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日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』を読む

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ジッド『狭き門』の読解。原題「日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ」, 2013.9.15 Web公開, 2014.6.28 blogで…
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2024年7月の記事一覧

日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ (12)

12. 私はずっと「狭き門」は山内訳で親しんできたし、原文で読むようになってから以降は、この翻訳が、ジッドの文章の雰囲気を最も良く伝えていると 考えてきたが、それでもなお、幾つかの翻訳を比較するのは、原文を読み取る上で、自分の思い込みや自明と考えている解釈を相対化する上で 示唆的である。ここでは気付くまま、2点程挙げてみるに留めるが、この2点はそれなりに解釈に対して本質的な意味を持ちかねない(絶対に持つ とまで言うことはできないにせよ)部分と私は考えている。 (1). V

日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ(11)

11. もう一点。ジッドは「狭き門」を書きあぐねて、マドレーヌが若き日に(つまりマドレーヌが丁度アリサのような立場にあった時期に)書いた日記を 見せてもらい、その一部を利用しているらしい。ジッド自身は、ほとんど収穫がなかったような言い方をしているらしいが、それでも文脈を変え、 幾つかがマドレーヌの日記から取られているのは実証できるようだ。しかし、それ以前に、マドレーヌがジッドに送った書簡は、その一部はほとんど 文字通りそのまま作品に取り込まれていること、失望することになった

日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ(10)

10. 同じ箇所は、アリサの日記と(ジッドがその一部を利用していることが知られている)マドレーヌ・ロンドーの日記とを比較した小坂の論文においても 論じられている。しかし小坂の指摘において重要なのは、それよりもbelle/jolieの使い分けに関するものだ。確かに第1章でジェロームはまず アリサの母をbelleと形容し、アリサ自身には副詞による強調つきでjolieという形容詞を配分したあと、妹のジュリエットに再びbelleを今度は比較表現の中で 割り当てる。だが、アリサ自身が

日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ(9)

9. 何人かが指摘する箇所。 例えば川口篤は、「『狭き門』で作者が書きたかったもの、書かねばならぬと信じたものは何か?アリサのピューリタニスムという表面のテーゼに対する 裏面のアンチテーゼではあるまいか。」とし、それが上記の「一句に要約されるかと思う。」としている。そしてそれを敷衍して「つまり、人間性の 回復とでも言ったらよかろうか。」とし「『狭き門』は、自己抑制の行き過ぎ、を戒めたものと解したらいかがであろう?」としている。 これとほぼ同じことを淀野隆三も言っている。

日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ(8)

8. 多くの評者は、ジッド自身が後に語った言葉をそのまま受け止め、ここにプロテスタンティスムの批判があるという立場を採るようだ。 だが、本当にそうだろうか。ジッド自身、アリサのようなあり方を批判しおおせなかったことが、逆説的に「狭き門」を他のジッドの作品のような 醜悪さから救っているのではないか。ジッドがそこから身を振り解きかたっかプロテスタンティズムの、ありえたかも知れない極限がここでは示されている。 アリサの日記が終わった後の後日譚、作品冒頭の「現在」に戻っての去年の出

日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ(7)

7. 「狭き門」が何故、例外的な「成功」となったのか?ここでいう成功は、いわゆる作品としての出来といった側面からの評価を伴う。 ジッドの時代が過ぎ、時代遅れの過去の作家となり、ジッドの他の作品が(おそらく「田園交響楽」を例外として)ほぼ読まれなくなったとき、 だが、「狭き門」のみが生き延びるとしたら、「法王庁の抜け穴」や「贋金づくり」を評価し、あるいは「背徳者」「地の糧」を評価する側からすれば、 それはあまりに一面的な、歪んだ受容ということになるだろう。だが、この受容の歪み

日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ(6)

6. ただし、結論から見ればあまりに直裁に過ぎる題名も、作品自体の執筆の紆余曲折と難渋に寄り添うようにして、複雑な変遷を遂げたことは 留意しておいてもいいだろう。勿論、結論が「狭き門」であるという事実は蔑ろにすべきではないが、その結論が容易に獲得されたものではない という事実が物語るものもまたあるのだから。物語着想の発端は、1884年5月に起きたジッドの母ジュリエットの家庭教師であったスコットランド生まれの 女性、アンナ・シャクルトンの死であったらしい。彼女はアリサがそうで