見出し画像

ATLアングラシーンからメジャーへ。レイジの先駆者、OG MACO


 Macoは、すでにスーパースターだった。

 前回紹介したアトランタのアングラ帝王Key!をフィーチャリングした”You Guess it "が世界的に大ヒット。メジャーレーベルからオファーが来るも、白人達との契約は避け、地元アトランタに新しくできたレーベルQuality Control とサインし、お互いの成功を目指した。ご存知の通り、その後QCはまさに飛ぶ鳥を落とす勢いでのし上がっていくのだが、第一世代アーティストとして、当時MacoがつけていたQCチェーンは、コイン大のそれはそれは質素なものだった。サンクラなどSNSが急速に発展したのもこの時代で、韓国のKeith Apeが”You Guess It"のトリビュート作品をリリースし、わざわざアトランタまでRemixを撮りにきていた。 ちなみに、アトランタに来たKeithと快くリンクしていたのは、Key!だった。

  当時、Macoを含め、アトランタで台頭してきた故Rich Homie Quan(*1)や、Trinidad James , Young thug などまとめて”New Atlanta”と呼ばれた。クランクから、スナップミュージック、そしてシンセがんがんのJeezyとGucci Mane抗争(*2)ミュージック(これに関しては私が勝手に名付けてるのであしからず)から、パーティーソング(フューチャリステックとも形容される)時代に突入していた。各自バックグラウンドや音楽性は違うものの、彼らはキャッチーなメロディーをふんだんに使い、そしてそれまでのダボダボしたパンツではなく、スキニージーンズを履きこなしていた。
 そのNew Atlantaの中で、Macoは特に個性が強かった。ナイジェリア人の父を持ち、幼少の頃から、ハードコアロックを聴いて育った。その影響で、ラップに本腰を入れるまではハードコアバンドで、ギターとヴォーカルを担当。髪を金髪に脱色し、派手な色使いが良しとされるコミュニティーでシンプルなモノトーン、特に黒色、そして革ジャンを好んで着ていた。リリシストというわけではなかったが、怒りを全身で表現し、あくまでも”ロックスター”であることにこだわった。それまで、アトランタではストリップクラブやストリートからスターが生まれていたが、QC設立者の一人でJeezyやGucci Maneを見出した敏腕マネージャーCoach Kが、時代の流れを素早く読み、ドアチャージなしで入場できるカジュアルなクラブやバーが点在するEdgewood(*3)から発信されるサンクラベースのアングラヒップスターに目をつけた。それがOG MacoとLil Yachtyだった。
  

駆け出しのスター達が集まった夜

 2015年9月。NYベースのエレクトロを得意とするFool's Goldのイベント”Day Off"がアトランタでも行われ、Edgewood界隈を中心に活躍するアングラのアーティスト達がブッキングされた。Two9、Rome Fortune 、Manman Savage、それにTM88、故DJ Speakerfoxxx、Boscoなど、彼らは、ブラックハリウッドと呼ばれるこのアトランタにあって、白人にも人気があった。その中でもTwo9は、ずば抜けていた。そのせいで、やっかみも多くあり、Two9がショーをすれば、必ずといっていいほど乱闘騒ぎがあった。この夜は、Speakerfoxxxが私のためにメディアパスを用意してくれていた。これだけのアーティストが集まるので、その取り巻きも多く、バックステージは、人、人、人でえらいことになっていた。Two9だけで5人、そこに、元メンバーのKey!が加わる。Manman Savageは、当時Key!のOPB(Outta Pocket Boyz)レーベルの右腕アーティストで、21 Savageもこのレーベルに所属し、デビューミクステをリリースしたところだった。そして、Two9やKey!らとDay1から行動を共にし、バンダナでATLファッションシーンを引っ張ってきたOriginal Faniや、エッジーなデザインで人気だったクロージングブランドFresh.I.amのデザイナーTundeもいた。TM88は、当時彼のアシスタントを勤めていて、後にYoung ThugのYSLと契約するラッパーのStrickと来ていた。それに、フィラデルフィアからアトランタに修行に来ていたLil Uzi ,当時FatherのAwful recordsに出入りしていたPlayboi Carti、そして彼の方向性を決定し頻繁にコラボしていたAwfulの車椅子プロデューサーEthereal もいたし、駆け出しのMade in TYOや、最悪な契約からようやく解放されアトランタに戻ってきてた6lack、後に活動休止してしまったQueや、FKiもいた。みんなバックステージでチルしていて、お互い紹介しあったり、近況を報告しあったりしていた。今では考えられないが、彼らはーTM88でさえー、よくEdgewoodに出て、パフォームしたり他アーティストのパファームを見て、スタジオに持ち帰り、切磋琢磨していた。Macoは、そのわちゃわちゃした輪ではなく別部屋にいた。すでにメジャーで活躍していたK campもいたが、Macoのオーラはまるで違った。この場に居合わせた誰よりも、スーパースターだった。


