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YOKE受託ラウンジ館長対談 国際交流ラウンジの今そしてこれから

― YOKE中期構想から、ラウンジ運営の今までとこれからを考える ―

YOKEでは、横浜市にある国際交流ラウンジのうち、なか国際交流ラウンジ、みなみ市民活動・多文化共生ラウンジ、鶴見国際交流ラウンジを各区から委託をうけて運営しています。
2018年に公表した「YOKE中期構想」での目標をベースに、3ラウンジの館長とラウンジ運営担当次長がラウンジの今とこれからについて語りました。

<参考>YOKE中期構想 ページ中ほどに掲載があります。

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中期構想が始まった2018年に比べ、ラウンジが置かれる環境や各区在住外国人の状況に変化はありましたか?

込宮:コロナで訪れる外国人数が激減しました。9月は緊急事態宣言下だったため、日本語教室が開催されていなかったことも一因です。さらに訪日外国人も激減しました。近隣の南吉田小学校*1では毎年30人ほど新しく外国につながる児童が入ってきますが、今年の4月から9月まではゼロだったそうです。外国人の住民登録者数も減ってきています。10万人を切りましたね。コロナで生活が苦しくなった外国人に、みなみ市民活動・多文化共生ラウンジ(以下「みなみラウンジ」)は社会福祉協議会が窓口の緊急小口資金についての情報提供などをしました。

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小林:多言語相談や学習支援で鶴見国際交流ラウンジ(以下「鶴見ラウンジ」)に来館する外国人は確実に減りました。鶴見区は沖縄から南米への移住者つながりの人たちが集住しており、在日コリアンをはじめとするオールドカマ―と1990年以降に来日したニューカマーが混在しています。最近はベトナム人やネパール人が特に鶴見区では増えています。

中村:中区役所では以前から「中区多文化共生推進アクションプラン」という全庁的な取組があり、現在は第二期です。このプランで、なか国際交流ラウンジ(以下「なかラウンジ」)は多文化共生の現場として位置づけられています。ラウンジは連合町内会や地域ケアプラザ等と連携して、言葉の壁や文化の壁を低くするため地域に入っているのも最近の特徴です。「中区地域福祉保健計画」の中でも、外国人との共生は大きなテーマのひとつです。具体的なラウンジの役割は、地域のイベントや防災訓練などへの通訳派遣やチラシやポスターの多言語翻訳などです。共生に取組む町内会や施設などからの相談にも対応しています。外国人の国籍別人口では中区もベトナム人やネパール人は増えています。

木村:コロナ禍となってから、3ラウンジともに相談件数や来館者が減りました。閉館期間や開館時間の短縮、対面を避けるためメールや電話での対応等の制約がありました。ただ、これらの対応を検証する必要もあると思います。外国人住民にとってコロナ禍での出入国制限、経済的な苦境があったことは確かで、むしろ潜在的な相談ニーズは増えたのではないでしょうか。東京都が期間限定で設置した「東京都外国人新型コロナ 生活相談センター」では、258日間で5,600件あまりの相談に対応しています。また外国人相談窓口を閉めなかった公的機関もあったと聞いています。今後は「声なき声」を聴く体制づくりが必要です。

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*1横浜市立南吉田小学校
所在地横浜市南区。「外国につながる子ども」が在校児童数の50%以上を占めることで知られている。

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この4年間でラウンジが一番力を入れてきたことは何ですか?

中村:多文化共生をどのようにイメージするかにもよりますが、地域との関わりでいえば外国人も自治会・町内会に入って欲しいという声を地域社会から聞きます。ただ、外国人にとっては自治会に入るメリットがよく分かりません。その辺りの説明は必要です。外国人が感じている最優先課題は、自身の日本語力です。横浜市外国人意識調査(令和元年度)によると、彼らの7割強は日本語を勉強したいと思っています。そして実際に学んでいる外国人のうちの7割弱は独学と回答しています。日本語を習得できる場所や機会が少なければ、日本語は上達しません。言語の壁を抱えたまま自治会・町内会に入るというのは現実的には難しいでしょう。やはり入口となる日本語能力は重要になってきます。ラウンジで開催する日本語教室は予算や規模など様々な制約がありますが、「生活者の日本語をどこまで支えることができるか」に力を入れています。日本語を入口にして、教室で学んだことを地域社会の中で活かしていくことで、自らが住む地域社会に対する愛着心や理解を深めて欲しいと思います。


