を結ぶのが利己的に合理的です。
だからこそ彼は「契約書」を用意します。「言った言わない」の水掛け論は不毛であるし、権利義務は明白にしておけば効率的。必要に応じて協議により附則も加えられるし、条件により契約を破棄することもできる。
これは佐治沙慈のスタイルを押しつけることですが、彼は利己的に目的を達成するために交渉を成功させる札の切り方が上手いです。詐欺師的とさえ言えるでしょう。
片桐真友は佐治沙慈にドスケベ催眠術を有効化できない。けれど、それを抜きにしても現在の環境で誰にも知られていない「佐治沙慈はドスケベ催眠術師の子」であるという事実を知っています。この情報の差が力関係の差として歴然と存在しています。
そして、脅迫の有無にかかわらず関係の非対等性があれば「脅迫」と同様に「仲間」という心理的な認識の障害になる。
だからこそ、契約。契約における条項として片桐真友の優位性を潰しつつ、互いが互いのメリットになるよう、そして互いに信義則を満たすよう条件を組み上げていく。つまり「仲間」を達成するための基盤として契約書を置く。
こうして佐治沙慈を甲、片桐真友を乙とした私たちが事務上極めてよく見るタイプの契約書が作られます。
契約書というラベルだけでなく、盛り込まれている条項も、文体も、たいへん契約書です。
こうして二人の関係が合理的に開始されることは極めて筋が通っており、かつ筋だけが通っていました。
合理主義者とドスケベ催眠術師
「ドスケベ催眠術師」の仕事は一般的に紹介された依頼人に「ドスケベ催眠術」をかけることです。たとえば「不登校者」から依頼を受ければ、依頼人である不登校者に「ドスケベ催眠術」をかけます。あくまで、依頼人本人からの依頼であり、他者からの依頼ではないことが必要です。困っている人をササッと助ける。それが「ドスケベ催眠術師」です。
そして、「ドスケベ催眠術師」には「ドスケベ催眠オブリージュの精神」があります。ドスケベ催眠術師はドスケベ催眠にかけられし者に義務を負うという常識的精神です。
さらに重要なことに、「二代目ドスケベ催眠術師」は「不登校者」の問題をパターナリスティックに「登校したい気持ち」に無理矢理切り替えて終わりにしません。二代目と強調したのは少なくとも昔の初代は違うからです。「二代目ドスケベ催眠術師」と「初代ドスケベ催眠術師の子」の双方が「初代ドスケベ催眠術師」に「ドスケベ催眠術」をよかれと思ってパターナリスティックにかけられています。これは当時の初代としての必死な緊急措置でしたが、二代目はそういった手段を採用していません。それは彼女の精神に反しています。「不登校者」を社会的に問題ない存在に変えることはできるかもしれないものの、それは「変える側の都合」しか考えていないのであり、「変えられる側の意志」を一切無視しています。
だから、「何らかの目的があって精神状態を変えたい」場合、「ドスケベ催眠術師」は「結果を保証する」のではなく、「本人がそのためにこうありたいと望む精神状態」を期間限定で付与します。あくまで本人が望んだものを、あくまで期間限定で。
佐治沙慈はそれをつまり「責任逃れ」だと評価しました。パターナリスティックに相手を変えるなら、どう変えるか含めて変える側の責任です。二代目のやり方はそこの責任を負わない、かけられる側が負うことになります。負うのはあくまで「ドスケベ催眠術」がちゃんとかかっているかどうかという技術的問題でしかありません。「仕様」を決定するのは依頼人です。言われた通りの精神状態にする、結果が出るかどうかは別の話。それが「ドスケベ催眠術師」の仕事です。もちろん、「二代目ドスケベ催眠術師」は冷淡ではなく「目的」に適わなかったり危険だったりする「仕様」には注意するでしょう。善良なプロフェッショナルとしてきちんと仕事をする。そして、わけるべきところはわけているのです。
対し、協力者佐治沙慈は明らかにマターナリスティックに他者をハックしています。ここで言うマターナリスティックとは、望ましくない価値観や考え方を「強引にねじ曲げる」のではなく、「あくまで自分がそう判断した」という意識を持たせながら望ましい方向に誘導する、ということです。当然、「ドスケベ催眠術」にかかっている佐治沙慈にとって、「望ましい」とは誰にとってかというと、佐治沙慈にとってです。もちろん、これは当然には悪を意味しません。なぜなら、契約があります。佐治沙慈と片桐真友は互恵利他的な関係であり、つまり片桐真友の仕事の流儀に反するやり方は回避せねばならず、つまりは依頼者の自己決定を重視しなければならない。
――つまり、面倒くさいので効率的に片付けたいと思ったら、「依頼者が心からそう思ったもの」として、依頼者的にも片桐真友的にも社会的にも問題ないものとして思考を誘導すればいい。
これは、誰も損をしません。八方ヨシです。合理的に最大多数の最大幸福を考えるなら、皆が喜びます。佐治沙慈がコントロールしているということは功利を考えればノイズです。ドスケベ催眠オブリージュの精神を持つ片桐真友の相棒として信義則を契約的に貫いているので、反社会的な誘導をするメリットが佐治沙慈にはありません。悪いことをしても何もいいことはないのです。だから、みんながよくなるようにマターナリスティックに思考を誘導する。つまり、「ドスケベ催眠術師」や「催眠術師」というより、「詐欺師」が「自己決定」を誘導しているというのが近い形です。この「詐欺師」は利己的に合理的なので自身に類が及ぶようなへぼい誘導は行いませんが。つまりバレません。
「不登校者」に「不登校」をやっていた自分の過去を事実として語る。「合理主義」を採用して戦略を語る。合理主義的に普通ではないが、満足の行く学校生活を送っていることを語る。「不登校者」自身の、我を通して失敗した方法を語り、「それは悪いものではない」と示す。たとえば、オタク仲間が欲しいなら自分がオタクであることが他のオタクに伝わるように振る舞うよう促す。それは恐怖を伴うやり方です。
普通ならこの説得だけでは意味がありません。一歩踏み出す「自信」が持てないからです。ですが、こと「自信」の問題なら「ドスケベ催眠術」でカタがつきます。「状況」への共感。「手段」への肯定。「目的」の明確化。そしてそれに足らない「自信」への即物的な対処法。
このマターナリスティックな誘導は、明白に誘導です。片桐真友も佐治沙慈もそれを理解しています。片桐真友はそれをペテン師の才能だと述べましたが、佐治沙慈はより深く、彼女が本当に「自信」を必要としていたかは知らない、と内心で「どうでもいい」と扱っています。「契約」として「ちゃんと仕事仲間をしている」と示すためにポーズをとったに過ぎません。時間をかけて彼女なりの言葉を聞くことはできたでしょう。というより、片桐真友はそうしようとしましたが、冗談じゃない、さっさと終わらせる、と彼はそうせず、思考誘導でさっさと片付けました。
この「不登校者」の真意がどうあれ、片桐真友の「ドスケベ催眠術」は人道的かつ長期を見据えています。確かに期間付きの催眠ではありますが、その催眠にかかってやったことの経験や気持ちは催眠が解けたあとも残っています。つまり、これは補助輪であり、それが外れたあとも漕ぎ続けられるようにという催眠です。佐治沙慈にとって、彼女のやり口はあまりにも人道的であり、父とはとても重ならないものでした。
その後の事案でもドスケベな事態は一切起こりません。ドスケベ催眠術を用いた立派な人助けしか片桐真友はしません。ドスケベ催眠術師とはそういう存在だからです。
こうして順当に解決してきた問題に、波紋を与えたのがクラスメイトの高麗川(こまがわ、マジで読みを忘れるのでルビが頻出してくれて気配りの神です。高麗や高句麗から導出できないので無限に助かります)類です。
高麗川は過去、真友の家が宗教にハマっていていじめを受けていた事実から真友を救うことも、干渉することもできず、何もしませんでした。けれど、高麗川は彼女のことが嫌いではなく、申し訳なく、謝罪したく、仲直りしたいのです。
佐治沙慈の内心としては「俺が片桐真友の立場なら高麗川のような人間と関わりたくない」ですが、彼は自分がされて嫌なことは人にはしない、という精神を当然には持ちません。上手いこと誘導して高麗川が真友と仲直りすれば「仲間」という課題の達成に役立ち、ひいては契約の相互の努力に基づき誠実性の高い真友は自分の課題解決により役立つ公算が高いです。互いに割くことのできる可処分時間も、佐治沙慈の問題解決により多くあてることができるようになるでしょう。つまり、真友の気持ちも高麗川の気持ちも根本的にはどうでもいい。正確に言うと、「自己の目的のために適切に誘導すべき対象」です。
けれど、「二代目ドスケベ催眠術師」片桐真友には「職業病」があります。「ドスケベ催眠術」が効く相手を「肉人形」としか認識できないのです。低く見て嘲っているのではなく、単に「人間」ではないという生理的な感覚があります。よって、
「ドスケベ催眠四十八手――白紙塗料」
