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VOL.14寄稿者&作品紹介28 武藤充さん

第12号からの「ウィッチンケア」寄稿者・武藤充さんは、JR横浜線「町田」駅近く、文学館通り沿いのサウスフロントタワー町田内にある(株)武藤興業の経営者。前々号、前号とご自身の家系をメインに、町田にまつわる逸話をご紹介いただきました。そんな武藤さんの今号への寄稿作は、(ちょっと大袈裟な表現をすると...)「町田偉人伝」とも言えそうな、観光ガイドなどでは紹介されることのない町の成り立ちを綴った一篇。なにが凄いって、なにしろ武藤さん、実際にその〝偉人〟と直接ご商売での関わりを持ったうえで、今作を書いているのです。とくに興味深いのは、株式会社マルカワの創業者・小川量司さんに関する話。ウィキペディアを見ると「日本におけるジーンズショップの草分け的な存在」との言葉もある、「ジーンズショップ マルカワ」。旗艦店である町田本店は惜しくも2021年2月に閉店してしまいましたが、同店がオープンした1975年に町田市立第一中学校3年4組だった私(←発行人)の史観からすると、マチダにマルカワがないなんて考えられない! そのくらい地元に愛されていたお店なのでした。...かつて三軒茶屋や中目黒(いずれも閉店)でマルカワを見かけたときの、あの違和感。「おかしい、ここはマチダか?」、あるいは「フフフ、ついに世田谷も目黒もマチダの軍門にくだったか」、みたいな。マルカワについてはかつて私も相模原町田経済新聞に書いていますので、ぜひご参照ください。


今作が洒落ているのは、現在の小田急線「町田」駅からJR横浜線「町田」駅あたりまでの町並みに沿って、数々の逸話が語られていること。“モディと三井住友銀行の壁面に挟まれたこの小さな道は、数十メートル足らずしかなく、すぐに僕が「町田スクランブル五差路」と言っている空間に辿り着く。信号も横断歩道もない、小道が交差するだけの僅かな空間だけれど、渋谷駅前のスクランブル交差点の超ミニ版だと、僕は認識している”...ああ、あそこのことね、とわかるあなたは、たぶん小田急線沿線在住者、かな。


作中では町田市と境川を挟んだ相模原市で創業したブックオフコーポレーションについても語られています。武藤さんは創業者・坂本孝さんとも親交があり、学ぶべきことが多かった、とのこと。とくに日本経済新聞にまつわる話は、読んでいてなるほど一理あるなぁ、と思いました。みなさま、ぜひ小誌を手に取って、武藤さんを介した〝偉人〟のお人柄に触れてみてください!


ウィッチンケア第14号(Witchenkare VOL.14)発行日:2024年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりー/発行人の屋号)
A5 判:248ページ/定価(本体1,800円+税)
ISBN::978-4-86538-161-0  C0095 ¥1800E 


「武藤君、パチンコ屋をやりなさいよ。あれは儲かるよ。毎日いくら儲かっているか直ぐに分かるんだ」
 桝田屋跡の相談での、小川さんの第一声を今でも覚えている。小川さんはさらに、「僕もやってみたけど、子どもが学校で、親がパチンコ屋をしていることで揶揄されたので商売を替えたんだ」とも。
 マルカワの商売替えは全て成功しての変更だという。後に知ったが、小川さんは昭和43年にはアメリカを視察し、ジーンズの普及とロードサイド店舗の時代が到来することを、早期に確信していたようなのだ。
「厚木(現マルカワ湘南店/昭和50年開店)に店舗を出そうとしたら取引先が現金払いでないと商品を入れてくれないと言い出したので、八千代信用金庫(現きらぼし銀行)に相談したら仕入れ資金を手当てしてくれた」「湘南店を出す場所は田んぼが一面に広がる場所で、この新規出店については取引先は理解することができず取引条件を変更してきた」「その後も出店資金をどんどん貸してくれたので店も増えていったんだ」などと楽しそうに話してくれた。ピークには店舗が50くらいあったと思うが、八千代信用金庫との絆は固く、同行の町田支店にある会議室を借りてマルカワ店長会は開かれていたという。

~ウィッチンケア第14号掲載〈街の行く末〉より引用~

武藤充さん小誌バックナンバー掲載作品:〈日向武藤家の話〉(第12号)/〈氷武藤家の足跡〉(第13号)


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