VOL.12寄稿者&作品紹介31 藤森陽子さん
藤森陽子さんの今号寄稿作に登場するふたつの甘味屋さん。巣鴨のお店はご縁がなかったのですが、最初に登場する銀座の「おかめ」。こちらはご縁ありまくりでした。私(←発行人)は社会人人生の最初の3年だけは勤め人でして、そのうちの2年強が銀座1丁目のオフィス。「おかめ」は、自分ひとりで入ったことはなかったですが、女性との打ち合わせではよくいきました。もちろん平日の日中なんで仕事の打ち合わせ(あるいは打ち合わせ後のちょいサボり)で。...なんというか、仕事相手ではあるのだが「ちょっと、一緒にいると楽しいな」くらいには思ってて、でもいずれ仕事抜きで会ったりもするのかというとそれはないだろー、くらいの距離の人と、あけすけに言いますと「仕事にかこつけて経費で落とす」みたいな(おもに20世紀末)。でっ、藤森さんとも長いお付き合いなので、もしかすると1回ぐらいはご一緒してませんかね(多人数でとかも含めて)? それはともかく、藤森さんは映画関係の仕事を多くこなしていた時代、試写会の後に遅いお昼を食べる場所がなくて、よく「おかめ」のおはぎを2個食べていたと。スタバ上陸以前の銀座の話、とあるので「〜1996年」か。たしかに、華原の朋ちゃんが「つゆだく」を流行らせた(というか、「えっ、若い女が吉野家食うのか」という驚きがあった)のが1990年代終わりあたりで(皮肉なことについ最近も「生娘を」...以下略)、あのころのそんな時間帯、男なら立ち食い蕎麦とかいけそうだったけれど、女性はたいへんだったかも。
平日午後3時ごろの、「おかめ」店内の描写が、これはなかなか男は気づかないなという感じで素敵です。“ほうじ茶を啜りながら周りを見渡すと、「三越」や「松屋銀座」「和光」の紙袋を横の席に置いたご婦人たちがあんみつや茶めしおでんを楽しんでいる。きっとデパートで用事を済ました後に、家で晩ごはんの支度をするまでのひと時を過ごしでいるのだろう。”...たしかに、そういうマダムがいましたな。1985年の男女雇用機会均等法成立以前に一流企業に就職してすぐに家庭を持ったっぽい、キラキラ系のママさんたち。紅茶やビールに「お」を付けるのが似合いそうな。お紅茶、おビール。。。
本作の終盤、藤森さんは当時の自分を振り返って“男の役割、女の役割という、今でいう〝らしさの呪縛〟に支配され、やがて共依存に陥っていく男女間の負のループを見かけるにつけ、息苦しくて仕方がなかった”と書いています。小誌前号は原稿〆切時期がちょうど森喜朗さんの例の発言と重なっちゃって誌面もエラいことでしたが、平成前期なんて、そういう〝世間〟からのプレッシャー、半端なかったよなぁ。ええと、現在の藤森さんがどんなお考えなのかは、ぜひ小誌を手にしてお確かめください!
そうか、一人で食事がしづらい世代のお母さん方にとって、デパートの大食堂と甘味処は誰に気兼ねすることなく一人の時間を過ごせる聖域なのだ。確か向田邦子だったか、嫁と姑でデパートへお遣いに行き、帰りに遠慮がちにこっそり外食をする。そんな一篇があったなぁ……などと考えているうちにふいに泣きそうになる。
そうして思ったのだ。自分があのお母さんたちの世代になる頃には、気兼ねなんかせず一人で飲み食いできる世の中になっていますように。そして自分も、いつかの旅で見かけた、シャンゼリゼ通りのカフェで悠然とオムレツを食べていたパリのマダムのように、カッコよく一人で食事ができる大人になれますように、と。
〜ウィッチンケア第12号〈おはぎとあんことジェンダーフリー〉(P176〜P179)より引用〜
藤森陽子さん小誌バックナンバー掲載作品:〈茶道楽の日々〉(第Ⅰ号)/〈接客芸が見たいんです。〉(第2号)/〈4つあったら。〉(第3号)/〈観察者は何を思う〉(第4号)/〈欲望という名のあれやこれや〉(第5号)/〈バクが夢みた。〉(第6号)/〈小僧さんに会いに〉(第7号)/〈フランネルの滴り〉(第9号)/〈らせんの彼方へ〉(第10号)/〈上書きセンチメンタル〉(第11号)
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