見出し画像

「察してくれ」を身内に強いるマーケターと呼ばれる人たち

某日の日経新聞で以下の記事を見つけ、とても衝撃を受けました。

スクリーンショット 2022-01-25 7.11.00

この記事には続きがあって「書籍・雑誌購入は,40代は28.3%、50代の6.8%を上回る(マイナビ調査)」とも報告されています。つまり40代は学習意欲はあるとも同列でいえるのです。本人の学習意欲は高いのに、DXは関わりたくない、とは?

40代の苦悩?

記事内で記されていたように
①(いわゆる)プレイングマネージャーである中間管理職の悩み
②子育てや育児
③現状にプラスαでの知識や労力投資に割く時間がない   etc....

ということも当然あるでしょう。だけどそれだけでしょうか?

現段階の40代の言い分を熟考してみると、これはいわゆる一人称の"主観"の主張であって、対話(野中郁次郎先生風にいうなら、知的コンバット)によってそれを二人称とする"相互主観"を形成できていないのでは、、、という疑問を生じてきます。つまり単純にいうと職場でも家庭でもコミュニケーション不足とでもいえるでしょうか。もちろんそこには共感や共鳴なんてあるわけありません。

お前にはわからない、と言われる覚悟でお伝えすると、つまり今時点については頑張っている(一生懸命である)のは確かであるものの、自らの発信されているか、ということが気になります。実は受身であって能動的であることを失念している懸念がある40代、だけど自分は頑張っている、社会責務を果たしていると思い込んでいる。そんなことをこの記事から強く感じた次第です。

知の巨人(1) -福沢諭吉-

ちょっと前置きが長くなりましたが、今日のnoteはこのような発想と全く異なる「(当時40代だった)知の巨人」について2人、ご紹介してみようと思います。

画像2

まず一人目が誰もが知っている(お世話になっている?)福沢諭吉。
福沢諭吉といえば「学問のすゝめ」が有名ですが、もっともっと学ぶべきことがあります。
彼はイギリスの議員内閣制をジョン・スチュアート・ミルから学び、明治8年に「文明論之概略」を著されました。日本にイギリスの議員内閣制を導入しようとしたり、かなり政治も研究された方で知識人であり、かつ国民に絶大な人気をあったようです。つまり福沢諭吉とは、智と勇のバランスに長けており学者・研究者であったのでしょう。

明治13年。伊藤博文、井上馨、大隈重信はその福沢諭吉を利用して政界にて顧問的役割をすると確約しました。しかし実は彼の人気だけを利用して当時の政局を乗り切ろうとしたというのが実情。つまり福沢諭吉が理想としたイギリス型議員内制など三人は実現するつもりはなかったのです。

さらに「明治14年の政変」後、今度は伊藤博文と井上馨から離れた大隈重信が彼に近づいて政界入りを懇願しました。しかしながら、その時の福沢諭吉の取ったのは政治ではなく、自由な民間人、言論人だったのです。

「個人が学問を修め,独立する。何者にも媚びず,正しいと思う道を進む、独立自尊」の姿勢を貫きました。まさに彼は、知的コンバットをしながら,個人の在り方と日本人の本質を問うた姿勢を貫いたのでしょう。

(*蛇足ですが現在、慶應義塾大学三田キャンパスにある「三田演説館」にいくと当時のリアルで対話した福沢諭吉の姿を思い身震いしますよ)。

知の巨人(2) -山本亡羊-


もう一人。あまり知られていませんが、山本亡羊(1808〜1867年)という方です。京都にある山本読書室という小さな蔵から発信していましたが、最近注目されています。

山本

まず素晴らしいのはスローガン。 社会変革「知識の力で国を救う」です。

当時の身分制の厳しい江戸時代末期に「知で国家を救う」という山本のパーパスは、興味深いものです。鎖国時代にどのようにして情報を取っていたのでしょうか。

山本の残した格致類編25冊にある目録22,300点の商品分類を見ると、観察能力や、センスメイキングでの感知力が優れていることがわかります。例えば、ネズミの分類、薬草などの写実的絵と分類。これはまさに、江戸時代のウィキペディアであり、シソーラスを作ってしまっていたともいえるでしょう。

医者であり、儒学者であり、本草学者。1,600名の門人(青森から鹿児島まで集客)を教えた彼の存在は、全国からさまざまな人間を惹きつける目的と観察からのストーリー作りにあったのではないでしょうか。

知識<創造性

福沢諭吉と山本亡羊は、今に生きる私たちにも新しいイキイキとしたエネルギーを我々に与えてくれます。その根底にあるエネルギーとはなんなのか。それは、自分の存在価値を見いだす作業を通じて、挑戦し続けることであり、考え抜くことだと私は思います。

前半にお伝えしたのは40代の事例でしたが、このような変革することを拒絶してしまう姿勢、いや時間がないと推進を恐れていることではこれからの世の中どうなるのでしょうか。江戸や幕末期に生きた先人たちが、こんなにも大きな産物を与えてくれているというのに、私たちは次の世代に何を残せるのか。そんなことも頭に過ぎります。

もちろん今の環境、業務も大切です。継続は力でもあります。でもその一方で私たちは、新たなる出発を常に視野に入れなければいけないのではないでしょうか。ビジネスとしてMBAなどの知識を得ることももちろん重要ではありますが、並行して思考法も強化していくこと、自らを律して考え抜ける力を強化していくことも大切だと私は思います。つまり知識やオペレーション能力だけではも創造性も養うということです、一人ではなく相手と共に。大切な相手だからこそ「察してくれ」は不十分ではないでしょうか。

まとめの代わりに

最後に、私に大いに影響を与えてくれている人類学者ティム・インゴルドの言葉を記したいと思います。

「参与観察は,対象についての研究ではなく、相手と共に考えるプロセスであります。互いに変容することの方が、客観的なデータを収集するより大切です。でも変容が起きる時には他者を調査対象者として、固定するような見方ではなく、相手から学ぼうとする姿勢が必要になります」
(ティム・インゴルド「メイキング」より)

(完)