この記憶を奪う催眠であっさり倒れた高麗川は一発で「仲間」として不適格になります。理由は単純、「人間」だとすら認知できないからです。言語的な問題とか、思想的な問題ではなくて、「生理的に無理」なのです。
対する佐治沙慈に対する片桐真友の要求は非常に熱のあるものです。
「自分を名前で呼ぶこと」
佐治沙慈にそれを求めた真友に対し、即応します。「真友」と呼ばれた彼女は
「ふへ」
と明らかに嬉しそうな顔をしました。
佐治沙慈にとってこれは効率的なので、恥ずかしかろうがなんだろうが合理的に無理矢理できてしまうことです。そして、こういった必要事はまとめておくのが便利です。だから、「契約書の附則に付け足す」のが彼の当然の判断なのですが、真友はこれを拒否します。
契約書に縛られているのは友達らしくないからです。だから、契約書関係なく名前で呼ぶよう求め、佐治沙慈はそれに答えます。
当然、合理的に考えてそれが効率的だからです。それ以外の理由は、なんら、微塵も、ありません。
加えて、彼は高麗川をまだ「使える」と判断しています。白紙塗料で拒絶された高麗川は願いを諦めましたが、「諦めたならどうなっても構わないだろう」と彼は高麗川を鉄砲玉に使います。
「場の空気を読むだけでなく空回りしてでも大切なものに向き合うこと」
高麗川の場に合わせる力を高く評価した上で、佐治沙慈はそんなことはどうでもよく望ましい願いに相手を誘導します。かつて高麗川ができなかったこと、同じ失敗をもう繰り返さないようにと背を押します。
真友のドスケベ催眠術で背を押してもらった高麗川は、真友に謝罪し、友達になろうとしますが、「無理」と端的に否定されます。許すも何も記憶喪失で記憶がないので、今の自分にそういった判断はできないし、従前通り「肉人形」は「肉人形」だとしか思えないからです。
ただ、高麗川は極めてクリティカルな指摘をします。
「サジ君」「ドスケベ催眠術師の子」は「酷いやつ」。「やめたほうがいい」。「特別扱いしないほうがいい」。
つまり、自分が「肉人形」であり、その他大勢がそうであり、佐治沙慈が「人間」なのだとしても、それを理由に佐治沙慈を好ましい意味で近くに置くのは佐治沙慈という人間の人間性からして、そいつは酷いやつだからやめるべきだと真剣に忠告しています。ドスケベ催眠でたとえ空回りしてでも大事な所で大事なことを言える高麗川にとって、これは本当に大事な話です。たとえ自分が友達になれなくても、片桐真友のために言わなくてはならないことです。
けれど、片桐真友にとって既にサジは大切な友人です。「ドスケベ催眠術師の子」というレッテルに彼がどれだけ傷つけられているのか知っていますし、彼が隠しているそういった傷口に触れてくることを片桐真友は許しません。
友へ行ったことへの報復として白紙塗料で片桐真友は高麗川の記憶を本気で奪ってしまいます。なかなか見ることのできない貴重な二代目の本気モードでした。
これは片桐真友なりのサジへの尊重であるとともに、戦略でもありました。
佐治沙慈という合理的な人間のモデルと前例をから推察するに、「ドスケベ催眠術師の子」であると周知された佐治沙慈は誰も自分を知らない場所まで逃亡します。片桐真友としてはそれでは困るわけです。なので、情報拡散阻止は重要事項でした。
佐治沙慈は合理的に考えてそんな面倒なことをするはずがないと述べますが、前例があります。バレバレなので、佐治沙慈はさっさと話題を変えてしまいます。言質は取らせませんでしたが、もちろん後のモノローグでどうしようもなくなればさっさと逃げるつもりだったことが明かされています。
片桐真友はドスケベ催眠術師と初代への想いを語りながら、それ抜きでもサジとの関係は大切なものだと語り、それに対する佐治沙慈の内心での評価は、
使える。
ただそれだけでした。合理的かつ利己的に考えて、互恵利他関係を保てばこの万能な相手はあまりにも有用すぎます。しかも、自分にはドスケベ催眠術が効かないのでリスクもありません。使えることこの上ない。
そして、ただそれだけです。
だからこそ、彼はこの使える関係を盤石なものとしようとして、たんなる共闘関係ではなく「友達」になろうと片桐真友に伝えます。
嘘はありません。本当に契約関係なく友情関係を成立させておきたいと思っての申請です。けれど、その申請は打算的です。本当に友達になりたいのだから騙したわけではないとすぐ自身を納得させていますが、まず彼が真友の反応を見て思ったのは騙せた、というものです。
そして、正しく真友は騙されました。
「仲間」がいない真友にとって、それはとても欲していたものであり、涙を流すほど嬉しいものでした。
「ドスケベ催眠術」における「仲間」という条件は、片桐真友の心理に依存します。事実に関係なく「仲間ができた」と彼女の心理が判断した時点をもって、初代がかけたドスケベ催眠術、彼女の記憶の封印は解けました。
初代のパターナリスティックな催眠とその解除条件には理由がありました。あまりにも辛い過去だから応急的に覆っておく。そして、「仲間」ができたならその人と支え合って生きていけるはず。
けれど、片桐真友が「仲間」と認識したのは佐治沙慈です。片桐真友は佐治沙慈が「利己的な合理主義者」であることを知っています。師である初代からそのあたりの話は聞いているのです。
その上で、佐治沙慈はそれっぽい言葉とそれっぽい態度で片桐真友を誘導したに過ぎません。使えるから、使い続けられるように。彼はそれしか考えていません。互恵利他関係とは、利己性に基づいています。片桐真友が思うような仲間の姿と、それはまるで違います。
その認識の差は、片桐真友が「ドスケベ催眠術を使えなくなる」という、過去のトラウマに基づいて浮き彫りになります。
片桐真友にとって「ドスケベ催眠術」は誇らしいものですが、「催眠術」は家族を含めた自分の大切なコミュニティを崩壊させたものです。「ドスケベ催眠術」に胸を張っていても、トラウマにより「催眠術」が使えません。嫌になったのではなく、劇的なストレス反応が出てしまいます。それは身体症状であり、片桐真友の日常生活上は何の支障もないので、彼女はそれを単に克服すべき課題と捉えています。
そして、重なるニュースが最悪でした。"狂乱全裸祭"が、スマホで撮影されていてデータとして共有されており、「ドスケベ催眠術師がいる」ことがバレてしまったというものです。
今、学内ではドスケベ催眠術師狩りが行われており、当のドスケベ催眠術師は役に立ちません。
つまり、最終的な佐治沙慈の判断は合理的かつ利己的です。
「ドスケベ催眠術が使えない片桐真友には価値がない。ドスケベ催眠術師の子が犯人だと疑われると困るから自白しろ。自業自得だろう」
シンプルにそれだけです。互恵利他関係とは利己性に基づくものです。何の役にも立たない相手のノミをとってやる必要はありません。自己利益にならないからです。
つまり、片桐真友はわかっていたはずなのにまんまと思考を誘導され、その上要らなくなったので捨てられたのであり、初代はなんとか応急処置を施したのですが、片桐真友が仲間だと思ったものが仲間であるとは限らないのです。
この点における片桐真友の反応は非常に重要で、彼女はショックだったと言っています。サジは変だとも。けれど、自分がショックを受けていることと、サジが普通から外れていること以外は何も言いません。酷いだとか、悪いだとか、そういうことは言わないのです。そして、契約に基づき自分がなんとかするとも。
結局の所、片桐真友は自分こそが犯人であると真実を自白します。
けれど、証拠がない。
そして、佐治沙慈こそが「ドスケベ催眠術師の子」であるという情報にクラスが行き着いてしまう。
さらに、直前に片桐真友と佐治沙慈が会っていたという事実まで共有されている。
片桐真友がどれだけ佐治沙慈の無実と自分の有罪を叫んでも、何も証明できない状況がこうして完成します。
佐治沙慈にとって、ここまでは「想定内」です。以前やられたことと同じ、前例があるので淡々と処理ができます。
想定外だったのは高麗川の乱入です。佐治沙慈のことが嫌いな彼女は、状況証拠だけで佐治沙慈を吊し上げる行為に反対します。それは、高麗川が望み、片桐真友がドスケベ催眠術をかけていたからです。彼女は言うべきときに言うべきことを言える人です。この不承不承周囲を一時抑える動きは前例になく、佐治沙慈の想定外でした。彼女には決断力があります。つまり、決断的に見捨てることもできました。決断力は片桐真友のおかげですが、佐治沙慈を今吊し上げるのは「違う」というのは彼女自身の意志です。このあたりは完全に佐治沙慈の想定を外れていました。
あわせて、登校するようになった「不登校」、真昼間がよかれと思ってポスター掲示で「ドスケベ催眠術師」の危険性を周知したので誰も佐治沙慈に強く当たれなくなります。単純に、「ドスケベ催眠術師」とは人間をいつでもどうにでもできる上位存在だからです。片桐真友が人間を職業病として「肉人形」としか思えないように、事実として人間など「ドスケベ催眠術師」の前では煮るなり焼くなり好きにできてしまう存在です。つまり、不興を買うと何をされるかわからない。敬遠。クラスの合理的な判断でした。そして、これも真昼間が元々持っていた善意を片桐真友のドスケベ催眠術が後押ししたものです。ドスケベ催眠術師に救われた真昼間的にはドスケベ催眠術師のここがすごい! をしたかったのですが、どう見てもヤベーやつの情報しか載っていないので皆ビビり散らかしてしまったのです。汚名返上名誉挽回を図りたかった真昼間にとっては不本意でしたが、応急的に悪くない結果となりました。
