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誰がためでもない花の歌

只今、希少植物がテーマの展示に出展中。

出展のお誘いをいただいてから、
「絶滅を防ぐために私たちに出来ること」のような意図を絵の中に込めるべきだろうか……と結構悩んだ。
植物育成に関して深い知識があるわけでもない私が突然植物を守ろう!みたいな絵を描いたって説得力ないし、説教のような要素はなるべく入れたくない。

だって考えれば考えるほど、減らすのも増やすのも人間の勝手だ。
植物は別に人間の生活を華やかにしたいだとか、種を長く存続させたいだとかを考えているわけではないだろうし、生態系が崩れて困るのも人間の都合と言えばまあそうなる。困ると言いつつ、絶滅の要因の8割は人間が直接関与しているんだとか……

今回のテーマに限らず、絵の案出しをしていると、
「これ人間いらなくない??」
「人物が描きたくて描いてるのに本末転倒か??」と感じることが度々ある。
(ないですか?)
植物を人間のための装飾として描きたくないという気持ちも出てきたりして、いつも以上に難産だったりした。

人の手の届かないところにしか残されていない種は、誰に見られるでもなくただそこにある。
手折られたりしないようにそのまま隠していたい気持ちと、綺麗に咲いていることを誰かに知らせたい気持ち。
花に寂しいという感情はあるのだろうか?
最後の一輪になったとして、その自覚はあるのだろうか?
などと悶々しながら、花の感情を演奏する指揮者を描くことに。

タイトルに「鐘想曲」と入っているんですが、私が勝手に作った造語です。
観客のいない演奏会。山中で遭遇できたとすれば、花に招待されたのかも。


最近読んだ吉田篤弘さんの短編集「月とコーヒー」の中に

流動星サイロン接近の影響で引力に乱れが生じ、人間の体は徐々に小さくなって消えてしまうことが発覚。この星に自分たちが生きていたことを証明するため、縮小が始まり消滅していく人々の像を作り続けた彫刻家。

というような話があった。(「白い星と眠る人の彫刻」より)
なんとなく漠然と、形をつなぎとめたり存在を知らせたりすること自体が、表現を得意とする者に出来ることの1つなんだろうなと思った。

あ〜〜考えを絵に投影するのは本当に難しいな。

展示を見て、何か1種でも心に残る植物がありますように。

若手作家による希少植物画展
《あしもとにゆらぐ》
主催:常花の園実行委員会様
会期:2020.2.1(土)〜9(日) 10〜16時
会場:京都府立植物園 植物園会館一階展示室
※観覧は無料・別途入園料が必要です。


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佳
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