【短編小説】紙袋の終電
今日は散々な一日だった。
午前は会社説明会、昼休みを挟んで午後はグループディスカッション、夜には高校のクラス会。卒業以来4年間音沙汰も無かったくせに、わざわざこんな時期にクラス会を開く理由なんて決まっている。
さっさと内定を決めて浮かれている一軍たちが、いかに自分たちの人生が順調であるかを語りたいだけだ。何が「なんでも相談に乗るからね!」だ、お前たちの目的は相談者を救うことじゃなくて、自分が相談相手より優位に立ちたいだけのくせに。
案の定何も面白くなかったクラス会も終わり、一軍たちはカラオケに消えていく。私も誘われたが、「明日も面接あるから…」と回避した。
本当は明日は何もない。ただ、気分じゃなかった。
自分一人だけリクルートスーツのカラオケは何が楽しいんだろう。
新宿のJRと地下鉄はなんでこうも離れているんだと心の中で悪態をつきながら、急ぎ足で大江戸線のホームへ向かう。クラス会のスタートが21時からと割と遅めだったこともあり、もう終電間際になってしまった。やたらとダラダラと長く引き伸ばしやがって。
無駄に長いエスカレーターにイライラしつつ、ホームに着く。
鞄からスマホを取り出し時間と充電を確認する。
0:30 13%
間に合った。
この時間といえホームにはそれ相応に人がいる。中年のサラリーマン、男女混合の大学生の集団、ベンチで大股を開いているホスト、流石に深夜の新宿といった面々だ。
地下鉄を待つ間にTwitterとインスタを眺める。最近は何も見るものがないとつい見てしまう。見てもどうにもならないことの方が多いと分かっていてもだ。
ネットは楽しい事よりも人の嫌な事を見せられることが増えた気がする。知らないうちに誰かが炎上しており、収まったと思ったらまた知らないうちに別の誰かが炎上し始める。
世界は私が知らないところで回っていて、私がいてもいなくても何も変わらない。だからネットなんて見ててもどうにもならないし、それだったら現実を見ている方がずっと堅実だ。ただ、そうは分かっていても、見てても仕方ないと分かっていても見てしまう私のことが私は嫌いだ。
5分と待たずに、都庁前経由光が丘行が到着した。隅の席に座り、ぼーっとタイムラインを眺める。
楽しそうな自撮り ご飯や桜の写真 ゲームのガチャの画像 若手のアイドル。
ちょっと前までは私もそれに付いていけたが、3月に就活を始めてから全然乗れなくなってしまった。何をしていても焦燥感があり、こんなことが何の役に立つのかを考えてしまうようになったからだ。
「今日は本当にありがとう~!またみんなで集まろうね!」
グループラインに投稿されたメッセージと大量の写真の通知に、私は深いため息をついた。
適当にスタンプを返す。こういう時にはムーミンかスヌーピーが向いてる。
写真といったって一軍メンバーが自分たちを撮り合ったものだけだ。
この歳になるとわざわざ集合写真なんて撮らない。私はそっとグループラインの通知を切り、スマホを鞄にしまった。
終電は普通よりも発車までに時間がかかる気がする。出来るだけ乗り遅れないようにする鉄道会社の配慮なのか、それとも元からそういうものなのか。
車両には客は十数人程度、年齢も性別もばらばらだ。ただ、終電というのは謎の一体感がある。この一体感が心地いい。なぜだろう、自然とここにいていい気がしてくる。どんな人でも許されるような感じ。
私はこの心地よさに身を任せ、目を閉じた。
どのくらい眠っていたんだろう。地下鉄はまだ走り続けている。
時間を確認するため鞄からスマホを取り出し、ホームボタンを押す。
押せない。充電が切れるとホームボタンはどうしてカチカチ出来なくなるんだろう。本当に死んじゃったみたいに寂しくなる。
スマホを諦め顔を上げると、そこには彼女が座っていた。
高校生だろうか。薄いベージュに紺色の襟、水色のリボンのついたセーラー服を着ている。
季節はもう春だが、夜はまだ少し寒いので薄着にも感じる。膝の上にスクールバッグを置いている。スカートの丈は膝下まであり、茶色の革靴に白いソックスと、首から下は普通の女子高生に見える。
そう、問題は首から上だ。
彼女は頭にすっぽりと紙袋を被っている。
紙袋といっても、百貨店の持ち帰り用のものではなく、茶色のシンプルな無地クラフト紙で出来たものだ。外国人がフルーツを入れたりするのに使うようなもの。彼女の髪はそう長くないらしく、紙袋から少し溢れて肩にかかる程度だった。
車両には私と彼女以外誰もおらず、地下鉄がトンネルを走るゴーッという音だけがしていた。
彼女は私のちょうど目の前の席に姿勢正しく座っており、まっすぐこちらを見ている。正確には紙袋があるため彼女の目線と言うのはわからないが、見られていると私は直感で感じた。
「ねぇ」
気付いたら私は話しかけていた。自分でも驚いた。普段、こういった変なものには関わらないようにして生きている。面倒ごとに巻き込まれたくないからだ。ただ、彼女からは不思議と嫌悪感は感じない。
私の問いかけに、彼女は首を少し傾げながら
「はい?」
と返す。
「今、何時か分かる?スマホの充電が切れちゃって」
「……」
彼女はゴソゴソと自分のスクールバッグを漁り始めた。スクールバッグって見た目より量が入るし、幅もちょうどよくて使いやすかったな。大人になってからも使えたらいいのに。など考えていると、彼女は古い型のウォークマンを取り出して時間を確認した。
「0時50分です」