想定外です。
ドスケベ催眠術師と子
そんな想定外を立て続けに受けた佐治沙慈のもとに届いたのが初代からのビデオレターで、「利己的で周りを気にしない合理主義者」になる催眠を彼にかけていることと、「佐治沙慈が父を許す」ことが解除条件になっていることを述べます。
これは初代による脅迫ではありません。「許す」とは心情的なものです。「許さなければ解除されない」という脅迫的状態では解除はなされないのです。
つまり、初代は傷ついてしまった息子が立ち直れるように「ドスケベ催眠術師」を世間に良いものだと認知してもらうために善行を積み重ねることを決めています。佐治沙慈が自分を許す日が来たなら、それは「ドスケベ催眠術師の子」であっても問題ないくらい、自分が許されてしまうくらい、佐治沙慈を取り巻く状況は良くなっているだろうからです。
しかしながら、緊急的には佐治沙慈の置かれている状態は脅威に満ちており、初代は彼を守るために「合理」と「利己」を与えました。こうして佐治沙慈はブレることのない軸をもって行動し、母を誘導しての離婚を用いた父親の排除や転校など、合理的に利己的な戦略で自己保身に徹底的に走り出します。その利己的な戦略の中には互恵利他的なものもありましたが、根底が利己的なので片桐真友のように不要になればいつでもそれは捨てられるものです。
初代に可能な、佐治沙慈を守るために合理的な戦略は「佐治沙慈を含めて父を誇る作文に関する記憶を、その時あの教室で消してしまうこと」でした。けれど、息子に誇ってもらったのが嬉しくて、その喜びに縋ってしまったせいで、合理的でない初代にそれはできませんでした。
だから、変な方法で、ドスケベ催眠術師として息子を歪に守ることしかできず、彼は謝って、息子が胸を張れる世界を作ると努力することしかできません。
「相手の話をちゃんと聞かない」
合理と利己を抜きにして、「初代ドスケベ催眠術師」と、「ドスケベ催眠術師の子」のクソボケな共通点がそれです。「二代目ドスケベ催眠術師」はきちんと相手の話を聞いて、相手の納得のもとでドスケベ催眠術をかけます。佐治沙慈はそれを「責任逃れ」のためと評価しましたが、彼が改めて思ったように違うのです。このクソボケ親子のように、よかれと思って慌ててパターナリスティックに「合理と利己」をかけて「許し」で解除できるようにしておいたり、「記憶を封印」して「仲間」で解除できるようにしておいたりすると、想定外のことが起きてしまいます。よかれと思って妙なことになります。ちゃんとお話するのは大事です。けれど、それでも初代が必死に頑張ったことは無駄ではありませんでした。そういった贖罪の意図とは無関係に二代目は初代を尊敬し、初代を超えようとしているのですし、初代がかけた「ドスケベ催眠術」は彼の意図しない状況を発生させてはいますが、かといってとてつもなく悪いことにはなっていません。応急処置的にはうまくいっています。そして、応急処置とはまあ間に合えば評価できるものです。この親子は話を聞かずにやらかしがちですが、それはそれとして初代のやったことにはちゃんと価値があります。
佐治沙慈の催眠はこれで解けてしまいます。本人的に能動的に「許す」という決断をしたつもりはないのですが、内容を理解したビデオレターを繰り返し見て何か戦略上有意義なものがあるかというと「ない」ので、つまり合理的なことをしていない自分は催眠が解けていると合理的に判断しています。
つまり、彼は合理的です。何が変わったんだろう、と訝しむほどに。
意識を変えるドスケベ催眠術は補助輪です。解除したところで、今まで培ってきた利己的な合理性が消滅するわけではないのです。ただ、固定がなくなったに過ぎません。
ただ、彼はそもそも作文で父のことを誇らしく語るような子です。枷さえ外れてしまえば冤罪を被せられている状況を解決すべきだと思うと同時に、真友の放置は気が引けるとも思います。不可能だった判断ができます。
真友のドスケベ催眠術師としての向上心は初代に植え付けられたもので、それに従っていればドスケベ催眠術師として善行を積み上げ、世間の認知に影響を与えるでしょう。翻っては佐治沙慈の利益となります。
それに対し恩を返さないのは精神的負担となり、解消しなければならない。
佐治沙慈は枷を外されましたが、意味もなく合理的でない行動を採る人間ではないので、即断で合理的に動けます。枷がないだけで合理的なので。
真友としては助けてくれた師を尊敬し、補助輪が外れた今も自主的な向上心を持ってドスケベ催眠術師として歩んでいくことに何の頓着もありませんが、届いたビデオレターで佐治沙慈の催眠が解除されていることはさすがにクソザコナメクジと評価しています。そして、クソザコナメクジ並にあっさりと催眠が解除されたのは彼がドスケベ催眠術師の子だとバレても昔のようにひどいめに遭わなかったからです。それは、二代目ドスケベ催眠術師の尽力と、それに背中を押されて自分自身の判断を貫いた人たちの態度もあります。
だからこそ、佐治沙慈は合理的に利他的な戦略が採れます。
片桐真友が二代目ドスケベ催眠術師であることを取り消せば良い。
そうすると、二代目ドスケベ催眠術師とドスケベ催眠術師の子を前提とした契約はそもそも無効になり、契約上の片桐真友の義務はなくなり、ドスケベ催眠術師の子、つまりは犯人と目されている佐治沙慈が一人でなんとかすればいいです。前例はあるので、まあなんとかなるというのが彼の考えです。今までの彼ならまず出てこない発想でしょう。合理的かつ利他的です。
けれど、二代目には誇りがあり、ドスケベ催眠術師を否定することなどしたくないのでできません。
ドスケベ催眠術師という職業に「人助けをする者」としての誇りを彼女は持っています。はじめは初代による偽物の向上心だったとしても、枷が外れても正常な判断で彼女はドスケベ催眠術師を誇っています。二代目ドスケベ催眠術師とは初代ドスケベ催眠術師を継いで、いつか超える片桐真友の誇りであり、それを否定することは絶対にありません。
さらに、佐治沙慈の「一人でなんとかする」は滅茶苦茶信頼できません。一番手っ取り早いのは「転校する、ばいばい」でどっかに消えることだからです。
そして、佐治沙慈は合理的です。片桐真友の誇りを折れないのだとしたら二代目ドスケベ催眠術師を復活させればいい。そもそもドスケベ催眠術が使えないのが真実を証明できない理由なので、使えてしまえば問題は解決します。
そして、彼には「ドスケベ催眠術師の子」として解決の自信があります。前例があるからです。真昼間や高麗川や片桐真友にもそうしたように、今回も誘導すればいい。思考誘導です。
ドスケベ催眠術を使えないという彼女の恐怖を否定し、使えるはずだと肯定し、ここからが極悪で、「どういった状況なら使えるか」という「スイッチ」をさりげなくごく自然に、ただの会話のように仕込んでいきます。
「使えない」と判断した片桐真友は今の彼にとって「知らない」人間です。それは雑に判断したのではなく、何か確からしいことを言うための情報がシンプルに足りないというだけのことです。
ただ、父親を許させてくれたことは感謝に値することであり、それは彼女の活動のおかげなので、「二代目ドスケベ催眠術師」に彼は深々と頭を下げています。
最後に彼女が失っていた髪飾りを返却する。
全て本心からの行動ですが、本心でここまで相手を誘導できてしまう、「ドスケベ催眠術」のような問答無用ではなく、ただ話しているだけで条件付けを行いつつ相手を誘導できてしまう、親が親なら子も子でしょう。そして、それは「ドスケベ催眠術」のように使いようによっては決して悪いものではありません。
佐治沙慈の前では「二代目ドスケベ催眠術師」としての力を行使できるようになった真友は、「実例」をもってクラスに犯人を証明し、佐治沙慈の冤罪は晴らされます。ドスケベ催眠術をかけ、解除条件が片桐真友を犯人だと認めることなので、心理的に片桐真友を犯人だと認めなければ催眠を解くことができません。つまり、確実に全部解決です。
高麗川に対しても、片桐真友は誠実です。「肉人形」としか思えない、「サジくらいしか友達に思えない」と言いながらも、いつか「友達になろ」と言うと約束します。片桐真友はそういうやつです。なので高麗川がぜひとも仲直りしたいのはもっともなことであり、佐治沙慈などというやべーやつが友達面して隣にいるのはたいへん気に食わんわけです。当たり前ですね。友達になりたくて仕方ない大好きな相手が彼が友達~って佐治沙慈隣に置いてたらシンプルにヤバすぎますからね。嫌を超えて危険です。前科一犯ですからね。警告した通りのことが起きています。いわんこっちゃない。
