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誕生日なので頭の中を片付けたい
久々に会った友人たちに、
「あなたほど将来について真面目腐って悩んだり生き方について考えたりしてる人を他に知らない(意訳)」というようなことを言われた。
この類の言葉をかけられたことは1度や2度ではないのだけれど、そんなこと言って何も考えてないような顔してる人ほど堅実に計画立ててたりするでしょ。私のは逡巡してるだけでぜんぜん建設的でないのよ……
などと思いながら、約1年前に下書きに突っ込んでいた日記を読み返しておりました。
2018/09/02
「まだ若いのに考えすぎ。もっと楽に生きなよ。」と皆に言われるけど、そう言ってくれる人が私の人生の責任を負ってくれるはずもなく、失敗したら
「そんなことも考えてなかったの?」と呆れられるだけ。
好きな人たちに失望されるのが怖い。何より自分が自分に失望しながらこのままひとりで生きていくのが怖い。とにかく自分に足りないところの不安でぎゅうぎゅうになっていて、やりたいことの動機は全部欠点を直すため。
直すのではなく受け入れたらいい。
それは「やりたい」?「やらねば」?
「今後のため」より、「今やりたいこと」をしていればいつか点が繋がる。
…………
生き辛さの手助けを謳うあらゆる文章に触れてみたけれど、本意を理解できるのはまだ先になりそう。三大欲求以外ほぼ義務感で生きてきた私のような人間から「やらねば」を取り上げたら、何も残らない気がする。
今の私の中での2大不安は
・女性に求められるレベルの生活力がないこと
・お金に関する知識がないこと
自分の良い部分が見えなくなってしまうくらいそれが許せないなら、何かしら動くしかないじゃろ。
日記があんまり湿っぽくなってくると一旦寝かせるようにしているのだけど、改めて見ると今年はこの2大不安を払拭するために何かしらもがいていたんだな。(年の瀬感)
公言していたわけではないながら自ずと絵の制作ペースは落ちていって、展示に参加する頻度もぐっと減った。
それでも描くことについて考えない日は1日もない。
右手が強張ると頭も怯えだして、そういうときには必ず
「絵など人並みにきちんとした生活が送れてかつ余力がある時に描くべきものだ」
「描くことに悩んでいる状態でしがみつくように続けている姿が見苦しい」
という類の呪文が渦巻いていたりする。
きちんとした生活?
なるべくご飯は自分で作って、いつ人が来ても大丈夫な程度に部屋を片付け、洗濯物も洗い物も溜め込まないようにし、眠る時間を意識して確保、お金の出入りを把握。結構頑張ってみたつもりでも、これができてやっと人として及第点なの?日々これをこなしながら勉強や制作を両立させている人などそこらじゅうにいるのでは?と思えてきて手放しに褒められない。
特に女性となると、このくらいのことができないと誰にも相手にしてもらえないのではないか、価値がないとみなされるのではないか?時代が変わったとはいえ男性が女性に求める性質って結局そこでしょ?絵しか描けない、それを職にする気もない女と誰が好き好んで一緒にいたいと思うか?
こんな調子で、まともになろうとすればするほど強迫観念のようなものが色濃くなってきて、自分に優しくするのが難しい。
(なおこの厳しさは自分に対してのみ発動するので他人には当てはまらないものと思ってほしい。)
あとは、楽しくないなら描いてはいけないという極端な思い込みがある。「本当に好きなら努力を苦と思わない」説があり、実際放っておいても勝手に手が動いちゃう人もたくさん見てきたけど
そういう人たちが四六時中 正の感情だけで描いているとか、超えなきゃならん壁がこれまでひとつもなかったなんて思えない。
あれこれ講釈を垂れてはみたが要は
一線超えられないのを年齢の圧のせいにして正当化して
向き合うことから逃げてしまえる程度の絵に対する気持ちを
長いこと持て余しているなあ。という話でした。
丁寧な暮らしの中に、呪いを解く手がかりがあるといい。
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