小林:鶴見区では、2008年に「多文化共生のまちづくり宣言」を発表し、2010年に鶴見ラウンジが設立されました。以来多言語相談や日本語ボランティアの育成等、言葉のサポートに重点を置いてきました。外国につながる小中学生の学習支援教室も主催しています。ただスケール的には十分ではありません。2020年度から「多文化共生の地域づくり」という取組が始まりましたが、これまでサポートされる側だった外国人が地域で日本人とともに活躍する姿をイメージして取組を進めています。

込宮:多言語相談はラウンジの基本的な役割ですから、「外国人に寄り添う」という基本姿勢でいつも取組んでいます。4年前からは、地域での取組に力を入れてきました。それまでは多文化共生というと、言葉の壁などで生活面のハンディを持っている外国人を日本人がサポートするという図式でしたが、この取組は、文化の違う外国人との共生に戸惑う日本社会にも寄り添って、外国人も日本人も理解し合って共に暮らしていくことができるようになるというものです。生活ガイダンス、多文化お茶会、町内会のための翻訳・通訳などに取組んできました。


木村:この4年間は、地域での多文化共生の取組がラウンジの柱になってきました。みなみラウンジの地域への取組は5年目に入りますが、スタート当初は何をすればよいのか全く分からない状態でした。当時、地域での外国人との共生については参考事例もほとんどなく全国の外国人集住地域や団地の例を参考に具体策を検討しました。みなみラウンジの取組に戻ると、ごみの出し方や言葉や文化の違いについて日本人住民の中で戸惑いが出ていることから、南区と協働でラウンジが地域に入って行った経緯がありますが、南区役所、みなみラウンジ周辺の外国人集住地域が「モデル地区」になったことで焦点が絞れました。これが南区全域であれば対応は難しかったと思います。まずモデル地域で成功事例をつくり、漸進的に波及させていこうという南区の考え方は合理的でした。初年度は南吉田小学校の協力を得て、外国につながる子どもたちの保護者を対象としたアンケートを取り、その中からインタビューを実施したのですが、非常に高い割合で多くの方がインタビューに協力してくれました。また、町内会の月例定例会に参加することで、町内会のみなさんと顔見知りになることができました。やはり信頼関係を作っていくことがいちばんのベースです。その後町内会にヒアリングを行うことで、外国人、日本人の交流会へ結びつけていきました。このように、みなみラウンジで先行して地域との共生に関する取組がスタートしたことで相乗効果も生まれました。同時期ですが、中区の外国人集住地域の自治会の副会長Aさんから外国人住民の自転車の置き方や子どもの遊ばせ方について相談がありました。この時は南区の取組の経験を活かし、生活上のルールのチラシの多言語化、地域のお祭りへ外国人住民の参加を促すため通訳派遣をなかラウンジが担い、南区の隣接区としてのつながりを持つことができました。現在は相談のあった自治会の会長Bさんが連合町内会会長として中区、なかラウンジの地域共生の取組の窓口になっています。地域の住民の方々の共生のイメージは多様ですが、まずは出会いや関係作りが重要だと思います。YOKEはこれまでアウトリーチの機会が少なかったので、貴重な経験となっています。

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YOKE中期構想内「YOKEが描く2021年の横浜のイメージ」ついて、ラウンジの状況をお聞かせください。

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①自治会・町内会や学校の行事で外国人が活動に関わる機会が多くなっている。

中村:中区ではラウンジが地域と外国人の間に入るようになり、餅つき大会やお祭り、防災訓練などで通訳、翻訳のお手伝いをしています。入り込んでいるのは、Rainbowスペース*2の若者たちです。彼らは2009年にスタートした「中区外国人中学生学習支援教室」の卒業生で、現在はラウンジを居場所としてさまざまな活動をしています。地域貢献活動は複文化、複言語を携えた彼らの活動のひとつです。