最後に佐治沙慈の少年時代の作文が明かされますが、マジで初代が消せなくてもしゃーないところがあります。最適が消すことでも、頭佐治沙慈でなければ消せません。しゃーない。人はふつう佐治沙慈ではないので。
幼少期に遭っていたミステリアスお姉さん
で、一巻を読んであまりによすぎて発狂していたわけですが、当然二巻があるので二巻を読もうとするわけです。表紙に知らん女がいるじゃないですか。
僕はこういうときスーパー作者信頼性により、何の情報も得ず情報皆無状態で突っ込むことにしているので、あらすじもなにも一切読まず買って、読むわけです。
開幕佐治沙慈が幼少期にミステリアスお姉さんと遭っていたというヤバ情報をブチ込まれて死にました。二巻用に用意したHPが開幕で0になることあるんですね。なので、二巻は常にオーバーキルダメージを表示させながら読んでいました。
ヤバいのが、このお姉さんがにこにこ友好的に佐治沙慈に語りかけながら「合理性」と「効率性」を口にすることです。作文の件で傷心していた佐治沙慈に、「合理的に考えて沙慈君は何も悪いことをしていない」のでそのポイントで物事を考えるのは単に時間の無駄で、よろしからぬことをしていた父親が悪いのだし、道理に適わない物事の考え方をしている周囲が悪いのだし、つまり佐治沙慈は胸を張っていればいいので問題はしょうもないと笑って一蹴してしまいます。
佐治沙慈はそんな颯爽とした水連お姉さんの態度を「優しい」と言いますが、水連お姉さんは「ただ合理的に」状況を評価しただけなので、情実的な「優しい」という評価を自分に当て嵌めることは勘違いに過ぎないと訂正します。だから「水連の合理性にありがとう」と感謝します。彼にとって、水連にそのような言葉を導出させてくれた「合理主義」とは味方のいない彼を助けてくれたものだからです。父の催眠ではなく、水連こそが佐治沙慈の「合理」の根本でした。
やべーお姉さんが現れた。
契約書2(抄)
本筋ではないので長々と語りませんが、さすがに良さが過ぎませんか? サジ×真友概念が2巻では多くない(まさに、そこが「2巻」がやろうとしていることが達成されているという素晴らしい点なのですが! 甕川水連のことは措きましょう。素晴らしいですね、素晴らしい)のですが、もうこの新たなる契約書にサジ×真友概念バージョン2.0が詰まっていますからね。メジャーアプデ済概念。甲乙ではなく「私」と「サジ」ですからね。僕は掛け算村の住人なので発狂して転げ回っていました。やばいって。
いや、甲乙でないことが問題ではないんですよ。売買契約なら甲乙という単なる順位を匂わせた換言ではなくて、受注者と発注者といった換言が契約書上行われることは普通で、甲乙「でない」ことが重要なわけではないのです。甲乙の代わりに換言として「私」と「サジ」を選んでいることが無限に味がするのですね。ここ真友が通したんだろうなあ~って思いながら換言以外は堅い頭を読むじゃないですか。
で、条文が来るじゃないですか。かっこに書かれた各条文の定義はかたいんですよ。この辺の整理はサジが主導でやってそうなとこあるじゃないですか。条文の本文はもう契約書の文体としては破格も破格で、真友全開じゃないですか。ヤバ。第四条但し書き、「トカゲの尻尾切り禁止」は可愛すぎて爆笑しましたからね。但し書きにかっこして(特にサジ、前科持ち)は反論の余地が全くないです。こいつトカゲの尻尾として片桐真友も佐治沙慈も切るやつですからね。前者はもう絶対しない男ですが、いつ後者をしでかすかわかりません。四条、大事。
で、六条ですよ(抄とは?)。期間満了の定めがあるじゃないですか。期間満了の定めって、契約更新がクッッッッソ面倒くさいんですよ。ぶっ殺すぞてめェってなるくらいめんどくさい。研究室に置いてある資産があるとするじゃないですか、どっかの大学の友達と協同研究やってて借りたやつ。期間の定めをするならだいたい年度で更新するんでするけど、単純に期間の定めがあると、毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年(恨みしかない)契約しないといけないんですよ。無償貸付、無償借受関連の。もうね。こういう理由で貸してください、こういう理由で遊休になってて、うちの研究にこう役立つんで向こうさんに貸したってください、わーったわーった、貸します、借ります、を何遍両方の大学でやりとりするんじゃクソ面倒くさい! カス!!! って叫びながら毎年更新契約することになるので、お堅いところじゃないと通常は「契約期間を定めるが、申し出がない限り契約期間は年度単位で自動更新」になっているわけですね。これは楽。超楽。一回やれば何もしなくていい。
で、これのデメリットが何もしなくていいので何も考えなくなることなんですよ。まあズルズル無償貸付受けてる資産なんて実質もらってるようなものですからね。大学が無償譲渡はできませーんってやかましいこと言ってるので、借りてまーすっていう体でもらってるわけですね。永遠に借りるだけだぜ。で、実質俺のもんなので雑に扱って壊れたりもういらんわって勝手に捨てたりするとやべーわけです。そのへんの意識が何年も何年も経つとだいたいみんな希薄になってどっかの大学がやらかすので、「お前等に信頼あると思ってんの? 微塵も信頼してないが」ってところが毎年更新させてくるわけですね。反論の言葉はない。自動更新かけてるけどちゃんと管理してるかみにきまーすでどこも十全に対応できてるかというと絶対そんなことないですからね(断言)。期間の定めがない、あるいは自動更新をかけていると契約の緊張感は薄れます。
で、第六条。片桐真友がドスケベ催眠術を一人で使えるようになるか、十一月末で期間の満了を定めています。マジで契約のことをよくわかっている。クソめんどくさいんですけど、特に組織間とかでなく個人と個人ならこれが一番緊張感保てますからね。期間が来る度に協議で変更契約するか、あるいは新規でもう一度契約する必要があります。そして、契約するということは双方の合意が要るので、真友はサジを意識して頑張らざるを得ないわけです。お前もう知らんわって言われたら次の契約なしですからね。
期間がないと人はサボる。
至言。特に契約はマジでそう。なんなら期間があってもサボる。僕みたいに。
あと前回の契約書にあった「記名押印」がなくなっているのも可愛いポイントでした。実際に契約書に記名押印がされているかどうかはともかく、契約書の体裁としては押印までは求めていませんからね。文体的に真友が書いているのでしょうが、サジが通しているのがお可愛いです。片桐真友と佐治沙慈の間なら、信義則上の問題はないわけですしね、まあわざわざ修正させるのも非効率です。押印の有無が争議のポイントになることはないでしょう。合理可愛いポイント。
冒頭のくぅ~コレコレ!ポイント
片桐真友は「ドスケベ催眠テロ」を起こしたやべーやつで教室の空気がやべーことになっています。ただし、真昼間のポスターや実際に片桐真友が人類では太刀打ちできない上位存在であることを身を以て体験しているわけで、片桐真友に個人を認知されるような形で不興を買うわけにはいかないのです。最悪不特定でも集会で全体攻撃されたら終わりですからね。誰も何もできない。
なので「徹底的に臭いものに蓋」なのですが、サジ的にはクラスメイトの合理的対応と緊張感あるピリピリした空気は嫌いじゃない、わかりやすい、居心地がいいまで行きます。
そして、真友は意に介していません。高麗川のために高麗川を友達として認識しようと努力していますが、現に人間を「肉人形」としか認識できていないので、どう見られていようがどうでもいいのです。やるかどうかはともかく、いつでもどうとでもできますしね。
このやべー二人が冒頭に描かれているので「ドスケベ催眠術師の子」の味だな……感が凄いです。この高麗川からサジへの「嫌い」空気。おいしい。友達の傍に居て欲しくない男、サジ。前科一犯ですからね。違うんですよ、親父と水連があ……まあ過去はそうかもしれませんが、今のサジも普通にやべーですからね。枷が外れただけでやべーやつはやべーやつです。
この冒頭本当に美味しかったです。
その直後に黒山未代、サジを二回、水連を七回くらい殴ってもいい女子が登場するのですが(そう思ってしまうことがもう甕川水連の圧倒的優位を認めてしまっているので、まじふざけんなよ……)、こちらに対しては「……コロコロうるせぇな」なのが頭佐治沙慈。サジだけはやめときな。悪いこと言わないから。マジでこういうこと言うと甕川水連に利するのでふざけやがって~! ってなりますね。俺は負けないという強い気持ちを持ちたいです。
ホラー小説
再会の甕川水連お姉さん。マジで怖かったです。公園で昔遭ったミステリアスお姉さんとの再会としてここまで怖いことあるんだ。ラスボスの風格しかない。にこにこ合理お姉さんとか恐怖存在でしかない。
透き通るようなドスケベ催眠術で送る学生の青春の話で、スクールカウンセラーのお姉さん(初登場)が2巻でいきなり表紙飾ることあるんだ……ラスボスの格しかないが?
