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しおり〜天草・黒川温泉・大分・別府【6泊7日】 前編


【1日目:天草へ】

10:00 伊丹空港

10:40 伊丹空港 → 11:55 熊本空港
車(レンタカー)にて移動:約1時間30分

14:00 三角西港

見学:約30分

三角西港は、1887年明治政府の殖産興業政策に基づいて
オランダ人水理工師であるローエンホルスト・ムルドルの
設計により築港されました
福井県の三国港、宮城県の野蒜港とともに
明治の三大築港事業として整備が進められた
ということですが明治期の港が完全に残るのは
日本でここだけだそうです
浦島屋は1887年頃有明海に面して建てられた
コロニアル様式の2階建てホテルです
1893年7月には旧制熊本五高(現 熊本大学)の英語教師であった
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が長崎からの帰りに
このホテルを利用し大層気に入り
後に1895年浦島伝説(小泉節子「思い出の記」)を
モチーフにした作品「夏の日の夢」に登場させたとのことです
1899年に開通した九州鉄道の終点が三角東港となり
三角西港はその役割を失ったことでホテルは廃業
1904年8月にホテルから日露戦争の傷病者の病院に転身
さらに建物は1905年に解体されて中国・大連に運ばれて
大連の日本旅館として再生したということです
現在の浦島屋は1993年数枚の写真を基に透視図面を作成し
かつての姿に復元したものだそうです
龍驤館は1918年明治天皇を頌徳する記念館として
建設され公会堂や図書館として利用されたということです
館名は1872年に明治天皇が最初の西国巡幸の際に
乗船した御召艦「龍驤」にちなんだものだそうです
御召艦「龍驤」は熊本入りした6月20日夜に
激しい風波を避けて三角湾に仮泊され
21日午前2時頃に鹿児島に向けて発航したとのことです
ちなみにこのとき御召艦「龍驤」に乗艦していたのは
参議兼陸軍大将 西郷隆盛、陸軍少輔 西郷従道
海軍少輔 川村純義、宮内卿 徳大寺実則など70余名と
近衛兵一小隊だったそうです
1887年竣工 中の水路
三角西港の中心を貫き山側まで伸びた石造りの排水路は
満潮時に海水を引き込み干潮時に排水するよう造られ
港を水害から守るとともに天然の下水道の役割を果たしている
ということでした

車にて移動:約1時間30分

16:10 チェックイン

18:20 夕食


【2日目:天草観光】

8:20 朝食

9:50 朝の散歩

徒歩にて移動:約40分

展望所
展望所からの眺め
左にズーム
そう、ここは
五足の靴文学遊歩道なのです
展望所2つ目
五足の靴文学遊歩道は1907年与謝野寛(鉄幹)、北原白秋、平野万里
吉井勇、木下杢太郎の5人の詩人がたどった道を遊歩道として
整備したものだそうです
わたしたちはお宿と遊歩道が交わるところからスタートして
逆打ち(遊歩道入口へ向かう)しました
鬼海ヶ浦展望所
展望所からの眺め
ユニークな形の岩が多く見られました
お宿の入口にある坂道
写真では伝わりづらいですがなかなかの激坂です
無事に戻ってきました

11:20 出発

車にて移動:約30分

11:50 崎津

旧漁師網元宅
明治時代、4軒あった漁師網元の中で
唯一現存している家屋だそうです
土地の区画が狭い﨑津には珍しい
庭のある伝統的日本家屋だということです

12:00 﨑津教会

見学:約10分

天草地方では1566年に領主の天草鎮尚が南蛮貿易目的で
宣教師のルイス・デ・アルメイダに布教を許し
以来天草全体に多くのキリスト教徒が暮らしていたそうです
島原・天草の乱の際、島原に近かった上天草のキリシタンは
一揆に加わり命を落としていった一方、下天草地方のキリシタンは
情報が少なかったことも幸いして一揆に加わらず難を逃れ
当時船でしか行くことができなかった﨑津集落など限られた集落に
潜伏することになったということです
現在の教会は1934年頃ハルブ神父の時代に
長崎県五島列島出身の鉄川与助が設計施工したということです
木造で正面の尖塔部分は鉄筋コンクリート
重厚なゴシック様式の教会の内部は畳敷きで
祭壇はかつて絵踏みが行われていた位置にあたるということです
ハルブ(オギュスタン・アルフォンス・ピエール・ハルブ)神父
1864年フランスに生まれ1888年司祭に叙階
1889年に来日、1927年崎津に赴任
1934年教会建立、1945年永眠
前日にコロナ陽性が確認されたということで
残念ながら内部は見学できませんでした
当初はコンクリート造りの計画で建築されたそうですが
資金不足のため途中で木造に切り替えられたため
灰色のコンクリート部分と白色の木造部分が混在している
とのことでした