木村:質問の視点を変えてみて「地域や学校の行事に外国人がどうしたら関われるか」としてみましょう。外国人が自然に参加できるということではないと思います。中区ではRainbowスペースの若者たちが通訳として地域に入って活動しています。でも彼らでも「今度〇〇地域でイベントがあるから通訳に入って」と言えば躊躇します。当日は、ラウンジスタッフや区の担当者など顔見知りがいてはじめて地域に参加できるのです。つまり外国人と地域の橋渡し役の彼らでも、「直接地域に入って」と言われると戸惑ってしまう。彼らと地域の橋渡し役も必要となるわけです。外国人とホスト社会の橋渡し役がラウンジの重要な役割で、橋渡し役はどれだけあってもいいのです。ところでRainbowの大学生が横浜市の成人式の実行委員会に誘われました。構成員は日本人だけなので最初は躊躇したのですが、ラウンジや区役所が彼女を後押しすることで参加を決心しました。南吉田小学校の餃子パーティの開催、外国人保護者の学校行事への積極的な関わりなど、学校は主体的に橋渡し役を務めてきました。


小林:キーパーソンを支援し活躍の場をアレンジするような取組を行っていくことが大切です。地域コミュニティに入らない日本人の若者たちも増えています。従来は親の代からその地域に住んでいて何となく身についていて自然と参加していたわけですね。いまは「一緒に何かやろうよ」というきっかけがないと参加してこない。外国人の場合は、コミュニケーションをとるための「言葉・文字」、これが障壁になるのです。まず言葉の壁を乗り越える必要があります。


込宮:コミュニケーションにはどうしても「言葉」が必要で、ここではそれが日本語となります。外国人の日本語習得は非常に大切ですね。


小林:外国人集住地域では、お祭りなどに多くの外国人に参加してほしいと思っています。しかし言葉の壁がある。広報も漢字ばかりで外国人にはわかりにくい。そこで私が地域の人に「やさしい日本語を使ってみてはどうですか?」と提案すると「いいですね」と返ってきます。これが多言語翻訳だとたちまち壁になってしまう。消防団募集のチラシもかつては漢字だらけでしたが、最近ではふりがなを入れるようになりました。そのような努力はホスト社会の役割です。

込宮:多文化共生を進めるうえでは、外国人の日本人社会への理解だけでなく、日本社会の受入れ体制や社会への啓発が必要ですが理念だけでは伝わりにくい。しかし具体的な手段を示すと「なるほど」と理解してもらえることがあります。そのツールとして「やさしい日本語」は有効なので、地域の人にぜひ「やさしい日本語」を知ってもらいたいと思います。私はかつて区役所に勤務していました。私のいた部署では「やさしい日本語」やふりがなも当たり前でしたが、外国人との接点がない部署にとってはそうではありませんでした。自分にとって「当たり前」のことでも一つひとつ伝えていくことが必要です。

② 定住している外国人が新たに来た外国人を地域に受入れるサポートを担っている。

小林:鶴見ラウンジでは日本語教室の学習者が支援者になる、学習支援教室の卒業生がサポーターとして活躍する姿を見かけます。また、ニューカマーの支援をしている外国人コミュニティもあります。先ほど話題になった言葉の面でも、サポートを受けていた人がサポートする側になってきていると思います。その顕著な例が「横浜市通訳ボランティア派遣事業」*3(以下「市ボラ」)ではないでしょうか。


木村:市ボラは単純な通訳ではなく、外国人が外国人を支える「当事者の支援サイクル」という側面があるわけです。これは非常に重要です。
小林:市ボラに登録してくれている方、概ね1000人近くになるのですが、このような方々が活躍する外国人の好例だと思います。


込宮:市ボラのような活動をしている人たちをもっとリスペクトする、行政も力を入れてこのような方々を民生委員のように公的な役割を持つ人として委嘱するくらいのことがあって然るべきではと思います。


小林:区役所との新規事業の打合せで、「こんにちは赤ちゃん訪問」で通訳ができる外国人を入れてみてはと提案したところ、大いに乗って来てくれました。通訳ボランティアの方々は志の高い人たちです。


込宮:市ボラにもっと手当ができればいいのですが。コミュニティビジネスのように生活の糧の一部になっていくことも必要ではないでしょうか。
小林:そういうことも考えてもいいですね。


日下(司会者):市ボラは横浜市の財産ですよね。


木村:市ボラは、外国人通訳者にとっては地域の理解にもつながります。日本人通訳の場合は外国人を取巻く状況が理解できる。コロナ禍で派遣件数は減りましたが、これまで年間3000件の派遣により、横浜市の多文化共生の推進に大きな役割を果たしていると思います。