二代目にとっての初代みたいな人。合理的かつ思考に誘導かけてくる状況コントローラーの佐治沙慈の、模範になった人。マジで再会したら恐怖すぎますからね。こっちはサジのモノローグをずっと読んできてどんだけカチカチカチカチ合理の歯車回してやべーこと考えているかわかっているので、この女絶対頭の中でカチカチ鳴ってるわって確信しかない。というか頭の中でカチカチ鳴ってるの隠してないですからね。マジで怖い。
こんな女スクールカウンセラーにしちゃだめだよ。何やってんだよ教育と医療は……これが現代社会の限界か……社会的信用のない場末の占い師やらせとけってぇ……それだけでも激ヤバだったんだから……
明らかに露骨にサジに好意的アプローチかけてくるの怖すぎますからね。何が狙いなの? 顎クイで心臓鳴るレベルなの本っ当に怖い。
快活に笑って話しながら、やりにくいと感じるサジくんの誘導に乗ってみせて、こういう態度だと御しやすい? って梯外してくるのが本当にラスボス。
こいつが片桐真友に依頼人斡旋してたのか~、なら依頼いっぱいくるわな~という最悪の納得しかないです。
マジで怖かった。怖すぎる何考えてんのかわからん合理お姉さんとか全ボク君を狂わせますからね。頭おかしくなって好きになる。負けてないが。
佐治沙慈に合理主義を教えてくれた人。
「ドスケベ催眠術師の子」においてこんな怖いワードないでしょ。
小:ロジハラ
「一緒にお風呂に入った仲」についての水連と真友の対話、真・ロジカルモンスターすぎて極悪でした。これはサジの師。
真友と言えば初代を継いだ二代目であり、呼吸するようにドスケベワードが出てきて、まあ相手はサジですし流れるのですが、水連の「一緒にお風呂に入った仲」を「サジは風俗通い」とからかった水連の徹底的、虐殺的なまでの暴がすごかったです。
いや、二巻最後まで読んで今振り返りながら感想書いてるんですけど、水連ブチ切れてたでしょ。この人ドスケベ催眠術師嫌いですし、サジ君との思い出はマジで大事なものですし、ドスケベ催眠術師がサジ君との思い出にそう踏み入ってきたら水連の内心とか考えたくないですね。
だって度々垣間見える内心がヤバいじゃないですか。ニコニコ合理お姉さんの上っ面取り払ったら中身サジ似らしいですよ。
合理モンスターなので下手は打たないわけですけど、下手打たない範囲で徹底的にボコれるわけで、ボコるわけじゃないですか。
謝る真友にひたすら「いや謝って欲しいんじゃなくてなんでそういう認識したのか教えてほしいだけだよ純粋に」をひたすら詰めてくるの悪魔ですからね。しょうがないだろドスケベ催眠術師なんだから……! やめてあげてよ! でもね、水連お姉さんの言うとおり仲の良い男女の関係を風俗でくくるの、風俗という仕事や関係性への蔑視を持たなくても、勘繰り方が穏当ではないと思う人もいるのでマジでやめた方がいいのはそのとおりなんだけど正論……正論だから……そうだね……ドスケベ催眠術師なんてサジの傍にいない方がいいんだよ。ステイ。
「どういう勘繰りをしてどういう気持ちで言ったのか」を全部本人の口から暴露させてごめんなさいさせるのまあ、サジ君に対する水連がドスケベ催眠術師にやらせてるんだもんな……そりゃあな、ってなります。自分だけでなくサジ君にも謝らせるのがマジで……
初見は「こえー……」だったんですけど読み終えると「水連ならそうする。それはそう。地雷地雷」なので恐怖系コメディです。二代目ドスケベ催眠術師、踏んでしもうたんか!!!! わからんよなあ……見えないもんそれ。
サジの好みが水連に「胸の大きな、年上の……」って暴露されるの、サジと真友は少なくとも今は友達関係であり、契約をしっかり終わらせたら普通になる予定ですし、行く道は異なるので、真友からすれば料金もらうまでもない無料提供情報ですが、水連に垂れ流すのは爆弾ですよね。でもこういう爆弾をきちんきちんと渡しておくのは対水連で必要ですからね。喜びながら最終的には【佐治沙慈-する】(合理的に問題を解決するの意。あるいはばいばいするの意)つもりの女、いやー嬉しいな!(本音) だろうからクソボケと叫びたくなります。迫害されてきたボク君に理路を示しながら寄り添ってくれた、ミステリアスな黒髪ロングで瞳が怜悧で笑顔があやしげだけど爽やかな胸の豊かなお姉さん、責任を取らないといけないですからね。ボク君の脳への影響が教育・医療の両方面から心配されています。お父さんの理解もあって立派な佐治沙慈に育ちましたねえ……
ミニ:ドスケベ催眠メモリアル
佐治沙慈こえ~って思ったのはこの再会を経ての判断が「ドスケベ催眠メモリアル」の確認だったことですね。甕川水連があやしいなんてことは傍目にも明らかだったので、何か裏があるんだろうなとは僕も思ってはいたのですが、あくまで甕川水連側に何か計画があるんじゃないかと思っていて、佐治沙慈は「それよりまず」「ドスケベ催眠メモリアル」を確認して甕川水連にドスケベ催眠がかかっていないか確認する、という不自然さの確認をとったのが合理的すぎました。
今の自分たちに置き換えて「小学生に恋愛感情を持てるか?」と甕川水連の異常さに「おかしいだろ」と納得させながら真友と冷静に確認していくの冷静沈着がすぎる。
普通に『ずっと沙慈を好きになる』『沙慈の成長』で載ってるの順当過ぎて仕事が早いです。
成長すれば良いんだな→「テスト対策部」で留年の危機に陥ってる劣等生を救えば成長に見えるだろう、という即断もまたとても佐治沙慈らしいです。そういうとこだぞ。事実を示すのではなく相手の心理がそう認識すればいいので、成長しているように見せるのが一番ですからね……
高麗川さんとサジがよすぎたところ
水連を助けるために「テスト対策部」を利用するサジに高麗川さんが「先に真友のクラスでの現状だろう」と訴えるのが彼女らしくて高麗川さん好きだな~となりました。真友、友達にするなら高麗川さんだぞ。サジは……
ここでのサジの「で?」の連発と諦めずに内心を吐露し続ける高麗川さんが良すぎました。高麗川さん本人の人の良さとドスケベ催眠術による後押しがありますからね……「真友がクラスに受け入れられるようにしたい」「そのために互いにリスペクトしあう形に持っていきたい」高麗川さん、善なるもの。
それに対して「不可能に近い」と言いながら「泣いた赤鬼」を挙げるサジも示唆的です。青鬼にヘイト向けて赤鬼、真友に倒して貰えばリスペクト稼げますからね。一巻終了から二巻半ばにかけては、サジにかかっていたあらぬヘイト・恐怖を真犯人として真友が引き受けている形になります。
誰か悪役にして真友をヒーローにすればいい、というのは即物的ですが具体的にどうするかというと方策はないわけで、「不可能に近い」わけです。スケープゴート使ってマッチポンプなんてそもそも真友が喜びませんからね。高麗川さんが採用できるわけがありません。
テスト対策部の小さなよさ
黒山さん付き合ってくれるサジにカフェオレ買ってきてくれるんですよ。サジは当然カフェオレから具体的な円通貨に繋がりかねない応報を拒否して、何も見返りを求めない、もしくは結果を出せ、という風な態度をとるわけで、サジらしいんですけど、鯖缶の話から振り返るとああああ! ってなりませんか。ドスケベ再読爆弾。
事件起こりすぎだろ事件
ここまででも、割と複数の話が走っているわけですが、サプライズ賓頭盧四田事件で「は?」と思考が飛びました。
裸身を晒して御利益があるから触れろと善意で主張する四田。ドスケベ催眠の結果以外のなにものでもありません。
いや、もう状況はパンクしてるんですけど? その前のモノローグで割とサジがハードワークになってきてるの示されてるんですけど? 何? って呆然となりました。
真友は当然ですが犯人ではなく、初代は死んでいるので、つまりドスケベ犯人が別にいるわけじゃないですか。ドスケベ催眠ミステリーの始まりですよ。最悪。バカでしょ。
何が最悪って、こういう事件が起きれば当然想定される犯人は真友ですからね。真友がやるわけないですが、普通に考えて真友しかいません。もちろん、真友なら記憶を消すなりなんなり「もっと上手くやれる」わけですからわざわざ針の筵に座る理由が普通に考えてないわけですが、異常者の考えなんてわかりませんからね。こわ……ってなる異常事態に、それができるやつ一人しかいないなら、普通にそいつ疑うのが合理的です。
不穏になる空気で、シンプルに状況だけ見るなら真友が四田を止めてくれた、ただ文脈が乗りすぎていてシンプルに見えない状況で「助かったぜェ!」してくれる有村、お前が光。この学校光多いな? 二巻の犯人候補としてある程度有村には注意していたのですが、サジがかなり注意を向けていたのでなら有村は外してくるか……と行儀のよくないし、信頼性のないメタ当てずっぽうで不当な疑いと不当な「有村ではなさそう」を持っていた僕の中でのちゅうぶらりんの有村でしたが、読了して振り返ると本当に君は好漢だ……
イカレタスク状態なので、合理マンのサジがタスク管理を開始するもの道理です。理に適ったことする……本当に……過労でおつらいでしょう、って笑いながら心配してました。
事案A:水連の催眠解除
事案B:黒山さんの赤点回避(事案Aの助けになればよし)
事案C:辻ドスケベ催眠事件
さすがにバカのタスクです。ここで契約書にしている「真友一人で催眠術使えない問題」や「真友教室で浮いてる問題」を今処理するタスクではないと排除してるのもしっかりしています。しっかりしてるなあ……契約の相互協力もあり、自分に火の粉が降りかかる可能性もあるのでCを最優先、次にB、AはBとして対処しているので観察、とした上で可処分時間を事前に配って計画するのが、本当にしっかりしているのですが、ハードワーカーサジ。サジはハイスペックなので処理できる量のタスクは処理できます。そっかぁ……多忙だというサジくんの一言が重すぎます。多忙にも程があるでしょ。平行させる話が多すぎる! これまとめたのバケモンでしょ……
上質な変態
2巻まででの情報量が抑えられているので、何も考察はしませんが、半田が起こした上質な変態、ドスケベニュータイプは割と気になっています。真友の童貞卒業は穏当な仕事で、ササッと背中を押して補助輪つけるようなものです。上質な変態は、ドスケベ催眠術により普段やらないことをしたところ、新しい自分に気づいて自身のあり方がガラッと変わることです。
サジの合理主義や真友の向上心は長い時間をかけて本人に根ざしています。真友の二代目ドスケベ催眠術師としての童貞卒業も、催眠のあともあくまで自分のものとして根ざすことを期待して行われるものです。つまり、自分のものとして根ざすために結構な蓄積がいります。
ですが、上質な変態はたとえば露出癖の種があった人にドスケベ催眠術をかけて露出させてもう露出しなくていいと戻しても、蛹から羽化してしまっているので、スポット的なドスケベ催眠術で劇的な変化が起きます。
初代はこれをやらないと一巻のビデオレターで述べています。二代目は将来が楽しみと述べています。
ここから何かを予測することはしませんが、上質な変態ってドスケベ催眠術師と社会、そして個人の生き方について滅茶苦茶一般的な問題を孕んでいそうで、つまりドスケベ催眠重要ポイントなのではないかと思ってはいます。
ドスケベとは……ドスケベニュータイプとは……人と癖とその決定とは……ドスケベ催眠とは……
ここら辺からサジの瞼がピクピクしだすのがお労しやサジ……もう疲労の限界……
時々視界がぼやけたりやたら眩しさを感じたり瞼ピクピクするのがいつものことなのは、いつものことではあってはいけませんからね。
だからドスケベ催眠術師をサジの近辺から排除する必要があったんだね! ステイ。
有村と黒山さんとサジで糖質は頭回転させるために大事だけどバカの摂取すると眠くなるからなあ、って成績優秀者同士が適切に活用しようって話してるところにパクパク食べてる黒山さんが可愛すぎますよね。本当に黒山さんかわいい……好き……
あとここで黒山さん得意の(本人的には自信ない)保健体育で「勝負」を仕掛けてくる2位の有村マジで好きすぎます。お前が好漢。サジの類友を思うと、サジの職友が悪いやつなわけないですからね。
この場面で黒山さんに「ツンデレ」と呼ばれるサジ君に初見はニヤニヤしてたんですけど、今は甕川水連マジで……サジもだぞ……って思ってますからね。ふ、ふざけやがってー!!!!
