ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅を観た話
最近、『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』を見終わったばかりのため、
そちらを熱く語りたいところだが、まずはナンバリングの早い方からがセオリーかなと。
※ハリーポッターシリーズは全作鑑賞済み、
原作は『炎のゴブレット』あたりまで読んでいます。
(なんとて子どもの頃なので記憶が定かではない)
ハリーポッターシリーズの感想をここに認めるのはまた今度。
※息を吸うようにネタバレします。ご注意ください。
『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』は、2016年に公開された映画。「ファンタスティック・ビーストシリーズ」の第1作目にあたり、2016年11月18日に初公開された。 2013年9月に、「ハリー・ポッターシリーズ」の新作として映画化が発表され、全5部作予定である。 (ウィキペディア)
前作と今作
『ハリーポッターと死の秘宝part2』は2011年の公開だった。それから5年。『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅(以下FBと記載)』は、満を持して公開された、ハリーポッターシリーズ(以下HPと記載)のスピンオフシリーズである。
前作の壮大さ、功名といい重圧だったことと思う。
そんなものを吹き飛ばしてしまう面白さ、壮大なスケールがここにはある。
HPワールドを知っていても、知らなくても楽しむことが出来る、そんな作品である。
むしろFBからHPを観た方が分かりやすいのではないかとすら思える。 いやでも『ハリーポッターと賢者の石』は人類が皆読む教科書にでも入れておくべきほどの作品だとも思う。お好きにしてください。
ニュート・スキャマンダーという人
時は、ハリーが賢者の石でクィレルを倒すことから約70年前の1926年のアメリカまで遡る。
ニュート・スキャマンダー(演エディ・レッドメイン)は、ハリー達が使っていた教科書の著者だというのは、多分多くの人が知っているだろう。
ニュートは、喋れば早口、挙動は不審だが、優しさそのもの。魔法動物をこよなく愛している、「魔法動物オタク」なのだ。
(エディのイギリス英語が尚更そう聞こえるような気もする)
彼はホグワーツ出身で、在学中はハッフルパフ生だった。ハッフルパフ生の特徴は、勤勉、献身、やさしさ…など、ニュートそのものである。
彼は魔法動物に、魔法使いに、そしてノーマジ(マグル)に対していや、自分に関わるものに対して寛容で優しく、そして友好的だ。
グリフィンドール生とハッフルパフ生という、全く違う特性を持つハリーとニュートには、よく似たところがある。ハリーは、強い絆、愛(友愛)で敵に打ち克ち、
ニュートも同じく強い絆、愛で敵に打ち克つ。
ハリーは愛を受ける側だが、ニュートは愛する、絆する方という差があるように思うが。
魔法に打ち克つことが出来るものはやはり愛なのかもしれない。
その愛を持ってして救ってくれと願わずにはいられない。
クリーデンス・ベアボーンという人
FBシリーズの鍵を握る人物、クリーデンス。演じるのは私の今一番推している俳優、エズラ・ミラーである。最推しである。ウォールフラワーも借りて観た。脱線。
クリーデンスは、魔女叩きの養母と、同じく施設に入所する子どもたちと暮らしていた。オブスキュラスを求めるグレイブスと密会を重ねながら。
この関係性が、『ハリーポッターと謎のプリンス』にあった、ダンブルドアとトム・リドルの出会いのシーンを彷彿させるのだ。
孤児院で、特殊な能力を持つ子はホグワーツに誘われて闇の帝王とまで呼ばれる闇の魔法使いになり、
その遥か昔、史上最強の闇の魔法使いに唆され、孤児院で愛を探す青年はオブスキュラスを暴走させた。
前者は愛を知らないが故に愛に敗北し、
愛を知りたいが為に暴走した後者は、70年後の世界では、名前すら出てこない。
ダンブルドアは、きっとクリーデンスに対して後悔に似た念を抱いていたのだと思う。
最愛で最悪のゲラート・グリンデルバルトが彼にしたことを罪とし、同じような事を生むまいとしてトム・リドルに近付き、簡単に言えば更生させようと考えたに違いない。結果は、HPシリーズの通り。またしても救えなかった。
クリーデンスとトム・リドルには圧倒的な差がある。自ら愛を欲するか欲さないか。
ダンブルドアの最大の失敗は、クリーデンスとトム・リドルを同等と考えたことにあると憶測する。ここまで言ってしまうと妄想の域だ。
何の話だったか。
クリーデンスは、愛されたい無垢な子どもなのだ。
それを汚い大人たちがいいように利用しようとした。
救えるのは、きっと寛容とやさしさを持つ、ニュート・スキャマンダー、その人しかいないと言えるだろう。
しかし、ニュートが差し伸べた手を、クリーデンスは掴まなかった。いや、掴めなかった。
これがゲラートの罪である。
お気に入りのシーン
ニュートの魔法動物飼育小屋のシーンは圧巻だった。空間も質量も時間さえもそこにはない。これぞ魔法界と感じた。
HPで見たこともない魔法動物が大量に飼育されて(保護されて?)いる。時にニュートの力にもなる奇妙で愛くるしい魔法動物たちはニュートに愛されてそこで暮らしている。
オブスキュラスが街を破壊するシーンも圧巻だと思う。得体の知れない何かがなんの法則もなく、縦横無尽に手当たり次第破壊していく。クリーデンスの心の痛みそのものだと感じた。圧巻であると同時にひどく切ない。こんな演出があってたまるか。 胸が痛かった。
ニュート、早くその愛を持ってして、クリーデンスを救済してくれ…。
まとめ
人物にばかりフォーカスしてしまったが、FBはHPと対を成す存在だと考える。
ハリーとニュート、トム・リドルとクリーデンス。魔法に必要なのは、愛そのものなのだ。
ハリーにはハリーを取り巻く周囲との愛が、ニュートは取り巻く周囲とそして魔法動物達との愛がそれぞれの武器である。
愛の物語、今後の展開が非常に気になる。
★★★★★
よき。
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