石巻の「日高見」平孝酒造さんを訪ねて
2019年11月
今回のいちばんの目的は日本酒「日高見」を醸す平孝酒造さんに行くこと。
1日目は日本三景の松島に行き、景色や紅葉、海の幸を楽しみ…
2日目朝早くから石巻にある平孝酒造さんにお邪魔して平井社長にじっくりとお話を伺いました。
「魚でやるなら日高見だっちゃ」のキャッチフレーズ。
寿司に合う日本酒を造り「鮨王子」と言われている平井社長。
今でこそ有名になった日高見ですが、やはりそこには苦労の時代が。
じっくりお話を伺いました。
【やる気のなかった学生時代やサラリーマン時代】
大学時代からこれといった目標もなく、ただなんとなく東京で就職。家業の酒蔵を継ぐ気は全くなかったという。
24歳の時に実家の酒蔵が廃業する…というところで一念発起。
「なんでやめるなんて言うんだ!俺が立て直してやる!!」と若気の至りだけで酒蔵を継ぐこととなった。
当時の日本酒はまだ1級酒、2級酒という時代。
飲み比べ、香りがどうこう、なんていう時代ではなかった。
そこへきての焼酎ブーム。
日本酒の売り上げは右肩下がり。
当時は「新関(しんぜき)」というブランドでやっていたが、とにかく実家の酒が売れない。
(あまり美味しくなかったらしい)
酒屋に持っていっても買い叩かれ、値引きしろ、おまけしろ…
トラックに酒を積んで酒屋を回る悔しい日々が続いた。蔵の経営状態は火の車だった。
【日高見の誕生と経営改革】
酒質は向上させないとダメだ。
でも最近多くなってきた蔵元杜氏、オーナー杜氏ではなく、自分は広報と財務に徹しよう。
吟醸酒でいこう。
名前は「日高見」にしよう。
しかしそんな簡単には売れず
しかも、他の蔵は皆 農大醸造学科や醸造試験場で勉強しているのだが、平井さんだけ酒のことを何も知らなかったのだ。
【転機】
たまたま税務署から「県内の蔵元で醸造研究所に行っていないの平井さんだけだよ。せっかくだから行って勉強してきたら?」と推薦があった。
やっと酒造りの勉強ができるチャンス。
すでに蔵に戻ってきて10年経過していた。
勉強を始めるともう目から鱗だった。
これまで点だったものが線につながった。
すると、例えば貯蔵にしても、もっと気を使わなければいけない、そのためには設備をつくらなければいけない、と気づくようになる。
そして醸造研究所で知り合った天狗舞の車多さんとの出会いも大きく運命を変えた。
【お寿司に合う日本酒に】
石巻は世界三大漁場とも言われ、暖流と寒流が交じり合う豊かな漁場。魚が特に美味しいのだ。
おばあさまが人形町の生まれだったこともあり
江戸前寿司の名店に行く機会もあったため江戸前寿司は大好きだった。
そこへきて車多さんに連れていってもらった金沢のお寿司屋さんでも感銘を受ける。
以来寿司の美味しさに魅了され全国のお寿司を食べ歩く。
いつしか「鮨王子」と呼ばれるまでに。
お寿司に合う日本酒。
柔らかく香り立ちのあるもの、
キリッと辛口のもの、
お寿司との相性を確かめながらラインナップを増やしていった。
【東日本大震災】
2011年3月11日
東北を中心に大きな地震と津波に見舞われ
石巻は津波にのまれることはなかったが、
タンクからは醪が床一面にこぼれ、
停電により発酵中の醪の温度管理も出来なくなってしまう。
全て廃棄することも頭をよぎった中、
助けてくれたのもまた 全国のお寿司屋さんたちだった。
手伝いにきてくれたお寿司屋さんたちもいた。
かろうじて無事だったタンクの中の日本酒をブレンドして販売するにあたっても率先して買ってくれた。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
優しい笑顔を見せながら、昔のことを丁寧にお話ししてくれる平井社長。
とてもスタイリッシュでカッコ良く
そんな苦労をしてきたとは想像もつきませんでした。
はじめてお会いした時は少し近寄り難さを感じましたが、お話しすると全くそんなことはなく、ほんとうに気さくで優しい方でした。
あー、もう日高見が飲みたい‼️
という気持ちが高まりながら、平井社長に紹介していただいた石巻のお寿司屋さん「寶来すし」さんへ。
石巻の東部、牡鹿半島の金華山は世界の三大漁場としても有名で、金華サバは特に有名です。
また鯨の町としても知られる石巻。
「金華すし」は鯨刺しに始まり、金華サバや蒸し牡蠣、かつおやウニ、白魚など地物の新鮮なお魚だけのにぎりです。
日高見辛口純米を飲みながらいただく金華すしの美味しいこと美味しいこと💕それでこのリーズナブルなお値段とは石巻おそるべし。
日高見、
今まで以上に好きなお酒になりました😊
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