真友!?
僕がリスペクトしている高麗川さんにドスケベ催眠術をかけやがって……犯人許せねえよ……高麗川さんは本当に良い人でなあ、発話からドスケベワードを見出して叫ぶような人じゃないんだよ。
「真友!?」
高麗川さんかわいそ……真友かわいそ……
ここからメールと単発の動画からなる催眠アプリによる犯人の影が見えてくるんですよね。
そして、二つの事件は「痴女装濡」と「擬音精射」が用いられていた。当然、ここから平家物語が想起されるのであり、ドスケベ催眠術には四十八手に含まれないレガシーとして平助物語が存在することが明かされます。
「祇園精舎」
「諸行無常」
「沙羅双樹」
「盛者必衰」
ドスケベ催眠術有識者でなくとも、ここから「沙羅双樹」と「祇園精舎」が使われたから「諸行無常」と「盛者必衰」が来るだろうことが予期されます。そして「賢者必衰」と「諸行無情」の存在が当然のように明かされます。
そう、この辻ドスケベ催眠事件ミステリーは!
見立て辻ドスケベ催眠ミステリーだったのだ!
やめやめ。おわり。おわりでーす。おわりおわり。バカの発想。そして変態はいなくなった。
ミステリ村だとバカのミステリは日常茶飯事でしょうが、ドスケベ催眠青春村だと見立て辻ドスケベ催眠ミステリーは異常事態ですからね。村民が違うんです。見てくださいよこの村の惨状を。
罪のない人にドスケベ催眠術で不幸をばらまきやがって!
あろうことか低品質で文化を軽視する催眠アプリだなんて!
犯人、許せないぜ!
ここで解決策として「催眠アプリを使って低品質なドスケベ催眠を使う雑魚が相手なら二代目が負けるわけがないので、全校生徒にドスケベ催眠をかけて犯人に自白させる」という一撃必殺が可決されるのがえげつない。見立て辻ドスケベ催眠ミステリーに付き合う気がないすぎる。
マジでここからの黒山さんの衰弱の仕方、ドスケベ催眠術かかってるんじゃね……? って思って、ミスリード有村とあわせて上手い~! って無限に感動しています。辻ドスケベ催眠ミステリーにドスケベ催眠術してまともに付き合う気がないやつらを見せつついいや辻ドスケベ催眠ミステリーに付き合ってもらう、する読ませ方がえげつないです。
このへんで、「あ、ガチのマジでヤバいなこの事件」って思い出しました。判断が遅い! 既にやべーこと起こりまくってんだよ!
「公開処刑みたいなのはなぁ……」って有村の姿勢が疑いを匂わせつつ、君は本当に好漢……好かないけど引き下がるしかなくて、生徒会長としては罪を憎んで人を憎まずで綺麗に片付けられそうにない感じで忸怩たる思いだよなあ……有村、ドスケベ催眠術師や謎の催眠アプリ疑惑がある学校で普通の生徒会長としてできる範囲で何かよくしようって頑張るの、大変だよな……有村はすげえよ……
リスペクト
第三の事件! バカ!!!!!!
割と声が出ましたね初見。絶対既に出てきた人物の中に犯人いるでしょうに、第三の事件が起きますからね。バカ野郎!!!!
でも、ここで助けられた大将が真友にお礼を述べるのがマジで良いシーンなんですよ……真友も謝ってさあ。
ドスケベ催眠テロを起こしてしまうこともあるけど、正義のドスケベ催眠術師として頑張って、ドスケベ催眠オブリージュの精神でコンプラ意識高くやってる真友に歩み寄ってくれる人が少しずつ出てきて、高麗川、俺、嬉しいよ……
何が良いって、この過程にサジが関与してないんですよね。真友がちゃんとした二代目としてきちんと頑張っている姿が、きちんと認められていく。本当にしみじみと良いシーンです。
その結論は変わらないのですが。ここには確かに輝かしい価値があるのですが。大将も真友もいいやつだなあって思うのですが。
マジで甕川水連
催眠アプリ
計画通り事は運んで、犯人は黒山未代だったのですが、誰もが思うわけじゃないですか。
そんなわけねーだろ!!!!!
実際に黒山さんはアプリを作ってURL付きの動画を送っているわけですが、あの黒山さんですからね。善良ですし、何より鉛筆コロコロガールです。事前に情報開示されていたとおり、アプリ開発の能力もありません。サルとタイプライターとシェイクスピアのたとえのとおり、開発できる可能性はゼロではないとしても、現実的に考えて黒山さんは消えます。
なので「一体何が起きているんだ?」となります。
辻ドスケベ催眠ミステリーにドスケベ催眠術したら、拒否られて辻ドスケベ催眠ミステリーされるの地獄でした。
だって黒山さんじゃないじゃん!!!!!!
有村の嫌がったとおり公開処刑ですし、最悪なことに黒山さんじゃないですからね。
ここで真友がクラスメイトにヒーローとして受け入れられるわけですが、伏線回収じゃないですか。泣いた赤鬼じゃないですか。黒山さんが犠牲になってますからね……
合理主義
辻ドスケベ催眠ミステリーはドスケベ催眠術で終わりました。
そのエピローグの向こう側でぽつんと一人になっている黒山さんは、見ていられるものではありません。大勢として「事故」であり黒山さんに故意はないという認識ですが、故意を見ている人もいますし、故意がなくても危険だという意識もあります。たとえ真友にきっちり封じられていてもです。故意がなく、あまりにも偶然性が高いことが実際に起きてしまったからこそ黒山さんが怖いということもあるでしょう。なにせ、黒山さんの意志と無関係に何か起きうるということですから。それは悪意を持っている何かより離れておきたいものです。いつ爆発するか誰にもわかりません。黒山さん本人にも。悪意ある人には悪意という兆候がありますからね。
そんな黒山さんに対して、サジは「テスト対策部」としてのサポートを継続します。彼は合理的だからです。黒山さんは悪事を犯していませんし、サジにドスケベ催眠術は効きません。水連に成長を示すという目的もあります。となると合理的に考えて黒山さんへのサポートを中止する理由がありません。
なので、「お人好し」と黒山さんに初めての評価をもらっても、サジとしては疑問の残る評価です。合理的に考えて黒山さんを見捨てるのはおかしいのですから。
「では、佐治くんのその合理性に感謝ですね」
回収がえぐすぎました。利己的な合理主義で固定する、という初代の枷は外れているのですけれど、合理性それ自体は悪いものではない、むしろきちんと使えば誰かを救えるものだと改めて肯定されて黒山さんへの気持ちがおかしいことになります。
そう、ドスケベ催眠術も合理主義も使い方なんだ……!
