おめでたズに出会ったのは
⚠︎重い&長い話になります。読む方は覚悟してね。
出会ったきっかけ、ちゃんと書いとこうと思ったので。
昔から音楽が好きだった。母がピアノの先生だったこともあり、小学校・中学校でピアノ、合唱、マーチング、吹奏楽を経験し、高校では友人とユニットを組んで学祭に出たりしてた。大学に上がって、ひとりでやってみようと思い、弾き語りに挑戦し、頻繁に活動していた。それくらい、音楽というものは、自分の生きがいだった。
大学3年生になった頃、精神的におかしくなってしまった。親に勧められるまま進学したが、授業が合わないと気付いてしまった。親はもちろん卒業してほしいから「辞めるな」と言い、それでもどうしても学校に行けず、自分の感情が壊れてしまった。そして22歳、同級生達が卒業するタイミングで、大学を辞めた。今は後悔していないが、たまに在学し続けてたらどうなっていたかな?とは思う。
退学後、興味のあった農業法人や動物病院で働いた。職場環境は良くなかったが、それなりには楽しかった。しかし、2023年に入り、体調を頻繁に崩すようになった。4週間40℃の熱。しんどかった。何度も病院に通った。そしてある日、突然入院を告げられた。話を聞くと、指定難病らしい。耳を疑った。その話を聞いた日の夜、たくさん泣いた。父さんも母さんも一緒にボロボロ泣いた。あの日ほど悲しい日は経験したことがない。
入院生活は2ヶ月続いた。後から聞いた話だが、この時は生きていられるかギリギリの状態だったらしい。何とか退院することができたが、退院後も療養生活は続いた。もちろん音楽なんてしてる暇はなかった。少しずつだが体調も落ち着き、新しい仕事も決まった。入社して1ヶ月目、発熱再来。病院に行き、忘れもしない2023年12月25日、2度目の入院が決定した。人生は、こんなに上手くいかないのか?と怒りを覚えたし、逆にどう足掻いてもこれが人生なのだと痛感した。2度目の入院は今年2024年の4月末まで続いた。
生きがいだった音楽を聴くことも、することもしなくなっていた。友達が音楽イベントに出演するという情報を見ても、フェスに参加しに行くという話を聞いても、嫉妬すら生まれないほどに。僕にとって音楽は、無くてもいいものになってしまった。それに気付いた時、絶望した。絶望して、見ないふりをした。
退院して数ヶ月が経ち、ふとインスタのストーリーを見ていた時、急に素敵な声が聞こえた。今ならわかるが、バズったPLAYGROUNDのショート動画だった。アカウントを開く。足湯に浸かってラップしてる人の動画を見る(程々/シタバさん)。電気が走ったみたいだった。何だこれ、めちゃめちゃ好き。ここ数年1ミリも動かなかった感情が、動いた。そして、いろんな動画を漁り、聞けば聞くほど、どんどん好きが溢れていって、今に至る。
でたズの皆さんが毎日を祝ってくれたおかげで、 本当に救われた。毎日が楽しくてしょうがない。辛いこと沢山あったけど、祝い日和の今日が続いていけば、人生何とかなるなって思えるし、そう思わせてくれる心強い仲間が沢山いる。今が人生で一番幸せかもしれない。
音楽を、楽しむってことを思い出させてくれて、本当にありがとうございます!そして拾周年おめでとうございます!僕もこれから、沢山ガラクタを宝箱に詰めていかなきゃ!!