小林:ラウンジには少なからず市ボラを経験してスタッフになった者がいます。この仕組は横浜市の財産として大切にしていきたいですね。


込宮:そうですね。もっと力をいれて人材を育てていって欲しいです。


中村:中区も外国人活躍に力を入れていますが、やはり市ボラは意味のある活動ですね。


木村:日本語を学んでいた外国人が今度は市ボラとして活躍する、学習支援教室であれば、卒業生がサポーターとして後輩を支援する。同じ環境にあるから後輩たちが勉強でつまずく箇所が分かるわけです。支援される側から支援する側にまわる当事者間のサイクルの構築は非常に意味のあることです。日本人は支援する側、外国人は支援される側、といった支援と被支援は固定化されるものではなく本来は流動的なものだと思います。単純に数を増やすのではなく、当事者間の支援サイクルの確立は時間がかかりますが、私は意味があると思っています。その代表例は市ボラ制度ですね。


日下(司会者):私も再発見というか、再確認させていただきました。

③ 日本人と外国人の住民交流が盛んになり日常の接点も多くなっている。

木村:接点が多いのは学校では。子どもつながりで。


小林:地域のお祭りに参加する外国人も増えてきているでしょうね。鶴見では子育てを切り口に地域の共生の取組をスタートしています。日常的には外国人が引っ越してくれば、隣の日本人が何らかのサポートをしているという話も聞きます。例えば学校やPTAの通知の内容が分からない場合です。


中村:なかラウンジやみなみラウンジでは、町内会の関係者に「通訳や翻訳などラウンジができることはないですか?」と、3年くらい前から伝えていますね。私がこの仕事をする前ですが、「〇〇禁止」「厳禁!」だけのチラシばかりが多言語化されていました。今では地域からの翻訳依頼のチラシは「マンションの共用部分での喫煙はお止めください」というように、内容や理由をきちんと説明しているものが増えています。「廊下やバルコニーは共用部分にあたります。喫煙はだめですよ。部屋で喫煙しても廊下に面する窓だと煙が外に出ることもあるので配慮してください」というような文書です。これなら納得できます。ホスト社会の意識も意識が変わってきていると思います。


木村:込宮さんが鶴見区役所勤務時代に関わっていた「手をつなごう鶴見」という多言語情報紙ですが、当時「手をつなごう!」という言葉を多言語に翻訳したのは非常に意味があると思っていました。多くの外国人が「○○厳禁」とか「罪に問われます」という厳しい言葉を日常的に母語でキャッチしていた時代に「ウエルカム」を発信していたのです。温泉地に行って「なんでここに来たの?」なんて看板はないでしょう。「ようこそ鶴見へ」ですよ。


小林:短い言葉でも日本人には共通理解があるかもしれませんが、外国人にはやはり説明は必要だと思います。

中村:確かにそうですね。その必要性を理解している日本人が増えた気がします。


木村:行政も最近は「これはダメです」という言い方はしませんよね。


小林:行政は外国人も日本人も住民に寄り添うように変わってきました。

込宮:私が中区役所にいたときも、行政の対応は徐々に変わってきたと感じていました。


小林:鶴見ラウンジでは多文化共生を理解する日本人の育成にも力を入れようとしています。


込宮:それは大切です。


木村:中区では2017年に多文化共生アクションプランが立ち上がりましたが、全庁的な共生への取組により元々高かった職員の意識が変わったように感じています。


小林:鶴見区も恵まれています。区が先導して「共生のまちづくり宣言」があり、この改定が始まるとも聞いています。区の意識が高いですね。


込宮:
形になることって必要です。

現在、各ラウンジで感じている課題がありましたら、教えてください。

中村:なかラウンジの様々な取組の中でも、地域と外国人住民の橋渡し役はなかラウンジの重要な役割で、両者の関係構築のためアウトリーチが必要です。実際に橋渡し役になる外国人の育成が必要となり、今はRainbowスぺ―スの若者たちが担っていますが、(育成するために)結構時間がかかります。ラウンジ側のマンパワーが課題です。


込宮:私は企画力が大切だと思います。目指す理想があっても概念のみではなくそれを具体化していく策が大切です。その辺りはまだモヤモヤしています。ラウンジとして組織的に対応するためには企画の時間が必要です。企画をしてもなかなか地域の外国人の参加が少なかったりしますし。なかなか難しいです。もっとアイデアを出していかないと。


小林:鶴見区の「まちづくり宣言」など多文化共生への積極的な姿勢は、鶴見ラウンジにとって追い風です。さらにYOKE全体というバックヤードの存在も大きいです。様々なYOKEのノウハウ、ネットワークをラウンジにつなげていくことはとても大事です。例えば日本語事業でのみなとみらい事務所とラウンジの連携などです。YOKE内のコンセンサスも必要ですし、予算も含めてYOKEがラウンジを運営する意義をもっと議論することは必要です。