いや、マジです。真剣に。ガチで。これは本気の話をしています。
ここから、「絶対に何かおかしい」とサジが「真実」へ向けて一人動き出すのが終盤の熱さの塊でした。
バックアップされている催眠アプリの確認について、「誓約書」で自らが全責任を負い黒山さんに不都合を犯さないことを誓約するの強すぎます。「全文自筆の誓約書」のパワーは契約マンなら誰もが知るところのものです。黒山さんは正確には知らないでしょうが、サジが知らないはずはないでしょう。ヤバいパワー持つもん書いてますからね……誠実性の証明としてこれ以上ない……「全文自筆の誓約書」はヤバイんですよ。みなさんも安易に書かないでくださいね。マジで。想定しない状況でこれ書かせてくるやつがいたら、まず「敵」だと「仮に」思ってください。どんなに信頼できる相手でも、「まあありえないけど敵として」その場合を想定しつつリスクを計算してください。「全文自筆の誓約書」はヤバイです。それを自分から書いてるんですよ、わかってるやつが。
ここから真昼間に繋がるのもグランドルートかな? ってくらい「皆」を使ってきてびっくりしました。事前にそういう技術的な伏線まいていたので、真昼間が信頼できる人間であり、かつ技術面で確認してくれる相手として存在する力に真昼間……ありがとう……全てに……ってなります。真昼間のつけている猫耳に値するお友達永遠であれ……
ここで「このURLにページ設定がされた形跡がない」ことが明らかになって、黒山さんが完全にシロで確定することで、催眠アプリなど「なかった」、ドスケベ催眠術師がいることがわかり、アプリが置いてある共有ドライブのメンバーなら送信履歴を誰でも確認できるというカスのセキュリティが判明し、ここまでくればさすがに誰が激烈怪しいか判然としまくるというものです。
甕川水連
全ての状況が甕川水連を真犯人として濃厚にしています。さらに、えげつない情報開示でサジはダメ押しします。それは「催眠術に対する体の拒否反応」で、甕川水連と接触したときの胸の高鳴りとはつまりそれだったのではないか、というものです。
サジの示した全ては状況証拠で、疑わしきは罰せずに持っていくことができます。
けれど、もし甕川水連が犯人であり、ドスケベ催眠術師であるならば、その技術は古く劣っているため、二代目ドスケベ催眠術師が本気で自白を強制すれば全てが明らかになります。シロであればドスケベ催眠術を受ければよく、クロであれば二代目に技術的には勝てません。
水連は合理的に考えてあっさりと自分が犯人だと認めてくれます。
ドスケベ催眠術師ハンターであり、人一倍彼らが嫌いだとも。
水連には解決すべき課題がありました。初代は「合理的に」なるようサジにドスケベ催眠術をかけましたが、水連に言わせればその生き方はいいものではありません。けれど、「利己的で合理的」になったサジが父親を許せるとも思っていなかったので、サポーターという名目で近づいて技術を磨き続けました。天才。
真友がサジのドスケベ催眠術を解いたのは別に良いです。自分がサジから遠ざかったことと同様、それ自体は問題ではなく、むしろ解けたことは喜ばしいことです。
けれど、ドスケベ催眠術師の傍にいてはドスケベ催眠術師の子であるサジは幸福にはなれない。なので、遠ざける。当然自分も技術を身に付けた以上ドスケベ催眠術師なので消える。
サジからドスケベ催眠術師を遠ざける方法が周到です。嫌悪はしていても、合理的に動いているのがさすがサジの憧れになった人。
真友に濡れ衣がかかればそれでよし、ヒーローになればクラスに受け入れられ、トラウマが緩和していく。二人の契約を終わりに近づけられる。なのでどうなってもよし。
信義則に従う必要はなく、友好的であろうと鬼と仲良くする必要はない。自分を含めてドスケベ催眠術師とは遠ざかるべきである。
甕川水連はサジ本位でシンプルに結論づけています。
サジの幸福の邪魔になる自分を含めた全てを排除する。甕川水連は普通に生きる気も、幸せになる気もない。
黒山さんには何の悪意もないものの「ちょうどよかった」ので利用しただけ。本当にそれだけ。
そして、「全てを暴露したこと」にも合理的な理由がある。
サジが暴露した場合。
甕川水連は責に問われる。クビなどで職場から飛んでもおかしくない。
黒山さんは暴露してもしなくても可能性として不穏と恐れられる。
真友はヒーローから無実の人を吊し上げたバケモノになる。
サジは真友の共犯として火の粉がかかる。
暴露しなかった場合。
水連と、真友と、サジが平穏。
黒山さんはスケープゴートだが、結局のところ待遇はさほど変わらない。
むしろ学力が合っていないので、上手くやってくれる本校の転校のサポートを受けて相応の学校に行った方が実力的に本人のためだし、針の筵からも逃れられる。
つまり、最大多数の最大幸福を考えた場合、サジと水連が共犯になった方がいい。
ここまでをやるために「全て暴露」する。
それに対してサジは「合理的」だと判定を下しました。
「悩め」
もちろん、黒山さんを見捨てるといってもデジタルにやるわけにはいきません。それでは薄情者のそしりを受けてしまいます。ゆえに、手を抜く必要があります。サジはそれをやります。
勉強時間を削るために雑談もします。
けれど、その中で「こんなに苦しんでもここに残りたいか、転校でいいんじゃないか」という「サジならそうする」だろう言葉を受けて「残りたい。頑張る。周囲は良い人で、今がきつくてもよくなる」と黒山さんは断じています。
耐えられなくなって「自学に集中したいこと」を理由に「昼の時間」から逃げ出すサジはかなりきついものがありました。サジ、メンタルつらいよな……
黒山さんは本気でここに残るつもりなので、サジが得意とするマターナリスティックな誘導も効きません。パターナリスティックに意に反する転校に落とすかどうか、彼に突きつけられたのはそれで、つまり責任逃れはできず、非常にきついものです。
二巻で本筋から外れたところにいる、あえて水連に外され、クラスの方へ受け入れられていくように仕向けられ、脇にいる二代目ドスケベ催眠術師は、「もう少し悩んだ方がいい」という非常に大事なアドバイスをします。
基本的にサジは悩みません。計算に時間を要することはあっても、合理的なモデルと目的があるので、必要な入力をすれば適切な処理が吐き出されます。
けれど、それはドスケベ催眠術にかかった状態のサジならです。今のサジはそのような人間ではないので、不合理な選択をする余地があり、不合理であるから悪であるとは一概に言えず、選択の幅は広がったのだから悩むよう促します。
利他的に合理的にやるのは既にやれます。ただ、合理を外れるのは非常に拒否感が強いものです。適切な処理がわかっていて、あえて不適切な処理を選ぶのは苦痛です。自分だけの話ならまだしも、複数の他者が絡む関係性の編み目の中で不適切な処理を行うとなると自分のことで完結しないので更にきついです。
そこを「必要なら悩む」よう上手く言葉を操って背中を押す二代目ドスケベ催眠術師は、「そういや元々この子宗教の人だったわ……ドスケベ催眠術より前に催眠術でやらかしてるだけあるわ……頼りがいあるなあ!!!」と平べったい胸に無限の心強さを感じました。一巻のサジによる真友の誘導が「初代の息子!!!」と頼りになったのと同様、使い方だよなあ……としみじみ思う背中の押し方で二代目……貫禄がある……
あの日の水連
合理的に考えて何も悪くない黒山さんが、本人の望まない状況に、周囲の力で追いやられている。それは、あの日の「ドスケベ催眠術師の子」と同じ。その姿でサジがダメージを受けるのはきついよなあ、と共感しました。
そこから、「今ここで黒山を切り捨てたら」「手を差し伸べてくれたあの日の水連」を否定することになると繋がる点で読んでいて感情がぐちゃぐちゃになりました。合理的に考えて、そうなってしまいます。水連と共犯すると、あの日の水連の否定をすることになり、それはサジには到底受け入れられないものだった、という決断が、サジの歩みを進ませるものとして機能しているのが非常に揺さぶられました。脳が焼かれる音しかしませんでした。
ずっと伏せられていたあの日の水連の言葉が「なら――、どうにかしよう」だったのはそれは絶対に今のサジには否定できないものだとしゃーない! しゃーない!!! という納得しかありませんでした。あの日の水連がそう言ってくれたのを、枷の外れたサジが無碍にできるはずがないです。無理無理。それは無理。頭佐治沙慈じゃないと無理。それをしてくれたお姉さんを否定できるボク君はおらんのよ……
困ったときのドスケベ催眠術。「本気で勉強する」という意志を自力で継続することはどれだけ本気でも人間には難しいです。けれど「ドスケベ催眠四十八手――童貞卒業」ならそれができるということを、真昼間や高麗川さんで既に知っています。困ったときにササッと助けてくれる二代目ドスケベ催眠術師……やっぱりドスケベ催眠術師は胸を張れるお仕事だったんだ!
研鑽を怠らずDSKBサイクルを回して腕を磨いていた片桐真友に感謝です。ぬぅ、またドスケベ催眠術の品質が上がっておる……いや、なにひとつわからんが……
ここから猛勉強なんですけど、以前に述べた鯖缶ですよ。178円税込み。サジの方からこれ持ってきてくれて金を取るのが、あの日の黒山さんのカフェオレを思い出して呻き声しかでません。サジ×黒山さんで無限に白米を食える。スーパー鯖缶トークしてるサジ、可愛すぎますからね。一回離れようとして戻ってきて、晴れ晴れとした顔で自分を助けてくれながらめっちゃ楽しそうに鯖缶トークしてくるの、さすがに好きじゃないの無理がありますからね。さすがにサジが黒山さんを好きすぎる。これで見捨てるのは無理。
自動販売機と水連
ノーサイドで黒山さんを含めて三人分の飲み物を買ってくれる水連で、さすがに最初の黒山さん、先程のサジ、と照らして呻き声しか出ません。
サジが赤子の頃から水連は一緒だったという情報開示は驚いたというより、ずうんと重力が10倍くらいになった気分を受けました。静かに重い。
やりやすいから人当たりのいい明るいお姉さんやっている水連の根は沙慈君みたいな姿、というのはなら赤子の相手は大変だったろうなあと察するに余りあります。
ただ、そういう人マジで子供に好かれるんですよね。あと動物。自分の好意に振り回されず、相手に対して適切な処理を吐くので……具体的には猫とかの扱いがバチクソ上手いです。
沙慈君も何故か預けられた先でおじさんおばさんではなく水連に懐きまくっています。水連からしてみれば「苦手」な印象で、おじさんおばさんも水連が構ってくれるならちょうどよいのでそのままにしています。
最後に一緒にお風呂に入った記憶がないのも当然というか、文字通り物心つく前なのでマジか過ぎます。でも今めっちゃ大切な記憶なのもわかります。地雷踏んだ二代目……不幸な事故だった。事件だろという甕川水連の圧は見ないことにします。おれは二代目に甘いので……
「いい迷惑だった」と当時のことを覚えている水連は、けれど「嫌ならやめる」と内面を見抜いた上で懐いている沙慈君を「手のかかる弟」のように思うようになり、つまりそういう意味で愛しているのであり、つまりガチラブは冗談であり姉弟愛であり安心であり「赤子時代から知っているガキに手を出す気満々のブラコンのやべーやつ」をカミングアウトしてくるのでアウトでした。サジ、真友、常人が異常者をシミュレートするつもりで高校生の自分が小学生を相手したときの恋愛を意識しても無駄なんだ……相手は異常なので……
作文の後のサジを2巻冒頭で示されていたとおり「合理的」という言葉を用いて救ったのは水連です。「どうにかしよう」と言ったのも。
水連は本気でどうにかしようとして、その前に動いたのが初代で、サジが父に言ったのが「水連みたいに合理的になれば、大丈夫」というもの。直接的にそうしてくれと願ったわけではなく、サジがそう望んだので、解除条件つきで初代はそうしたのですが(クソボケ親子! でも結果オーライだし初代は頑張ったよ……見てくれこのサジと二代目の頑張ってる姿を……ちゃんとしようと思ってあんたがあんたなりに頑張ったおかげだよ……)、水連は「水連のように合理的」になるのはいただけないとして解除のために動き出しました。
水連にはドスケベ催眠術がかかっていますが、それは彼女が初代に頼んだこと、というのはこの場面での静かな告白を見ていると「絶対そうだと思ったよ……」という確信しかありませんでした。サジのために頑張るために、火を絶やさない最もシンプルで合理的な方法はドスケベ催眠術で気持ちを維持することですからね……
あー……と無限に頭を抱えました。水連、頑張ったなあ……
それはそれとして甕川水連!!!!!!!! お前ここでサジの「間違い」を指摘しないのマジ!!!!!!!
