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八月のジオラマに寄せて

早いもので、2人展も残り2日となりました。

長く見守ってくださっている方はご存知かと思いますが、ここ数年は自発的に展示をする機会が本当に減っていて「生活の基盤を固めるのに必死」という状態が続いていました。
描きたい気持ちはあるのに机に向かえない、3食きちんと作って早く寝て仕事して遊んで……とどんなに規則正しく一般的な理想の生活をしてみても常にどこか物足りなさを感じてしまう。そんな停滞から引き上げてくださったemさんに心から感謝しています。

これは何度でも言うのですが、emさんは私にとって「独自の世界観で道を拓いてきた人」の代表的な存在で、高校時代イベントで初めて拝見した時から多大な影響を受けていた方だったので、未だに同じ空間で展示していることが不思議でなりません。
しんどい!しんどいけど楽しい!やめたくない!とか言いながら続けていたらミラクル発生した……という現象は、続けることに迷いや不安がある人にとってはかなり希望に映るんじゃないかと勝手に思っています。

頭の中で常に「やめる もうむりやめる やっぱやめたくない うまくなりたい」と問答しながらも何だかんだ制作している時間は充実していて、確かにしんどさもあるけど何も描けてない時に比べれば圧倒的に健全なしんどさで。でも描いてる時は楽しいのと同じくらい、やってはいけないことをしている罪悪感もある。
大人になるにつれて好きなことのためだけに時間を割くのが難しくなってくるし、明確な目標があって活動しているわけではないこともあって「何のためにやってんだろな」と定期的に虚無になったりもします。
きっと私を応援してくれている人はそういう、生活と創作を切り離したくなくてもがいてる様に共感してくれている層が多いのかなという体感があり、続けていること自体に勇気をもらえると言っていただいて ああ今はそれでいいのかもなと思えました。
なんも諦めたくねえ〜〜!と暴れながらなんだかんだ楽しく生きてる奴がいるよというのを見せていけたらいいですね。
好きなことと向き合って生きることをいつも許されたいし、いろんな人にとっての許しでありたい。

私が創作活動に求めている要素として、夢見がちでいることを許される時間を守りたいという想いがあって、今回の作品群にはその気持ちをたくさん注いだつもりです。
迷子になりたいがために地図を作ったり、石橋を叩く道具を探すのが楽しくなっちゃって年単位で渡らない みたいな空回り方をする自覚があったので、夢を見るための舞台をとことん分かりやすくお膳立てしてみようと思いました。
それも完全に夢と現実を切り離すのではなくて、現実に身を置いたまま夢を見たかったんですね。なので「夢の中にしか存在しない劇場で舞台を見て、お土産をもらってかえってくる」という枠組みをつくりました。お土産が夢と現実を地続きにするアイテムという認識です。
これも、「こんな役に立たないもの貰ってどうすんだ?」というようなよく分からないものばかりなんですが、誰かにとってはガラクタのようなものでも私は魅力を感じたものを蒐集したくなるし、その類のときめきを一生追いかけていたいと常々思うのです。
ひと夏の夢の証拠をきちんと箱に入れて、標本にして飾る。というのもロマンチックでよいのではないでしょうか。

導入部分はしっかり伝えたかったんですが、人魚の連作に関してはキャラクター造形に好みを詰め込むのを優先したので情緒的な意図は少なめです。それぞれにモデルになった神話やモチーフがあったりするのでそれを見つけて楽しんでもらえれば嬉しいです。
見てくれた方が「この子が推し」「役者のポスターみたいですね」と言ってくださるのを聞いて、そういう見方の提案ができたのか!と気付かされました。

ちなみに人魚たちの舞台は水槽の中という想定で、絵の枠部分に正面から見た水槽のラインを想起させる線を入れています。
アクアリウムってジオラマとかビネットと近い魅力がありませんか?(こじつけ)

展示の中でどこまで説明するか、というのはいつまでたっても悩みどころですが、それも含めて私は展覧会というものが好きだなぁと再確認しました。

個々の作品については、機会があれば追々。

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佳
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