木村:(YOKE)みなとみらい事務所とラウンジの連携はより必要になっていますね。


中村:話は変わりますが、スタート当初のなかラウンジでは、日本人スタッフと外国人スタッフの役割分担が暗黙の了解で決まっていました。例えば日
本の制度に関わる相談なら日本人スタッフ、一方で母国の事情に精通していないと応えられない相談は外国人スタッフとか。日本語能力に不安があったり日本のシステムに詳しくないと、外国人スタッフが 直接関係機関に問い合わせることを躊躇したり、時には外国人スタッフは相談者の通訳になり日本人スタッフに尋ねるといったこともありました。今ではスタッフ全員が切磋琢磨し、そういった役割分担はなくなりました。「スタッフのモチベーションを引き出して育てる」という明確なマネジメントは必要です。もちろんスタッフ間の連携は必要ですが、一人ひとりの対応能力が高まればラウンジ全体として底上げができます。


小林:そうですね。中村さん、「外国人は通訳だけです」っていう時期が事実あったわけですね。


中村:ありました。


小林:私は鶴見ラウンジの館長となってから一年半になりますが、スタッフのみなさんに「今はできないことでも、努力してできるようになってください」という目的意識を持ってもらっています。わからないことがあってもそのサポート体制は整えておきます。重要な情報は共有し時間が空いたときは、「相談対応の情報収集・整理と勉強をしてください」とスタッフには伝えています。マネジメントをしっかりやれば、国が違っても同じ方向に向かいます。


中村:そうですね、向上心が大切です。


小林:向上心があって、自己実現を目指す。努力の結果が感謝の言葉なりで尊重されれば人間は伸びていきますよ。

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これから、各ラウンジで力を入れていきたいことを教えてください。

中村:なかラウンジは来年から「中区暮らし案内」(仮称)という事業を検討していきます。「中区に居を移せばラウンジとつながり、顔の見える関係がそこからスタートする」そんなイメージです。案内とは単なる情報提供ではありません。中区で暮らす外国人に対し、知っておくべきこと、生活情報の提供を私たちが用意します。例えば子どもがいる家庭だったら教育関連の総合的な情報、他にも「住まう」ということに関わる総合的な情報を伝えていきます。「中区暮らし案内」でラウンジと関わった外国人の日本語が不十分であれば、ラウンジ主催の日本語教室や区内のボランティア教室を紹介し、地域社会と関係したいという人には自治会町内会を紹介し、地域のお祭りや防災訓練などを知らせます。「中区暮らし案内」とラウンジ事業で蓄積されたネットワークや情報を有機的に結び付けていくのです。その人が暮らしていくためのトータルなサポート、情報提供をラウンジができるようにし、ラウンジを地域の多文化共生の拠点にしていきたいと思っています。


小林:鶴見ラウンジでは、ラウンジを知ってもらうことに力を入れなくてはと思っています。外部にラウンジの存在を尋ねると「知らない」っていう人が多いのですね。そこでラウンジ紹介パンフレットを今までの手刷りの簡易なものから、内容を一新して体裁を整えた改訂版のパンフレットに新調しました。すると鶴見区の地域振興課が庁内の課長会議に諮り区役所の各課に置いてくれました。区も積極的に動いているので、私たちもラウンジをより多くの人たちに知ってもらう努力をしなければなりません。広報以外では、2020年度からの3か年(期間限定)の共生の地域づくりというプロジェクトが重要です。ラウンジでは「子育て」というキーワードから、外国人とホスト社会がつながるような仕組を考えています。残りの1年半弱で、拠点を作り活動を継続し区と連携協働していく。結果として恒常的に予算化されていくことを目指しています。


込宮:みなみラウンジでは、今後も地域の共生を目指した「多文化共生コミュニティづくり」に重点を置きたいと思っています。事業の担い手は最終的には地域住民になるように私たちも努力していきます。現状では「生活ガイダンス」など外国人住民の日本社会、地域社会の理解促進に比重がありますが、外国人の受入れのためには日本人サイド、ホスト社会も変容していく必要があります。そのことに理解のある日本人住民の方々も、少しずつですがラウンジとつながってきています。まずは彼らを核として事業を進めていくつもりです。そして、地域の外国人、日本人が一緒に何かを作っていく機会ができればと思います。


