センスは移動距離に比例する
センスは移動距離に比例する。
最近、こんな言葉をSNSで見かけた。
人間のセンスとは、その個々の感性や洞察力を指し示す言葉である。
一方で、移動距離は、身体的な行動や経験の幅を表す。
一見すると、これらの要素は異なるもののように思えるかもしれないが、実は深い関連が存在する。
僕は、この言葉に賛成のスタンスで、センスと移動距離が密接に関連していると思っている。その関係について考察してみたい。
センスと知識
とある本がある。
ここではあえてその本の名前は出さないが、知識を詰め込んでいくことがセンスにつながるというものだ。
ただ本当にそうだろうか、知識がある知識人がセンスがいい人なのだろうか?
僕はそう思わない。
僕はそんな人をこれまでたくさん見てきた。知識だけで頭でっかちになっている人。
このご時世、Googleで答えが見つけられるからといって、それだけに頼っている人は、物事の本質を理解しているとは言えないと思う。
なので、この「センスは移動距離に比例する」っていう言葉をSNSで見たときに、
あ、確かにと思ったのは「移動距離」に大切なことが隠されているんだと思った。
精神的な移動
まず、センスが移動距離に比例するという考え方は、
単なる身体的な移動だけでなく、精神的な移動や経験の幅も含まれると捉えるべきである。
人は新しい場所を訪れることで、異なる文化や考え方に触れる機会を得る。
当たり前だと思っていたことが、全く通用しない地に行くことだってある。
一人で行ったらなおさらで、航空券の手配、現地の人とのコミュニケーションなど全て自分で解決していく必要がある。
でもこれによって、新たな刺激や知識を得ることができるため、センスが磨かれるのである。
さらに、移動距離が増えると、人はさまざまな状況や環境に適応する能力を身につける。
新しい場所での生活や交流は、柔軟性や洞察力を養うことにつながる。
これらの経験が積み重なることで、センスは徐々に高まっていく。
また、移動距離が増えると、自己成長や発見が促進される。
新しい場所や状況に身を置くことで、自分自身の可能性や限界を見つけることができる。
このような経験は、センスを磨くだけでなく、自己理解や自己啓発にも繋がる。
これまでの経験
自分で自分のことをセンスのある人間だ、
と言っているわけではないが、
24歳で独立して、今年31歳になって、こうやってやりたい仕事ができて
野心のあるクライアントやチームに囲まれて仕事ができているもの、
20代のうちにたくさんの距離を移動してセンスを磨いてきたからだと思っている。
19歳の大学二年の時に初めて自分で貯めたお金でロサンゼルスに遊びに行った。
親が幼い時から英会話教室に通わせてもらっていた関係で英語ができると思っていたが、
初めてのアメリカで全く英語が話せず意気消沈していたが、
ノリで現地の人と仲良くなり
カルチャーやこういう考え方やライフスタイルもあるのかーと学べたことも大きかったし、
そこから旅行に行けるお金ができたらすぐに海外旅行にも行くようにした。
これまでに、本当に数多くの国に旅行に行って、世界中に友人も作り、
海外の人と一緒に仕事する機会にも恵まれ、
友人の紹介で国外のクライアントと仕事する機会にも恵まれている。
最近嬉しかったことは、会社のクリエイティブの作品ポートフォリオを見てくれて、
そのプロジェクトに共感した国外の人たちから一緒に働きたいと連絡をもらうことも多くなった。
これは20代の頃に多くの場所に行って、センスを磨いてきたからに他らないと思うし、
それがなかったら今の僕はいないと思う。
日本国、世界史の教科書では日本が中心に描かれている。
でも欧州の人の教科書ではヨーロッパやアメリカが中心として描かれるので、
日本は極東にある小さな国という立ち位置なのだ。
小さい国で鎖国されていた歴史もあるからこそ、素晴らしい日本文化が育った国。
ただ、それがスタンダードになったらいけないと思う。
自分のコンフォートゾーンから抜け出して、自分のセンスを磨くためにも、移動距離を伸ばそう。
センスは移動距離に比例すると心の底から信じて。
玉田曜一郎