風神と雷神
昨日、大学の先輩とその友達に会ってきた。昨日は先輩の友達と会うのが主な目的だったので先輩の友達と会って話して感じたことを書いていく。
先輩からその人は哲学者と聞いていた。
確かに哲学者だった。しかし、哲学者でありながらジャンプの主人公のようでもあり、大学生のようでもある。本人は「全部の性格を持っている」と言っていたが、まさにそんな感じがした。
人付き合いが良くて、誰とでも仲良くなれる。話す相手や状況に応じて自分の性格を使い分けカメレオンのようにコミュニケーションをとりながら、それでいて、なぜか本人の色ははっきりしている。
でもたまに分からなくなる。情熱的な松岡修造タイプかと思ったら斜に構えたりする。
あまり両立させられるイメージがないその2つの性格を簡単に両立させている人だった。要素はまとまっていないのだが、なぜかまとまっている。いや、人間力で強引にまとめている。
「面白いことをやりたい」と」自分の内側の感情を大事にしていながら、自分目線はほぼ持たず、他者目線を徹底する。
その人がどんな人間なのかというとそんな抽象的な表現しか出来ないのだが、ある意味(どっち付かずという意味ではなく)存在をはっきりと認識できない抽象的な人という感じがした。近いようで遠く、遠いようで近かった。
ここまで小難しく書いてきたが、ぱっと見は気さくな兄ちゃんという感じなのでとても楽しかった。自分たちがどうなりたいのか、何をしたいのか、愛とはなんなのか、なぜ自分たちは面白いと感じるかなど哲学的な話もしたが、鬼ごっこで骨折した話や自分で決めた練習メニューで自分だけ吐いた話、階段からこけて膝がえぐれた話など馬鹿みたいな話もした。
先輩もその友達もとにかく面白かったし、面白かった。あまりにも実力差がありすぎて嫉妬はしなかったが、1番未熟者である自分が1番努力できていないと言うことは悔しかった。
特に改めるべきと感じたのは自分が1番行動できていないということだ。
努力は積み重ねである。今始めて何とかなるものではない。
しかし行動は違う。誰でも今から始められる。凸る、とにかく凸る。凸ってダメだと思ったら凸る。それでしか行動力の差は埋められないと思う。
性質的に真逆に見える2人だが、行動力に関してはどちらも同様にとてつもないものを持っていた。
偉大な2人は生身の人間からすると風神と雷神に見えたのだ。