あなたのためを思って・・は果たして優しさなのか?
こんにちは。
養生デザイン/ねむりのサロンBlue Moonの青木優加です。
養生デザインで本格的に始めたココロケア。
身体の不調もそうですが、私自身が心の不調を経験したからこそ
お伝えできることを少しづつ綴っていきたいなと思っています。
もしかしたら私だけ?
ずっと悩んでいるけど答えも出口も見つからない
もしもそんな方がいらっしゃったら少しでも共感いただけたら幸いです。
今日はそんな経験の一つから日々考えていることを綴りたいと思います。
お付き合いいただけたら幸いです。
あなたのためを思って・・は果たして優しさなのか?
さて、いきなりタイトルの回収になりましたが、これは常に私の頭の中にある疑問と、言うにあたってはとても気をつける言葉です。(いや、言わないようにしています)
話は少し変わりますが
以前からチラホラと書いてきた通り、私は幼少期からずっと実母との相性があまり良くありませんでした。
わかりやすく虐待を受けていた訳ではありません。
むしろお互いを思いやっているのに
お互いの気持ちをうまく言葉に乗せて伝え、受け取ることができなかっただけ
つまりただコミュニケーションがうまくできなかっただけだと思っていました
なので、母が「あなたのためを思って言ってるのよ」という言葉の前後に言われるものを、我慢しながら受け取っていました。
もちろん腹は立つし、疑問にも感じるし、違和感も感じまくりながら・・
でも私のためだからと信じて。
私のためを思って言ってくれることを無視はできない。
ましてや一番我が身を大切にしてくれている(であろう)親が言ってくれることだから分からない私がおかしい、悪い、万が一言うことを聞かなかった時に失敗したら怒られる
そんなふうに納得はしていないけれど、「そういうもの」として自分に言い聞かせながら生きる癖がだんだんと身についてきていました。
冷静に客観的に聞くと「ん?なんかおかしくない?」と思えることも
当の本人同士は気づかないことが多い事例なのかも知れませんね。
そしてそんな言葉がお互いに気づかないうちに呪縛や呪文となり得ることも、少しこわいなと感じています。
今思えばなぜ「それは何が私のためなの?」と聞くことすら頭に浮かばなかったなぁ
特に私は昭和51年生まれ。この前後の世代の方はご両親との関係が主従関係にあるような方も多いように思います。
親の言うこと、年長者の伝えてくれることはなぜか絶対だったように感じています。
誤解を恐れずに言うならば、少々過激な表現にはなりますが
「あなたのためを思って」は、この絶対服従の案件をオブラートに包んだように見せかけて、コントロール下に置くためのただの枕詞だったよなぁとすら感じています。
さらにいうと「私のためを思っていると言うあなたの自己満足でしたよね」
と(もう小声ではいられない)
つまり「あなたのためを思って」は私にとっては優しさではありませんでした
本当に「あなたのためを思って」言ってくれる人は呪文や呪縛ではなく
ちゃんと「あなたの」意見を聞いて、その上で選択肢をくれる人なのではないかなと、これまでを振り返って思います。
例えば
「それも良いけど、それなら**を覚悟しなよ」
「そうするなら、次にどうしたら良いかも考えておくといいね」
「今経験として私はこんなふうに思うから伝えるけど、それが絶対ではないよ」
などなどです
失敗は失敗なのか?
さて、とはいえ「あなたのためを思って」という言葉は
相手が失敗しないように心配する気持ちがあっての言葉だったりもします。
つまりその言葉を放った本人も、コントロールしようと思う気持ちもなく
純粋に「あなたのためを思っている」(と勘違いしている)と伝えてくれていたりもします
だけど、私はこれが一番厄介だと思うんです。
だって言った本人に悪意がないということは、悪意なく傷つけるかも知れないことを自覚すらしていないから
そして素直で心が優しい人ほど、この悪意のない凶器(あえて凶器と表現しますが)を受け取ってしまいます。
日本人は言葉にせず察する能力が高いと言われています。
それは奥ゆかしさであったり、人としての奥行きではあるかも知れない
私自身も全て否定する気持ちはありませんし、お互いをこうして思いやることができる温かい文化は大切にしたいなと思っています
でもね
なんでも素直に受け取る、勝手にその人の気持ちを察することは
奥ゆかしさとは異なります。
(むしろ浅はかなんじゃないかな・・)小声
タイトルに戻りますが、そもそも失敗は失敗でしょうか?
