見出し画像

普通列車でいこう (下)

前回 ↓



六日目

ホテルで朝食を採った後、午後3時まで部屋で寝る。その後、秋葉原まで行って800円分ガチャガチャをし、海芝浦駅へと向かう。
途中、乗り換えの鶴見駅では皆の足取りがゆったりしているように見えた。程よくのんびりしていて良かった。
鶴見から海芝浦まで。夕日の茜はなく、仄かに暗い曇り空と夜へと移る街。こういった景色というものは、全く以て心細いね。滞在時間は4分しかないのでカメラの準備をする。まぁこんな天気じゃあまり良い写真は撮れないだろうが。
海芝浦駅に着く。案の定、写真映えするようなものではなかった。
だが鶴見つばさ橋から続く、橙色の連なる灯は実家から見える高速道路を思い出した。
あそこはもう、橙色から白色灯に変わってしまったので、ずっと寂しいと思っていたんだ。これを見れただけでも満足だ……帰るか。
車内の英語放送。「東京臨海高速鉄道りんかいライン」をそのままローマ字読みで言っている。
外国人には難しいんじゃないか、これ。
夜の街に東京タワーが見えた。血みたいな色だと思った。
スカイツリーができるまでは東京といえばこれだったんだもんな。
ホテルに帰る。24階のレストランに行ったら、7時までしかやっておらず、追い出されてしまった。なんとか内線でルームサービスを頼み、カレーとピザを注文した。腹が減った。届くまでの20分間、真っ暗い部屋から雨が降る東京の夜をぼうっと見ていた。
ひとつひとつの灯には知らない誰かが住んでいる。
地上60メートルの一室。
 
彼はなんだかとても淋しくなってきました。
食べるご飯があって、お風呂にも入れて、テレビも見れる。
広いベッドもあれば隣人を気にする必要もありません。
窓辺に滴る雨粒が東京の夜をより一層きらきらさせます。
ですが、彼の心には得体の知れない寂しさが漂っていました。
泣きたいときに泣けなくなったのはいつからでしょうか。
 
ここ最近、「限界」と「疲れた」のふたつがよく頭をよぎる。
飯食って風呂入って、今日はさっさと寝よう。
遠くで雷が鳴って空が光った。
 


七日目

朝飯食って外に出る。
まずは新橋行き、着物の人が乗っていた。綺麗だ。電車の揺れが心地よく、街の隙間を滑る感触が気持ちいい。
新橋は鳩が多かった。そこから池袋に行ってガチャを回した。ホテルのチェックアウトに遅れそうだったので、急いだ。とりあえず間に合った。
ホテルを出て、スカイツリーまでの一本道を歩く、雨上がりの涼風が気持ちいい。風鈴の音がよく鳴り響く。
渇きはじめる土の匂いがする。こんなときは斉藤和義の「歩いて帰ろう」がよく似合う。
別に帰る訳じゃないが。