左からPlayboi Carti, Lil Uzi , Manman Savage
左からStrick ,Que。右端がTM88
Awful RecordsのEtherealと故DJ Speakerfoxxx
Two9のJace


幻の夜

 程なくして、MacoはLAに拠点を移してしまう。私がインタビューできたのは、翌年2016年。交通事故で右目に負傷をおい、眼帯をつけていた。Macoにとって、5ヶ月ぶりのアトランタだった。その日は、地元のイベントに出演予定で、自ら車を運転してきて、待機していた。だけど、プロモーターサイドがグダグダで、ショーがキャンセルされてしまった。自他ともに認める短気な性格のせいか、当時は、色々なアーティストに噛みついている印象も強かった。なので、機嫌が悪いことも想定していた。だけど、そんな素振りは微塵もなかったし、それより、命を失っていてもおかしくない大事故なのに、すでに自身の中で消化しきれているのか、時には冗談も交えながら、右目が頬まで落ちたことを説明してくれた。また、その夜、Key!と一緒にパフォーム予定だったことも話してくれたが、Key!は現場にすら来なかった。その辺が、やはり、相変わらずKey!なのだが。


 日本のファンにメッセージをお願いすると、いきなり「こんにちわ〜!」ときた。ドラゴンボール、ワンピース、ガンダムが好きらしい。日本のアニメは、すでにアングラシーンでかなり浸透していた。とはいえ、ストリートでは、アニメ好きにお目にかかることは滅多にない。Macoは「美味い酒を作ってくれてありがとう〜やわ。あと、京都も好きやな。桜も綺麗やし、美しい街や」と続けた。

「俺はアトランタでいろんなことをやり尽くしたし、アトランタも俺にいろんなことを教えてくれた。だからこれで(LA拠点で)ええねん。俺が帰ってきたら、みんな上っ面だけの偽もんの愛で歓迎してくれる。時々、ほんまもんの愛もあるけど、それを見極めている時間もないしな」




これを最後に、Macoをアトランタで見かけることはなくなった。そして「自分が与えた愛と同等の愛を受け取ることがなかった」とQCを離脱。さらには人喰いバクテリアに感染。変形した顔や頭と向き合い、なんとか外に出れるようになれば、コロナも重なって腫れ物扱いされた。Macoは、この時期に鬱と戦っていたと、2022年のあるインタビューで話している。そして、2024年12月、自殺未遂で、病院へ。何度も助かった命、なんとか生き抜いてほしかったが、2週間後、息を引き取った。


MacoとKey!

"You Guess it"のMV撮影にKey!が現れなかったことに端を発したとされる2人のビーフ。結構やりやっていたのに、突然仲直りして、また一緒に曲をつくって、私たちを驚かせた。Macoは、”Key!とビーフなんかない”、Key!はKey!で”ビーフはないけど、俺からは話しかけへん、知らんやつや”と言ってみたり。でも、2人は明らかに、あの夜ー2人でパフォームするはずだったあの夜以降から疎遠になっていった。

 9年という月日が流れ、突然のMacoの訃報を受けたKey!はXに、Macoと昔よく、生と死について語り合ってたこと、そしてKey!の周りでは8人も自殺した人がいて、自身も考えるところはあるが、まだやらなあかんことが終わってない、とポストした。Macoの名前は出さず、My friend とだけ記していた。