わかりやすい例にすると
例えばそこにある穴に落ちて怪我することがわかっていれば
あなたのためを思って「その穴に落ちると怪我するから行かないで」と言われるかも知れません。
でも、もしも
その先に一生見ることができないと言われているとっても貴重な花が咲いているとしたら?
ずっと探していた宝石が落ちているとしたら?
穴に落ちて怪我をしないようにすることと、あなたはどちらを選びますか?
もしも花を見ることができたとしたら、怪我は果たして失敗なのでしょうか?
または怪我を恐れて、穴に入らなかったことは失敗ではないのでしょうか?
つまり
誰かの失敗と思われることは、その方にとっては必要な過程かも知れない
失敗を恐れてやらなかったこと自体が失敗かも知れない
わけです
さらに
もしも怪我をして、花も宝石も手にできなかったとしても
次は怪我しないようにどうしたらよい?を考えるにはこの「失敗」と呼ばれたもの無くしては、できない訳です。
となると「失敗とはなんぞや?」って思いませんか?
本当に、あなたのためを思うなら
極端な例を出しましたが、私は本当に「あなたのためを思うなら」応援してほしいなって思います。
心配だけど、きっとできると思っているから応援してるよ。
でも、もし傷ついたしたら帰っておいでね。助けを呼んでね。
と。
私はその人の成功を奪う権利は、誰にもないと思っています。
あなたのためを思ってと言った先に、その人がチャレンジをやめてしまったら・・その先に進む責任も重すぎる。
可能性を奪うってそう言うことだと思うんです。
(ただ、無責任な「大丈夫だよ」には気をつけて。)再び小声
それでも挑戦するのが怖いとき、悩むときは
ここまでお読みいただいてありがとうございます。
「あなたのためを思って」についての極論になりましたが、明らかな危険回避への助言はしっかり受け止めてくださいね。
その場合はきっとしっかりと根拠があると思いますし、「あなたのためを思って」と言う枕詞はなくても伝わると思います。
そして、それでも悩んでいることがある、挑戦することが怖い、誰かのOKがないと進めない、進むのが怖い
そんな方のお気持ちは、推し量ることはできます。
なぜなら私がそうだったから。
そして今もそんな時があるから。
そんな時は、身近な人、家族や友達に相談するのも悪くないですが
きちんと専門家に相談することをおすすめします。
少なくとも「あなたのためを思って言ってるのよ」と言わない方に。
この「あなたのためを思って」の言葉の重さと意味をわかっている方にご相談してみてくださいね
お知らせ
養生デザインでは、心のケアのメニューもお受けしています。
すごく悩んでいるけど、どうして良いかわからない、誰かにとりあえず話を聞いてほしい!など、お悩みの方はこちら(知ってスッキリコースをお選びください)でお悩み相談お受けしています。
どうぞお1人で悩みすぎることのありませんように。
特に秋は淋しさや孤独を感じやすい季節。
また夏の疲れから身体がバテてしまっていると心も元気がなくなってきます。
さらに夜が長いと考え事をする時間も増えますよね。
全て季節のせいにしてしまうのもアリですが、本当にお辛い時は我慢しすぎずお早めに。
養生デザインのココロケアの入口はこちらにも。
毎月開催のちえなみきさんでのワークショップ。
第11回目は「こころと安らぎ」をテーマに開催します。
養生デザインでなくても、どこか、どなたかに助けを求めてくださいね。
秋の夜長、豊かな夜をお過ごしくださいませ。
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