VRを介護に。生き続ける力と、叶わない夢を叶えることの関係性
大仰なタイトルを書いてから内容を考えています。VRパフォーマーのyoikamiです。noteに記事を投稿するのは初めてなのですが、今回書きたいことがあって始めさせていただきました。こちらは「XR創作大賞」に応募させていただきたく書いております。「XRのミライが見えるもの」をテーマとしております。今回は「介護とVRについて、yoikamiが実際に使用したXR,VRの使い方」です。
介護にVRを使うきっかけとなった「海に行きたい」
昨今(2021年8月現在)医療に関してのXRなども可能性が見えてきました。手術のシュミレーション・ナビゲーションなども含め患者のPTSD(外傷後ストレス障害)などの治療、軽減などにも活用されているそうです。
しかし2017年、私はまったくVRなど知らず、障害を抱え病気と闘いながらも祖母の介護をしておりました。介護の手は足りず、生活保護に頼りながら時には住む家も撤去の危機に陥り、借家をとって酸素呼吸器を配置し、デイサービスや介護センターの方々に手伝っていただきながら介護をさせていただいていたのですが、左手の握力がほぼなく、病気によって買い物も難しい日すらある当時の私には介護能力が充分とはもちろん言い難いものでした。
祖母は決して我儘をいうことなく、入退院を繰り返しながらいわゆる「終末期医療」に近しい状況となって、何気無く私が祖母に「何かしたいことはないだろうか、行きたい場所とかはないだろうか」と声を掛けたことが始まりだ。お医者様に「補助があってももう外を歩くことはできなくなる」と言われ、車にのって見に行ける程度であれば最後に見たいものを、という考えだった。我儘を言わない祖母に、我儘を言ってほしくて掛けた言葉から返ってきたのは
「海に行きたかった」
という言葉だった。私が住む北海道空知地方は海まで近くはない。車で往復4時間程度かかるものを、酸素呼吸機がないと外に出られない祖母がいけるはずもない。だから私は祖母が「海に行きたい」ではなく「海に行きたかった」と思い返すように話した理由を痛く理解していた。
その日は、例え食欲がなくても食べてくれた手羽先の身と出汁を使ったお粥を作って、帰路についた。
PlayStation VRという出会いと発見
そんな中、PlayStationから「VR」というものがあることを知る。PlayStationVR WORLDSだ。サメと遭遇する海の恐怖体験が話題だったが、興味を惹かれたのは「美しい景色を楽しめるダイビングシュミレーション」という点だった。
私はあまりTVゲームをする人間ではなかったので、ゲームショップにいってPlayStation4やらPlayStationVRやら、moveコントローラなど必要なものを全て買い揃えた。当時はおおよそ10万円ほどかかるが、祖母を海に連れていける旅費であれば安すぎる値段だった。
ハードウェア関係を扱う仕事だったため、自分でまずはテストをしてみた。移動するものなどもあったがVRはかなり酔いやすく、若い人間にとっても疲労が少なくない。しかし海へ潜って綺麗な海の景色を見たり、色とりどりの魚たちを見るだけであれば負担はある程度少ないと判断したため、私は祖母の家へ全て機材をもっていくことにした。
「海へ行こう」 実際に介護とVRが繋がった瞬間
祖母はノートパソコンを触る私をみるだけで「時代は変わったんだね」というほど機械には疎く、携帯電話も使えないほどだったのでVR機材を搬入して接続を確かめている私を「一体何をするのだろう」という顔で見ていた。
私は「海に行こう」と祖母に言って、VRのセットアップを済ませていた。記事を書いていて思うのは、その時に祖母が言った「楽しみ」という言葉がどれだけ私を信用して言ってくれた言葉か、ということだ。海に行けないことは祖母が一番よくわかっているのに、私の言葉を信じて「わけのわからないヘルメットのようなもの」を被ってくれた。
海の体験はただ被っているだけで良いので、ベッドに座ってもらい背もたれを用意して、HMDが痛くないか、辛くないかなど確認してから体験を開始した。
祖母は、子供のようにはしゃいでくれた。
「海の中なのに息ができるんだね」
「こんな魚がいるんだね」
「ちょっとおっかないね」
「あんな色の魚は美味しくなさそうだね」
などと言っていた。
家族と一緒に怪我がないよう身体を支えつつ、何かがあっても大丈夫なようにしながらずっと話し続けていた私は、体験が終わって祖母からHMDをゆっくり外すと、祖母は満足したような、疲れたような表情だった。
それからしばらくはその話が続いた、テレビで海の特集をやっていて
「この魚に似た魚を、ついこの間潜って見てきたんだよ」
と介護センターの方に自慢して、ふしぎそうな顔をされたりしていた。
今もなお考え続ける「XR」の可能性
祖母が亡くなって数年、私は今VRにはいってリハビリを続けながら、表現者として活動している。
それら活動の根本は、祖母の介護にある。
もしあの時時代はもっと進化していて「一緒にVRの中を歩いて見て回れたら?」「他の世界的な場所に一緒に行けたなら?」「もっと着用に負担が少なかったら?」「介護用VRのレンタルがあったなら安価で他の要介護者様にも使われ、話題として共有できたのでは?」と、想像が膨らんで仕方がない。それにはすべて悔しさが含まれる。
私ことVRパフォーマー yoikamiは、パフォーマンスが終わったマイクパフォーマンスでよく
「5年後、10年後じゃない、今を楽しんでもっと好きなことを好きなだけやって、5年後を1年後に、10年後を2年後にしちゃおう」
などと言わせていただいている。もし介護施設に着用者の負担の少ないVRHMDなどが配置されたり、在宅介護にレンタルができる時代になったとしたら、海に連れて行ってあげて欲しい、山に連れて行ってあげて欲しい、なんなら月に行くのもいいだろう。
その時、案内を手伝えるようにVRスタッフとしてその人達を安心させてあげられるように、そして時には私(yoikami)という「エンタメ要素」を見て楽しんでもらえるよう、私はリハビリを続け、病気と闘い続け、舞台に立ち続ける。VRエンターテイナーを育て続ける。
必ず、そんな時代が来る。今なお介護に悩む人達へ少しでも早く届けたい。
叶わない夢を叶える、魔法みたいな仮想現実。きっとそれは生きる力に繋がる、終末期医療にだって応用は効くはずだ。そして、ありとあらゆる何かにも。
映画「月世界旅行」の60年後に人類は月へ降り立った
小説「海底二万里」の100年後に原子力潜水艦が生まれた
小説「ダイヤモンド・エイジ」の20年後にKindleが生まれた
ならば「レディプレイヤーワン」の後はまた100年後か?60年後か?20年後か?
それを決めるのは私達だ、100年後か、10年後か、1年後か。なるだけ早くするために、今日も楽しんでVRを満喫しようと思う。
余談だがつい先日祖母の本命日で、時期的にはお盆でもあるのだが
一昨年は「VRでダンスを初めて、だいぶ身体がよくなったよ」
去年は「VRのダンスバトルでファイナルまで言ったよ、優勝できなくて悔しい」と祖母に伝えた。
今年は「日本の大会にチームで出て世界初の出場、受賞をして、個人では世界の舞台で優勝してきたよ」と、伝えてきた。祖母は「よくやった」と褒めてくれるのだろうか、それとも「無理しないで」と心配されるのだろうか。
お婆ちゃん、「海に行きたかった」って夢が叶ったなら
「私の舞台をお婆ちゃんに見せたかった」っていう夢も、いつか、叶えられる時代がくるからね。