スカイツリーへ着く。家族連れが多い。邪魔にならないようにした。カップルは邪魔してしまっても、家族連れは邪魔しない。
僕のモットーだ。
浅草へ着く。
浅草寺、冷やし抹茶ときなこ餅を食べた後、お寺に行って手を合わせ、おみくじを引く……
凶であった。当たるも八卦、当たらぬも八卦。
中学の修学旅行で引いたときも凶だった。
書いてあったこと、全部跳ね飛ばしてやろう。
転じて吉である。
ホテルに荷物を預け、渋谷へ向かう。
渋谷、人が多い。エコバッグにスリ防止用で帽子を付けた格好だが、堂々と歩いていれば無問題。
駅前のくら寿司に行こうと思ったが混んでいたのでやめた。
小平へ行こう。小平市は私の思い出の土地だ。高田馬場まで行って西武新宿線急行拝島行き。乗り合いの乗客たちも服装からなのか何からなのか、気持ちが落ち着く。
真っ黄色の電車、懐かしい。
見知らぬ初めての土地から、かつて住んでいた街まで、長い長い旅だった。だがまだこれからだ。
やはり人が街をつくり、街が人をつくるのだ。
小平の人たちはどこか馴染みがあった。
駅へ着いたら、まずは私の通っていた幼稚園に行く。
毎度のように「こんなに小さかったっけな」と思いながら見歩く。
ちょうど4人家族に話しかけられ、卒園生だと答える。一番下の子が来年入る幼稚園を探しているらしい。「いいところですよ。」と答えておいた。しかもそこの母親とお姉さんは金沢出身らしい。
偶然ですね。
小平うどんまで歩く。食った後はかつて住んでいた団地跡まで行く。綺麗な老人ホームが出来ていた。小平駅までまた歩く。コインランドリーから洗剤の混じった暖かい空気を感じる。
駅のホームにて、汗が垂れて禿げ散らかした外斜視のおっさんに600円をせがまれる。「いやぁ、無理っすね」と答えた。一人一人に声をかけていると思ったがエレベーターから降りてきた若い女性には声をかけなかった。怖いんだな、分かるよその気持ち。アンタらも社会から理解されず恐れられ抑圧され孤立した存在だ。話し掛けられたら返事くらいしてやろう。人間、話を聞いてくれる存在が必要だ。そういうことをされなかった奴が大体取り返しのつかないことをする。ニュース見ててもたまにあるだろ。だから私は中学の頃からそれを実践してきた。理解されることはまずなかったが。
しょうがない、周りは中学生だ。まだまだこれからだろう。とか当時は思っていた。
電車に乗る。ときどき踏切から見える夕方の商店街は、いかにも多摩地区の日常という趣があった。浅草駅まで帰る。ホテルの部屋が選べたので一番高いとこの角部屋を選んだ。
小さい窓だったが、そこからスカイツリーと浅草寺、五重塔が見えた。
不親切にも冷蔵庫がなかったので、風呂上がり用のアイスを急遽食べた。


八日目

最終日。朝になって分かったが、ここからはアサヒビールの金の雲も見えるらしい。ベッドから出てパン食ってチェックアウトして電車に乗る。ギリギリ時間がありそうなので新橋の日テレにでも行こうと思う。
もしかしたら有名人に会えるかもしれないという一般人の淡い期待だ。そもそも有名人は地下駐車場から入ることが多いので、結局見れなかったのだが。有名人を見ようとするより自分が有名人になったほうが良いと思った。
東京駅で海鮮丼を買って新幹線に乗る。
言ってしまえばもう帰るだけだ。時間に縛られることはないのだ。
窓ガラスに雨があたる。結局ずっと東京は雨だった。
一週間前は晴れだったのにね。遠い向こうには青空が見えるのにね。
だんだんと晴れてくる。
少し寝て、起きる。
黒部にて、勇猛果敢に攻め入る武将の如き巨大な積乱雲が青天を跨ぐ。これだよこれ。こういうのを北海道や東北、東京で見たかった。

金沢駅に着いて歩いて帰る。家へ帰るとこんなに部屋が広かったかな、と思う。ホテルより広いじゃないか。換気のためドアを開ける。ルーをまだ入れていないカレーのにおいがする。実家へ帰りたい。
相当遠くへ行ったのに遠くへ行った感じがしなかった。 
街を広げる、開発・開拓するということは昨今では山の多い日本で自然破壊とも関連付けられ、マイナスのイメージが大きい。だが今回の旅では人間が人として社会を広げてゆくということ、建物を作って灯を増やしてゆくことの原初的な意味や目的を感じとることが出来た気がする。言葉にはできないけど。あと自分は田舎より街の方が向いていることが分かった。盆地より平地の方が向いていることが分かった。

帰ればそこはもう秋であって、夏は終わった。




おしまい





いいなと思ったら応援しよう!