木村:横浜市に最初に国際交流ラウンジが設立されたのは1989年で、青葉国際交流ラウンジ(当時は緑区)ですね。当時は「国際交流」がメインテーマだったと思います。運営団体が市民団体であったことも特徴的で、ひとつのラウンジの運営を担えるだけの市民団体が存在すること自体が横浜市のポテンシャルの高さです。1989年の横浜市の外国人人口は3万人弱でした。その後1990年に入管法が改正されてニューカマーと呼ばれる外国人が数多く入ってきます。その時の全国の外国人人口は120万人程度ですから、その時からは全国で倍以上になっています。90年代に入りニューカマーの外国人が増えたことで、メインテーマが「国際交流」から「外国人サポート」に変わってきたともいえます。YOKEも90年代に入り、業務の中心を姉妹都市交流から在住外国人のサポートにシフトしました。1999年には名前も横浜市海外交流協会から横浜市国際交流協会に変わっています。そしてYOKEは2008年になかラウンジ、10年にみなみラウンジ、鶴見ラウンジを運営します。外国人集住3区の運営はYOKEが担うことになりますが、外国人のサポートを区役所と緊密に連携しながら行ってきました。話しは変わりますが、外国人支援という響きには「人間丸ごと支援」という印象を与えてしまう危険性があります。実際はその人に関わる学習支援や日本語支援、就業支援、生活情報の提供など支援とは本来は個別的なものです。人間として対等である外国人を丸ごと支援するということはあり得ないわけです。たまたま日本語が不十分で生活情報がキャッチできない、国を移動したことにより学習の支援が必要になった、在留資格の制限で仕事が限られるといったことです。しかし外国人イコール支援対象みたいな錯覚が生じることも少なからずあります。言語的な弱者、情報弱者であって、その人がまるごと弱者ではありません。「支援」という言葉が内包する響きには、人々に錯覚を呼び起こす危うさがある。だから私は支援ではなくサポートという言葉を、大して違わないかもしれませんが、使うようにしています。さて、最初のラウンジのメインテーマは日本語や国際交流だった。そして90年代に入り外国人支援(サポート)」が主流になってきた。では2020年代のラウンジの役割はどうなるのでしょうか。ラウンジは外国人と地域、ホスト社会をつなげる拠点、懸け橋の役割を担っていくようになると思っています。つまり「多文化共生の拠点」です。5年前に南区で地域での共生事業が始まり、それが現在では中区、鶴見区、緑区に広がり、それぞれのラウンジが取組の拠点となっていることは偶然ではありません。地域と外国人をつなげていこう、共生していこうという無意識の底流があるからです。なかラウンジでは、中区に編入の外国人を対象とした「中区暮らし案内」の実施を区役所と検討しています。なぜ「生活ガイダンス」ではないのか。それは「日本社会に適合してください、理解してください」といったホスト社会から外国人への一方的なメッセージの印象を与えるからです。
「中区暮らし案内」はラウンジと外国人が「出会う場」なんだ、これは館長の中村さんが強くこだわっているところです。一方的に外国人に情報を伝達するのではなく、「あなたはどういう人ですか?」「それならあなたの住んでいる地域でこんなことが出来ませんか」といったように、双方向のやり取りをする。もちろんしつこく尋ねるということではありません。ごく自然なやり取りの中です。これからは一方的に伝えるガイダンスではなく、こういった姿勢が求められていくのではないかと思います。事業名の名称ひとつでも、真剣なやり取りができる区役所もすごいですけど。実際、初めてラウンジを訪れたときは日本語が不十分で日本語教室を紹介した人が、数年経って市民通訳ボランティアとして活躍しているようなケースも稀ではありません。学習支援教室卒業生のRainbowの若者たちは通訳として地域に入り、イベントの準備、後片付けも地域の人たちと一緒に行っています。高齢化が進む地域社会において、彼らのような外国につながる若者の存在は貴重です。その彼らがラウンジと関わることで、今では地域とつながっています。最初のきっかけは生活相談だったかもしれない、日本語教室や学習支援教室の学習者、生徒だったかもしれない。それがラウンジと関わることによって地域とつながっていく、これからのラウンジはそうありたいと思います。

日下:本日は、ありがとうございました。

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インタビュー: 2021年11月4日実施
聞き手: 日下 晋輔(YOKE総務課課長)




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