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日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』を読む

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『山崎与次兵衛アーカイブ:三輪眞弘』別冊。ジッド『狭き門』の読解。原題「日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ」, 2013.9.15 W…
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2024年9月の記事一覧

日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ(20)

20. 百歩譲って、ジッドにおいてはいわば定跡のような伝記的事実との対照を取り上げてみても、構図はあまり変わらない。アリサはジッドの従姉で 妻となったマドレーヌ・ロンドーがモデルであるとされるし、マドレーヌの日記が実際に作品執筆にあたって参照された事実もあるようだ。 だが、結婚を拒まずに受け容れたマドレーヌは「幸福」を手に入れただろうか?ジッドはそういう認識をもってこの物語を書いたのか? 他の作品との関連でいけば、別の可能世界でジェロームと結婚したアリサは、後に「田園交響楽

日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ(19)

19. 若林は作品の解題において、「ほんらい相対的でしかない自己の価値とモラルを、絶対的なものであるかのごとくいつわって、 自他に呈示しなければ生きてゆけないのが、現代人である。」という、まさに自己のものでしかない見解を断定してみせるが、こうした断定、 すべてを相対化してしまい、超越的な価値を拒絶する姿勢が、「すべては許される」に繋がる病根であることには一向に無頓着だ。 その伝で『背徳者』も「自由」という思想のとりこになることで、真の自由を失ったとされるわけだが、こうした評

日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ(18)

18. もう一点の検討点。folio版には、編集者のノートとして、ジッドがN.R.F.に「狭き門」を掲載するにあたり、最後まで残しながら、 最後になって削除した、幻の第8章冒頭が収められている。この部分の存在は一見したところ、「狭き門」に関して 「徳」という固定観念に殉ずることへの批判という見方を採ることを支持するかに見える。だが、勘違いしてはならない。ジッドは結局この部分を削除したのだ。近年公表された草稿ノートについてもそうだが、そうした作品創作の現場を覗き込む作業は、得

日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ (17)

17. 中村訳は原文に非常に忠実な訳だが、あっと驚くような部分もかなりある。例えばII.の末尾、Non, non. Je t’aime autant que jamais ; rassure-toi. Je t’écrirai ; je t’expliquerai.の部分で、「安心して」と「手紙を書くわ」の間のセミコロンを無視して、「だから、安心して お手紙を書くわ。」としているので、安心する主体が入れ替わってしまっている。 VII.のアリサとジェロームの書物の関する対話