うちゅうせんで、ひとり

「天国は、空の上にあるんだよ」

幼い私の質問に祖母はそう答えた。まだ地球に、地に足をつけて歩いていた頃の話だ。
私は物覚えのいい方では無いが、祖母としたこの話だけは不思議とよく覚えている。

人は死ぬと体が動かなくなる。歩くことはもちろん、話すことも出来なくなる。筋肉を動かすための信号を出している脳や、動力となる血を送る心臓がダメになってしまっただけで、人は終わってしまう。
死んだ後どうなるかというと、これは国や文化によって取り扱われ方が異なるが、大体燃やしたり、埋めたりする。生きてる自分たちの見えないところにやってしまうわけだ。
じゃあ、その人の気持ちや、思い出や、優しさみたいなものはどこへ行くのか。無くなってしまうのか。
祖母によるとそんなことは無く、空の上にある天国から私たちを見守ってくれているようなのだ。

幼ながらに、この話にはいささかの疑問を持ちながらも、祖母の話に頷く。私は祖母が大好きだったのだ。


十数年前、大規模な天災が地球全域を襲った。
地震、大雨、台風、ハリケーン、なんだかんだ。
想像もつかないほどの強烈な出来事に、私たちの想像していた未来はこんなに簡単に変えられてしまった。
地球の自浄作用とでも言おうか、好き勝手陸を荒らし、海を荒らし、お互いに争い合うことを辞められない私たちに、もう地球は愛想を尽かしたのかもしれない。

早急に星外移住の話が進んで行った。どうやら人というのは、必要に駆られると従来の何倍も頭の回転する動物らしい。それまでのペースが嘘かのような速さで、別の星への移住は進んで行った。

先の災害で多くの被害が出、行政はほとんど機能しなくなって行った。各々が自分を信じ、自分だけで決断をするようになって行く。

家族や地域でまとまって、国の船に乗って別の星に出ていく。地球に残りたいもの達は残り、それぞれの営みを続けていた。
そのどちらでもなく、個人で船を調達し、星外に出ていくものたちがいた。

私もそのうちの1人だ。

先の災害で祖母を失った私には、これと言って思い残すことがなかった。様々な事情が重なり、私の家族は祖母だけだったのだ。

「ばぁちゃんは、天国へ行けたのかな。」

きっと天国は空には無い。曲がりなりにも宇宙工学を専攻し、大学まで出ている私だ。そんなことを信じるのは、非科学的で非現実的だ。
と分かりきっていても、何故だろう、否定したくない自分がいることも感じ取っていた。

そこで私は確かめてみることにしたのだ。
教科書で習った宇宙は正しいのか、この目で確かめたいとそう思ったのだ。
1人での宇宙旅行、いい響きじゃないか。まして私には身寄りがない。おあつらえ向きだ。

大学時代の旧友のツテを駆使し、なんとか今乗っているこの宇宙船を作り上げた。簡素な作りだがしっかり飛んでくれたし、安定もしている。

乗組員は無論私1人。「天国を探しに宇宙に行く」などと言っている男の助手席に誰が座るのだろう。


初めの頃は何をするにもどこを見るにも楽しかった。教科書や写真でしか見た事がない風景。
風景という言葉は地球限定なのだろうか、というくらい全くの別物。あ、そういえば地球は本当に青かった。

ただ、2週間も1人でこの狭い船、部屋、監獄に居続けるのは想像以上の辛さがあった。
元来、人との関わりが不得意だった私がこんなことになるとは。

地球にいた頃は、例え直接話さなくても、触れなくても人との繋がりがあったんだなと考えさせられる。
例えば、自分が歩いている向かいから人が歩いてくる。近づく、近づく、すれ違う、遠ざかる、遠ざかる。
この程度のことですら、人との繋がりであり、干渉だったのだ。
そんな些細な風の行き違いすら恋しく思うほどに、私は一人きりで、寂しい。

宇宙にある程度自由に出られる時代になったと言え、何もかもが新しくなった訳では無い。
新型の宇宙船はどうかは分からないが、民間や旧型の宇宙船間でのやり取りはかつての無線技術が用いられている。