 メジャーへステップアップしたもののラッパーであることを押し付けられ、周囲からのプレッシャーが徐々に重荷になっていったMaco。一方で、多数のアーティストをメジャーに送り込みながら、自身はアングラに居続けるKey!。2人は、同じ時期にキャリアをスタートさせ、お互いが才能を認め合う友達でもあり、アトランタの次世代を担う強力なライバル同士だった。Lil UziやPlayboi Cartiは、間違いなくこの二人の背中を見ていた。Macoがいなければ、現在のレイジシーンはなかっただろう。


未来へ繋ぐ愛とカルチャー

 Edgewoodで、最もアングラシーンに貢献した伝説のクラブDepartment Storeは、あの10年前のDays offの後、諸事情が重なり、早々にクローズを余儀なくされた。そしてコロナや不景気で、当時のクラブやバーが次々にクローズしていった。そんな中、Department Storeで働いていたSarahが、新しくクラブをオープンさせ、Edgewoodのアングラカルチャーを繋いでいる。そのSarahとMacoの幼じみの呼びかけで、Macoの追悼パーティーが行われた。当然だが、あの10年前に集まったメンバーは、ほぼいなかった。音楽を辞めた人、逮捕された人、次のステージへと移った人。DJ Speakerfoxxxは、ドラッグを断つために自ら更生施設まで入ったのに、最後の数年は音信不通になり、家まで失っていた。不純物が入ったドラッグを掴まされたのだろう、一緒にいた誰かが、彼女の遺体をひきづって病院前に置き去りにしたと聞いた。常にMacoの周りにいて、OGGメンバーとして曲を一緒につくってたフィメールラッパーLosaは、あるイベントで彼氏が銃殺されてしまい、その後を追った。Two9は自然消滅し、唯一、Jace(現在、J .ColeのDreamville 周りと仕事している)だけ追悼パーティーに来ていた。Awful のハウスプロデューサーだったArchibald Slimー今はエンジニアをしているー、Original Fani、そして、Playboi CartiのDJ、MacoがQCに紹介し、現在もQCのハウスプロデューサーを務めているOGGメンバー、OG Parker 、意外なところで、”New Atlanta"をプロダクションサイドで支えたSonny Digitalも顔を出した。そして、少し遅れてKey!が来た。みんながDJブースの前で、Macoの曲に合わせトースト(乾杯)するとき、Key!は一人だけ、その場を離れ、飾られたMacoの写真の前にいた。

 「めっちゃ久しぶりやん、俺のこと覚えてる?」振り向くと、Macoのロックスタイルに追随したローカルラッパーのチームの一人で、自らもラッパーだったKellyだった。「昔、いっぱいかっこええ写真撮ってくれて、ほんまありがとう。今でもめっちゃ感謝してんねん。全く違う国から来てんのに、一人でコミュニテイーで頑張ってるってこんなbeautifulなことないなって思っててん。でも、今まで一回も、その写真に金払ったことなかったし、これ」そういって無動作にポケットから$20を出した。「俺は、ただのごろつきやけど、30歳になった。今、ピンプやってて金はある。自分のアーティストもいて、面倒見てんねん。近いうち、アー写依頼するから、待っててや」

  ごろつき、ピンプ、、。でも、私にとっては何物にも変え難いEdgewoodからの愛だった。人はその瞬間を共有して、愛とカルチャーを繋いで生きている。「俺は、俺らのカルチャーを守っていきたいと思ってるだけや」Macoの言葉がよぎった。ふとKey!に目をやる。この夜、Key!は、デビュー当時のMacoが愛用してた同じタイプの革ジャンを着ていた。


R.I.P. OG Maco a.k.a. "The Lord of Rage" 


(脚注)

Richhomie Quan(*1)


JeezyとGucci Mane抗争(*2)

アトランタカルチャーと共に、JeezyとGucciの抗争をまとめています

Edgewood界隈(*3)

Edgewood界隈のクラブや見所を紹介しています


いいなと思ったら応援しよう!