『ちょっとしたひと言に癒された』
あぁ疲れた。。。大したことしていないはずなのになぜか疲れた・・・。
そんなことありませんか(仕事量≠疲疲労なの?)。
日々変化の少ない同質的な生活を続けていると、精神的・肉体的な疲労がなくてもどことなく全身的な重だるさ(あるいは息苦しさ)を感じることがあるような。
人間だから仕方ないか。
こうした中、しんどさがどんどん増してしまうときに、ちょっとだけ心が軽くなるかもしれないこと経験し、こんな話題です。
あまり役には立たない、日常そこらへんに落ちているちょっとしたことかも。
でも、ちょっと気がつくだけで気持ちが少し楽になり、救われることがあるかもしれませんので・・・。
◆電車の車掌アナウンスで
駅に到着する電車の到着アナウンスの最後に、「・・・この先もお気をつけていってらっしゃいませ」とか「この先もお気をつけてお帰りくださいませ」のひと声を到着アナウンスにつけ添える車掌さん、たまにいませんか?
JRや各私鉄でもたまにこうした気遣い系のアナウンスに出会うことがあり、そのたびにちょっぴり気持ちに潤いをいただいている気がしております。
毎日変化少なく、日々しんどい通勤時間が少しほっこりする印象。
何気ないひと言なのかもしれませんが、無機質で事務的な車内アナウンスに、そんなひと声を添えられる人間になれたらよいなあと思います(なかなか、そのようなことができない余裕なき人生なのですが・・・)。
◆余裕あればギスギスしない?
こちらは、クスっと笑ってしまいそうな駅構内アナウンスのネタ。
ちょっと笑っちゃう内容に、緊張がほぐれる印象。これもある意味、気遣い系(?)のアナウンスの一種。詳しくは↓こちら。
<「駅員、面白い」ガラガラすぎる電車のアナウンスに「笑っちゃう」「そんなボケをかますとは」>
言葉のセンスかもしれませんが、世間の辛辣な突っ込みに晒されることなく、しかも全く悲壮感なくクスっと笑える感じの言葉選びの妙。
秒刻みで運行する公共交通機関にも関わらず、利用者の心にちょっぴり潤いとか余裕を与えてくれた気がしました。
遊び心ある言い回しは、人の心に潤いや余裕を提供していただけるんだなぁとの印象。
◆個人だけじゃなく集団・組織でも
こうしたウィットに富んだアナウンスに触れて想像します。
もしかして、この鉄道会社のこの職場自体、雰囲気がギスギスせず余裕があり、ちょっとした欠点・ミスも正しく“許せる”体質にあるのかなあ…と。
正確さやち密さを求められる鉄道業界にも関わらず、現場で“振れ幅”のあるウィットに富んだことが言える鉄道会社って、世間がなんと言おうと、自分にとっては、けっこう好感度と信頼感UPな印象をうけておりました。
これ、私だけでしょうか???
型にはまったことだけに済ませることなく(あるいは重箱の隅をつつくようなこともなく)、むしろこうしたことを新奇歓迎しチャレンジすること受け入れるくらいの雰囲気がないと、おそらくこんなアナウンスを許さないはず。
会社にある常識から一歩だけ踏み出してみると、けっこう余裕を持つためのヒントが見つかったりして。そんな余裕が周囲の人に伝播して気持ちを楽にさせるなら、そんなお仕事のやり方もありか。
◆AIと人間
正確さやち密さを求めていたら、そのうち生成AIにすべてとって代わられるのがオチだったりして。
さらには、正確さとかち密さとか、こうしたことを突き詰めていくと、すべて同じ答えになってしまうらしい。
もしかして、日本の失われた30年って、昭和のモノづくりの正確さとち密さの副作用だったのかな?
(それらがいけないとは申しません、ミスるとうるさい国民もまだまだたくさんおりますからね(汗)。)
機械にできない人間的な面を気兼ねなく表現できる社会になったら、仕事に前向き感がでるし、人間が面白くてたまらない気持ちになるかな。
◆人間らしさはワクワクドキドキ
会社なら怒られそうな、ミス、勘違い、誤解も、人間だからできるんだし、人の命に直結しなければ、そんな間違い大目に見てほしいな。
人間らしく、直感、機転、機知を活かして、考えすぎずに身を委ねてみるのもどうなんだろうか。
脈略のない思いつきが、予期せず突破口になる場面はないだろうか、予測不可能でドキドキしワクワク楽しい場面はないだろうか。
楽しければ、やりがいも生産性も向上するか。
車掌さんのちょっとしたひと言に癒され、こんなことまで連想を膨らませていました。
ほんのひと言なんだろうけど、気持ちがよくなりました。
自分も誰かの琴線に触れられるようなこと出来たらいいなぁ。頑張ろう。
yoitenki4110
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