私は、寂しさのあまりその無線通信用のマイクに向かって独り言を呟くことが習慣になっていた。

「もしもし、誰か聞いてますか。」

「こちら、ツムラです。日本人です。」

「日本語じゃない方がいいか、えーと、Hello, i'm TSUMURA. Japanese.」

「に、ニーハオ?」

もう少し第二外国語の授業に真剣に向き合っておけば良かったなと後悔する。

「そちらはどうですか?物資とか足りてます?」

「こっちはねぇ…困ったことに飛んでくるまでの見積もりが甘かったみたいで」

「そろそろ酸素が危ないんですよね、ハハ…」

「…………」

「いいんですよ、元々、賭けみたいなもんだったし」

「笑っちゃう話なんですけどね、私、天国がどこにあるか知りたいんです。知りたかったんです。」

「祖母が、生きてた頃に、天国は空にあるんだよって」

「だから、確かめてやろうと思って、どうせやることも無いし」

「勉強したって地球に仕事なんてないし、友達もいない、夢も何もあるはずもない」

「だから」

当然返事は無い。
そんなものは初めから期待していない。
ただ、ずっと心の奥に隠していた、堰き止めていた、いや考えないようにしていた気持ちが自然と溢れてきたのだ。

「私、死にたくなくて」

「死にたくないんですよ」

「意味分からないですよね、だって何も残ってなくて、別にやりたいこともないし、生きててもそんな面白そうじゃないからこんな宇宙まで来てるような人間なのに」

「いざ、酸素がなくなってね。それが近付いてきてると分かったら、怖くて怖くて…」

「……」

「……」

「ばぁちゃんは、天国へ行けたのかな。」

コンコン

背後からノックのような音がした。
ばっと振り返り確認するが、船内には私の他には誰もいない。
聞き違いと思おうとしたが、間違いなく音はした。

コンコン

もう一度、今度ははっきりと聞こえた。
宇宙船のドアとも言える、ハッチの外側。
つまり、宇宙側からノックが聞こえてきた。

宇宙ゴミが船にぶつかり音を鳴らすことは珍しくない、珍しくは無い。

「だれ?」

コンコン

やっぱり、偶然では無い。宇宙が私に答えたのか?
いや、これは…

「ばぁちゃん?」

コンコン

「ばぁちゃんだね」

コンコン

「天国は、そこにあったの?」

コンコン

「そっか、そっか、でもさ、空の上って割には遠すぎるよね」

コンコン

ハッチへ近づく。

無線機がピーーーーと高い電子音を発する。

「僕さ、ばぁちゃんに会いたくて、ここまでさ」

コンコン

ピ、ピ、ピ

ハッチのハンドルに手を伸ばす。

「だからさ、ばぁちゃん」

コンコンコンコンコンコンコンコン

ピーーーピーーーピーーー

ハッチを回す、回す
ハッチは回る、回る
回った回った回ってしまった

「僕ね」


ふわっと、体が宇宙に投げ出される。
そういえば、どうして私は宇宙服を着てないんだろう。
どうして私はハッチを開けてしまったんだろう。

ああ、しにたくない。
でも天国にいける?天国って、どこだろう。

暗い、暗い
何も見えないし、何も聞こえないし、何も感じない、どうなったんだろう。

……………

わからないな。

あぁ、あの時の自分に言ってあげたら良かった。
大丈夫だよ、大丈夫だから、自分をしっかり持ってって。
開けても何も無いって分かってるはずなのに。
寂しかったんだよ、寂しかったね。

死んじゃうってのはどういう感覚なのか、案外死ぬ時になっても分からないもんなんだな。

そうだ、あの時の自分を何とかしてとめないと。
念じてみたら電波に乗って、無線機をジャック出来たりしないかな。

英語の時も思ったけど、ちゃんと先生の話を聞いとくんだった。
SOSって、トントントンツーツーツートントントンだっけ。

ピ、ピ、ピ



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