12:10 天草市﨑津資料館みなと屋

見学:約10分

1936年に建てられた旅館「みなと屋」を
﨑津集落の歴史や文化を紹介する資料館に改修
2016年8月にオープンしたそうです
アワビの貝殻の内側の模様を聖母マリアに見立てるなど
漁村特有の生活や生業に根差した身近なものを
キリシタンの信心具として代用することで信仰を
実践されていたとのことです
ハルブ記念堂
ハルブ神父のお墓
旧﨑津教会堂跡
1888年に﨑津諏訪神社に隣接して建てられた
﨑津で初めての教会堂跡です
木造で民家と同じような造りだったようです

12:30 﨑津諏訪神社

見学:約10分

豊漁、海上安全祈願のため1647年に創建されたと伝わる神社です
禁教時代、潜伏キリシタンはこの神社の氏子となり
参拝の際には密かにオラショ(お祈り)を唱えていたということです
1805年の「天草崩れ」では潜伏キリシタンたちが持っていた信心具を
差し出すように指定された場所でもあったそうです
潜伏キリシタンを疑われた方々は取り調べに対して
「何方江参詣仕候面も矢張あんめんりゆすと唱申候」
(どちらへお参りする場合もやはりアーメンデウスと唱えております)と
答えたとのことです

徒歩にて移動:約3分

奥に見える岬に・・・
海上に向かって佇むマリア像がありました

12:45 普應軒

鶴林山 普應軒
1688年に創建された曹洞宗のお寺で
釈迦如来が祀られています
天草崎津三宗教の御朱印帖は
キリスト教、仏教、神道という3つの異なる
宗派の御朱印を一冊の御朱印帳としていただけるもので
2018年「長崎と天草地方の 潜伏キリシタン関連遺産」が
世界遺産登録されたことを記念して始まりました
当時はコロナ禍でしたので上記方法にて申し込みました

徒歩にて移動:約15分

道の駅 﨑津
自転車ラックがmaillot blanc à pois rouges
(ツール・ド・フランスの山岳賞ジャージ)柄
琵琶湖一周がビワイチ、淡路島一周がアワイチ・・・
天草一周をアマイチというのでしょうね

車にて移動:約10分

13:20 大江教会

見学:約20分

大江教会はキリスト教解禁後天草で最も早く造られた
ロマネスク様式の教会で現在の建物は
1933年ガルニエ神父が私費を投じ
地元信者と協力して鉄川与助の設計・施工で
建立したということです
普遍的な美しさを感じます
小高い山の上に立つ教会からは海が見えました
ガルニエ神父が赴任した当時の天草は貧困にあえぎ
間引きや捨て子の悪習がはびこっていたため
まず前任フェリエ神父が始めた孤児院を受け継ぎ
廃院寸前の状態から最盛期には30人を超す孤児を養い
学校に通わせ、就職先を世話したそうです
ガルニエ(フレデリック・ルイ・ガルニエ)神父
1860年フランスに生まれ1884年パリ大神学校卒業、司祭となり
1885年来日、1892年天草の大江教会に赴任
(1927年まで崎津教会を兼任)
1934年教会建立、1941年永眠
1907年、与謝野鉄幹とその門弟、北原白州ら5人の若き詩人が
ガルニエ神父をたずねた様子については
1907年の紀行文「五足の靴」大江村(8月22日)に
”土地の人が親しげに「パアテルさん、パアテルさん」と呼ぶ
敬虔なる仏蘭西の宣教師が唯一人
飯炊男の「茂助(もをすけ)」と共に棲んでゐるのである。
案内を乞ふと「パアテルさん」が出て来て慇懃に予等を迎えた。
「パアテルさん」はもう十五年も此村にゐるさうで
天草言葉が却々巧い。「茂助善(よ)か水を汲んで来なしやれ。」
と飯炊男に水を汲んで来させ、それから「上にお上がりまっせ」
と懇ろに勧められた・・・”とありました

車にて移動:約30分

14:10 お宿に戻る

18:20 夕食


中編


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