「そっか、ありがとう」
意外と短い間しか寝ていなかったらしい。この電車は終点には0時59分に着く予定だ。
沈黙。トンネルの音だけが二人の間を抜けていく。
「あの」
今度は彼女が口を開いた。
「お姉さん、面接帰りですか?」
私の服装を見てそう思ったんだろう。
「うん、そう。でも今日は面接の後に飲み会もあったから」
「就活って、大変ですか」
「大変だね~。まぁでも、ずっと遊んできてばっかりだったからさ。
大人になるからにはちゃんと働かないとなと思って」
また思ってもないことを言ってしまった。
いつもそうだ、自分の思いよりも世間体や「こうあるべき」に縛られて話をしてしまう。自分を出すよりもそちらの方が何倍も生きやすい。その半面、息苦しい。
「そうなんですね」
「そうそう!だから今のうちたくさん遊んでおきな!高校生なんて遊んでおく時間なんだからさ」
「………」
彼女が言葉に詰まる。まずい、何か気に障ることを言ってしまったかもしれない。
「……私、美術部なんです。絵が好きで、小さいころから書いていて」
「へぇ~、いいね」
「あんまり賞とか、そういうのは取ったことないんですけど、でも好きで」
「だから、今年受験したいのもそういう学校なんです」
受験生だ。しかも美術系。
私にもその方面を志していた頃があった。ただ、途中で怖くなってしまったんだ。周りの目、自分が評価される対象になること、自分の作品に点数が付くこと、そういう色々なことから逃げ出したくて結局は筆を折った。折ったことにしているだけで、実際は折りきれていない。潔く辞めることも出来ない。そんな中途半端な自分がとても嫌いだ。
結局、何でもない私立大学の法学部に落ち着いた。
「そっか、大変って言うよね」
「はい。結構頑張らないといけなくて。私よりうまい子なんてそこら中にいますし」
「それに親が全然わかってくれなくて。そんなことしても将来何になるんだって言うんです」
「それはキツいな」
「だから家に帰りたくないんです」
聞きたかった疑問の答えを、彼女は自ら語ってくれた。
なぜ都内の終電に制服姿の高校生が乗っているのか。
「私もう、よく分からなくて。親の言ってることももちろん分かるし、でも分からないし」
「私は私のやりたいことをやってていいのか、やっていたいけどそれも分からないし」
「誰の声も聞きたくなくて、誰ももう見たくなくて」
膝上においている彼女のこぶしが強く握りしめられる。
これまで私は周りで苦しんでいる人がいたら「大丈夫だよ」とか「きっとなんとかなるよ」みたいな、その場がおさまることだけを目的にした言葉をかけてきた。表面上は、それで助けたことになるからだ。声をかけたのとかけないでは違う。ただ彼女にはそんな無責任な言葉をかけることは出来なかった。というか、したくなかった。
彼女は続ける。
「お姉さんは、生きてて楽しいですか。」
「えっ?」
想像してなかった問いかけに思わず声が出る。
「周りに合わせてるのって楽だけど、楽しいですかね」
「親の言うことばっかり聞いて、先生の言うことばっかり聞いて、楽しいですかね」
「ホントはやりたくない仕事やるために、もっとやりたくない就活なんてして、楽しいですかね」
彼女は畳みかける。
私はうまく返答をしようとしたが、言葉が出てこない。
すると彼女はハッとした顔になり、
「……失礼なことをいってごめんなさい。」
と申し訳なさそうにした。
私は言い返す。
「楽しくないよ」
「楽しくないに決まってるじゃん」
「でも、しょうがないんだよ。大人になるってのは、そういうことなんだよ」
「楽しいとか楽しくないとか、そういうことだけじゃないんだよ」
「まだ若いから分からないかもしれないけどさ」
私の一番嫌いな言葉、人は自分が言われて嫌なことを自然と人に言ってしまう馬鹿な生き物だ。
「いつまでも自分に引きこもってちゃ何にもならないよ」
「………」
彼女は黙っている。
私は続ける。
「だからそんな、紙袋なんて被ってるんでしょ」
言ってしまった。勢い余って全部。人にここまで強く当たったのは久しぶりだ。大人げなかったかもしれない。初対面の女の子に説教するヒスった就活生なんて、あまりにもイタすぎる。
ただ、自分の思ったことを自分の思ったように伝えて、心はスッキリとしていた。
「そうですよね」
「いつまでもこうしてるわけにもいかないんだと思います」
「そうだよ、だからそんな紙袋取っちゃいなよ」
「そんなものなしに、自分で見て聞いて、自分で考えたらいいんだから」
「………」
「はい、そうします」
私がほっとしていると、彼女は続ける。
「じゃあお姉さんもそのお面、外してもらえますか」
一瞬、何を言っているのか分からなかった。
お面?お面って、あのお面?そんなもの付けた覚えもないし、そもそも持っていな
あった。
顔に触れる。
皮膚よりも冷たく、硬いものが私の顔に覆いかぶさっていた。
表面を指でなぞると、気持ち悪いほど私の顔と同じ形をしている。
現実の私の顔と異なるのは、お面の目元と口元が歪なほどに笑顔なことだ。
そうか。こんなのを被っているからいつまで経っても自分の言葉が出なかったんだ。
「じゃあ、せーので外そうか」
「はい」
「いくよ、せーの」
紙袋の下から一瞬見えた彼女は、とても幸せそうに笑っていた。
駅員に揺さぶられ、目を覚ます。
終点に着いたようだ。
眠りつかれた私は大きく伸びをしながら電車を降りた。
私が高校のグループラインを抜けたのは、その翌日の話だ。