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日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』を読む

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『山崎与次兵衛アーカイブ:三輪眞弘』別冊。ジッド『狭き門』の読解。原題「日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ」, 2013.9.15 W…
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2024年6月の記事一覧

日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ(5)

5. Efforcez-vous d’entrer par la porte étroite.(Luc, XIII, 24)という銘が題名を直接指示してしまうという率直さ。だが一方で「狭き門」の コノテーションは極めて広大である。ドストエフスキーとカフカはジッド自身が参照しているから、カフカの「審判」「掟の門前」はどうしても 浮かび上がって来る。カネッティの説自体は受容し難いとしてもなお、フェーリツェ・バウアーとカフカ自身の関係が「審判」とある種の構造的な 対応を示している

日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ(4)

4. 献辞の問題。というのもこの作品の被献呈者はアルファベットで示されるばかりで、決して名前が明らかにされることはない。にも関わらず、 誰に宛てられたかについて翻訳者も解説者も無頓着にさえ窺える。あたかも翻訳者にとって、そして多くは翻訳者であると同時に文学研究者で あることを考えてみれば、研究者にとっては自明のことで、今更言及にするまでもないかの如くである。そればかりか、献辞が略されている翻訳すら 存在する。淀野訳、中村訳、新庄訳、須藤・松崎訳および1960年の世界文学全集

日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ(3)

3. かつて私が最初に読んだのは、今から35年近く前、丁度マーラーの音楽と出逢い、「カラマーゾフの兄弟」と出逢ったのと同時期であり、それ以来、 この作品は、遠ざかっているときでも或る種の基調音として、時折は明確に主題的に自分に問いを突きつけるものであった。 最初に読んでから4,5年してからだろうか、しばらく距離をおいてから、改めて読み直したことがある。(ちなみに、最初に読んで以来、 私は山内義雄訳でずっと読んできて、しばらくしてから原文で読むようになったが、その後も翻訳の中

日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ(2)

2. 「狭き門」における音楽の役割に留意しておこう。リュシル・ビュコランの弾くショパンのマズルカ。 ブルジョワの子女に相応しく、ピアノを弾く習慣はリュシルからアリサとジュリエットの姉妹にも引き継がれる。以下でピアノを弾いているのはジュリエットだ。 ついでクリスマスの場面、ジュリエットがテシエールとの婚約をする場面でプランティエの伯母とジュリエットが話をしている場面で、家具調度の 一つとしてピアノが描写される。 引き続き、ジュリエットに関する記述。今度はジュリエットがエ

日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ(1)

1. (…) ジッドの狭き門。多分読み方はかつてとは異なっている。こうして他が何も残らない、廃墟のような状態だとよくわかる(「神ならぬ者は、、、」)。 そして、アリサの心持ちに多分に曲解に近い共感を覚える。「私は年老いたのだ。」というアリサのことばの重み (これはその場を取り繕ったことばではない、 と今では思える)があまりに直裁に胸をつく。書棚を整理し、キリストにならいてを読む、という心情にも、ずっと身近なものを感じる。 書棚を、CDを、楽譜を処分して、一旦自分の周りに築