まあ、ぎくしゃくしてもよくないし、モチベにかかわるし、もうノーサイドだからそういう邪魔になっちゃうのもよくないだろうし、テスト終わってからなのは、合理的……そうね、合理的……合理的よ……
サジもサジだよ!!!!! クソボケがーっ!!!!
サジと水連
今回はノーサイドではあるものの水連は「ドスケベ催眠術師の排除」という目的をサジのために取り下げるつもりはありません。
今も真友はクラスメイトと打ち上げに行っていて、サジはその事実を知らず、真友はヘルプ!!!!! となっているのですが、水連にしてみれば好都合です。良い感じに遠くへ行って欲しい。
サジが特別なのは抗体があるからなので、身近な誰かに抗体をつければ代替できる。そうやって代替させてサジを安全圏に移す。
水連は次の手を考えているのですが、サジは当然断固拒否です。拒否しかあり得ません。水連が自発的に気づくのは無理でしょう。ドスケベ催眠術でサジ本位の考えになっているので。
サジは片桐真友は悪くない、自分の人生を歪めたのは山本平助であって、合理的に考えて片桐真友に累が及ぶのはおかしいと判断します。
けれど、合理的に考えて悪かろうが悪くなかろうがリスクのある相手は遠ざけておくのが安全です。
「ドスケベ催眠術師」はそれ自体がリスク。鬼。危険。絶対に近づかないのが人生を歩む上での合理的戦略。何もないかもしれないが、ドスケベ催眠テロはいつ起きてもおかしくない。自分にドスケベ催眠術が効かなくても、波及した火の粉が及ぶかもしれない。
けれど、合理的に考えてそう結論づけてしまうとサジは一つ合理的に導出しなければならなくなります。
甕川水連を排除しなければならない。
サジはそれが絶対に嫌です。だから、かつての父のような排除すべきドスケベ催眠術師とそうでないドスケベ催眠術師を切り分けます。たとえ人生を歩む上での安全策でないリスクであっても、それは承知であると指差し確認でしっかり危険を直視した上で、排除しなくていいドスケベ催眠術師を受け入れる覚悟です。水連を失うくらいならリスクを飲んだ方がマシ。
たとえドスケベ催眠術を使える危険なドスケベ催眠術師であっても、水連は水連。
優しい合理主義者。
佐治沙慈の憧れ。
それが間違いだという水連に、酷い勘違いだとサジは一蹴しています。
公園を思い出しました。サジの悩みを一蹴した水連のような。
サジの認識は断固として揺るがず、あの日手を差し伸べてくれた水連は間違っていないし、救ってくれたのだし、感謝している。
人情がない、酷い性格、外からみれば不幸な人生。
周囲の評価を「そうかもしれない」とサジは受け入れた上で「満足している」と断言しています。水連に憧れて今の合理主義をやっているサジに後悔は一度もなくて、だからあの日の水連は間違っていないし、誇ってほしいというのは、水連の差し伸べてくれた手の肯定で、不合理な選択をしながらも、水連の優しい合理主義を断固として肯定して、ドスケベ催眠術師をドスケベ催眠術師だからという理由で遠ざけないのと同様に、否定するつもりがありません。
ここで思い出されるサジの「覚えていること」に「胸が高鳴った」ことが含まれているのは「そういうことかよ!!!」という三重の驚きを受けました。
最初顎クイされてドキッとしたサジに「サジが!?」と驚いて、ドスケベ催眠術を使ったんだろうという推理で「うっわ……」とえげつなさを覚えて、この場面で「だから比較できたのか……」と綺麗に落とすのが天才の手法です。言わぬが花なことをくどくど書かないのが本当に完璧……天才のモノローグか? それは当たり前、ドスケベ催眠術師の子なので……そしてそれをちゃんと終わらせるので……甕川水連はサジのドタイプというかサジの癖を作り上げた人なので、そんな人に顎クイとかされて本当に何もなかったのか、反応以外の衝動も実はあったんじゃないか、なども含めて何も言わないのがよすぎます。
赤子の頃から見てきて、面倒に思っていて、やがて手のかかる弟のように扱うようになって、傷つく姿を見て、守ろうと頑張っている子にしっかり頑張る姿を見せられたら、それはもう姉として「強くなった」と認めざるを得ないもので、それはもう誰だってそうです。草葉の陰で平助も百万回頷いてるでしょう。
合理的に考えて水連が上手くことを運びすぎたので全部ゲロるわけにはいかないのですが、さすがに黒山さんには「ごめんなさい」をしないといけません。
その通りだぞ甕川水連、と腕を組んでサジくんに同調していた僕です。
甕川水連は一緒にごめんなさいしにいくのを滅茶苦茶渋るので、逃げられんぞ、の精神になっていたのですが、滅茶苦茶渋る水連が最後の情報開示をしてくれます。
水連がサジを助けた。あの公園で水連がサジに手を差し伸べたのは初代の催眠前のことです。その時から水連はサジが好きです。水連の行動には「(サジが好きだから)なんとかする」があります。
で、サジは「水連に憧れて、あの日の水連を肯定するために、あの日の水連が正しかったという合理的な証明として、水連エミュ」をしました。
行動だけ見ると「求愛行動」の模倣です。
サジが「勘違いするなよ」と言いながらやっていることは「求愛行動」なのです。そりゃあツンデレに見えるわなあ! 「求愛行動」してる上で「勘違いするなよ」言うのだから!!!
『悩め』
二代目。二代目。ちゃんとアドバイスしたのにバディがやらかしたらしい。クラスメイトにもみくちゃにされている二代目。二代目ー?
黒山さんが「佐治くんは私のこと好き、私に学校に残って欲しい」と「ハイパー乙女な勘違い」をしていても無理はありません。なんといってもスーパー激重ブラコンお姉さん水連の「求愛行動」のエミュです。お前……お前、なんてもの真似てくれたんじゃ……お前の能力でエミュると洒落にならんのじゃ……
「サジの匂いが癖になる」「同じものを食べようとする」
見てきたようにヤバい「兆候」の例を挙げる水連が怖すぎます。いや、思い出してきた。水連は怖いお姉さんだった……その水連が黒山さんは性格が歪むくらい相手を好きになるタイプと言っているので本当にやべーです。
水連が言うなら洒落にならんなあ……色んな意味で……
「ときめきギルティ」、佐治沙慈は悪いやつかもしれません。
サジの手をとって楽しげに謝りに行く水連の催眠術が解けているのかいないのか、「嫌いになるか、試してみたら?」と合理的に確認出来るテストを太陽のように笑って告げるのは、最強すぎて完全敗北でした。
サジ君×水連……
謝れ!!!! 黒山さんに謝れ!!!!!!
だから今から謝るんじゃないかそれを含めて……それはそう……
そこまで含めて水連お姉さん、黒山さんに対し「サジ君は徹底的に水連お姉さんのことばっか考えてたのでこっちが優位だが? ん???」ってなるでしょうから、甕川水連――っ!!!!!! となるのですが、ブチ切れると甕川水連有利を認めざるを得ないのでおれの中のサジ君×黒山さんはフーッ、フーッ……ってなっています。ここで動けないのも甕川水連の掌の上ですからね……マジでどう動かれてもいいようにしている……にこにこ合理主義ミステリアス再会ブラコンお姉さんがよ……サジ君×黒山さんには無限の可能性があるんだからな……サジ君がクソボケなのでサジ君のモノローグを常に疑っていることも含めて……! ナメるなよ……!!!! 威嚇。
サジ君の好みのタイプはただでさえ甕川水連のせいで甕川水連なんだぞ、いいかげんにしろ……
僕の好みのタイプは後輩であったり実妹であったり、儚げな痩身矮躯、つまりは二代目であったりと、そういう方向性なはずなのですが、特殊行動されてさすがに甕川水連のこと好き過ぎるので、2巻の表紙に知らん女がいることに納得しかないです。
甕川水連なら、2巻登場で2巻表紙飾っても仕方ないよ……学生主軸のストーリーでスクールカウンセラーのお姉さんが初登場で表紙飾ってもしょうがないさ……甕川水連だもん……
まじふざけんなよ……
甕川水連のおかげもあって(副次的被害がデカすぎる!!!)クラスに想定以上の速度で溶け込みはじめ、あっぷあっぷしながら今回はサブで社会と少し溶け込めそうかな? どうかな? 溶け込めるの、いいことなのかな? どうだろうね……? いずれにせよ俺は真友を応援したい……! な真友の今後も気になります。
本当によいものを読みました。
ドスケベ催眠術と合理主義をめぐる真剣なストーリー……
甕川水連マジふざけんなよ……
このお姉さん顔面が美人すぎるし胸大きいし黒髪サラサラロングだし目綺麗だしその服装に白衣は反則だし何を持ち得ない……? 赤子の頃から接してきたガキを激重で好きにならないという通常感覚を持たない……
このお姉さんの全ての情報を摂取した上でイラストの数々を見ると完全に脳がバグっていく音がします。なんだよそのダブルピースは……
二巻捲っていきなり知らん人たちの紹介から始まって愛着しかないのおかしいですね。ドスケベ催眠術を食らったのでは……食らったのはライトノベル。
昨日読んで今日ずっと悲鳴をあげているのでさすがに体力の限界です。
土日がドスケベ催眠術師に奪われることってあるんだ……
それはあるだろ。相手はドスケベ催眠術師なんだぞ。
ひどすぎる……