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VOL.13寄稿者&作品紹介31 藤森陽子さん

前号掲載作(第12号)では、おはぎとあんこの名店を紹介しつつ、この四半世紀の「男女のありよう」の変化についてご自身の実体験をもとに記してくださった藤森陽子さん。ウィッチンケア第13号への寄稿作「梅は聞いたか」の前半では、なんとも優雅で風流な《お香の会》に参加したさいの、記憶にまつわる素敵なエピソードが披露されています。風流とは無縁の私(発行人)──たとえば稀に懐石料理の会などにお呼ばれすると「これおいしいですね」と口では言いつつ心中では「腹減ってんだから定食みたいに全部いっぺんに持ってこい〜」と思っている──ですが、本作での《白檀の香木》からたゆたう白い煙を聞いて過去の記憶が甦るくだりは、とってもリアルに共感できました(ちなみに「香」の世界ではにおいを「嗅ぐ」じゃなく「聞く」んだそうで、これは初めて知った!)。でっ、おおオレもやっと風流がわかるようになったか、と喜びながら本作後半を読み進めると...あることに気づきました。もちろん《お香の会》自体も風流なんだけれども、それに参加した藤森さんがものした文章が秀でているから、オレも風流な気分になれたのだ、と。

《定点観測と咀嚼の人生》という言葉に、藤森さんのライターとしての矜持を感じました。今号、偶然にも、この後に紹介文を書く宮崎智之さんの寄稿作も「書くこと」についての一篇。藤森さんと宮崎さんの2作を比べて読むと、それぞれのスタンスが浮かび上がってきて興味深いです。でっ、藤森さんの場合、もちろんこれはさまざまな経験を経たうえでの境地だと思うんですが、《雑誌ライターという仕事を長く続けていると、つくづく自分の立場は「永遠の素人」だと思う》。同意です。いまは雑誌が取材先と読者の媒介たり得ているのか(それはもうネットが主流ではないのか)という問題はあるにしても、専門誌以外のライターは素人イズムを持っていたほうがいいな、と。

本作、前半と後半にどんな繋がりがあるんだ? と思う人がいるかもしれませんが、たとえばこんな読みかたをしてみてはいかがでしょう。前半は藤森さんのライターとしてのスキルのお披露目。後半はそのメイキング、と。...私も短くもなく「なんでも系」ライター稼業を続けてきて、「素人だから気づく」みたいな体験を何度かしてきました。終盤で藤森さんが映画「新聞記者」からの《「Believe and doubt yourself morethan anyone else(誰よりも自分を信じ疑え)」》を引用しているのも...ほんと、これを心に刻んだうえでのトーシロであるべきだなぁ、と。

 何がしかの世界で活躍する人に会いに行き、話を聞くには当然ながら失礼のないよう予習が必要で、下調べをしてコツコツ基礎知識を詰め込む。かといって詳しくなり過ぎてもインタビューが成功する訳ではないのだが、どちらにしてもその程度の知識量など、日々その道で情報を更新し続ける現場の人から見ればちょっと事情に詳しい素人に過ぎないのだ。
 ならば、せめて聞き手としてのプロでありたいと思う。女優やモデルがプロの美人であり、アスリートがプロの筋肉であるならば、自分は「プロの素人」でありたいと思うのだ。いい大人がいつまでも傍観者でいいのだろうか、天気のいい日に一日中パソコンを眺めて座り続けていると、もっと外に出て人助けの一つもした方がいいんじゃないかなどと思うこともしばしばだが、結局この仕事を続けているのは、おそらくまだもう少し取材をしていたいからなのだと思う。

〜ウィッチンケア第13号掲載「梅は聞いたか」より引用〜

藤森陽子さん小誌バックナンバー掲載作品:〈茶道楽の日々〉(第Ⅰ号)/〈接客芸が見たいんです。〉(第2号)/〈4つあったら。〉(第3号)/〈観察者は何を思う〉(第4号)/〈欲望という名のあれやこれや〉(第5号)/〈バクが夢みた。〉(第6号)/〈小僧さんに会いに〉(第7号)/〈フランネルの滴り〉(第9号)/〈らせんの彼方へ〉(第10号)/〈上書きセンチメンタル〉(第11号)/〈おはぎとあんことジェンダーフリー〉(第12号)

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