VOL.14寄稿者&作品紹介24 中野純さん
昨年11月に「ナイトハイクのススメ 夜山に遊び、闇を楽しむ」(ヤマケイ新書)を上梓した中野純さん。前号への寄稿作〈臥学と歩学で天の川流域に暮らす〉は、中野さんがライフワークとしている闇学(?)についてのド直球な一篇でしたが、今回は「うるさい」について。カエルやセミも登場する、闇問題の〝周辺事態〟とも言えそうな内容です。でっ、カエル。昨年北関東に小旅行したさい、訳あって某所で夜の高速道路を降りて田んぼ沿いを走りましたが、カエルの求愛声って...マイブラやメタリカじゃ勝てないな(私が知ってるのだとMeshuggahとかDeafheavenとかならいい勝負できそう)。あと、私は小学校低学年を親の転勤で宮城県仙台市の、国道4号線からちょっと入ったところの県道だか市道のそばで過ごしましたが、その道路をまたいだ向かいには池がありまして、おたまじゃくしがカエルになる季節、夜になると「ペチャン、ペチャン」という音が闇からひっきりなしに聞こえてくるのでした。何の音? カエルがクルマに轢かれる音。そんな体験があるからか、中野さんの今作で指摘されている人間社会と自然の関係は、とても心に響いたのでした。
冒頭で語られている“去年の初夏、「カエルの鳴き声がうるさくて眠れないから騒音対策してくれ」と近隣住民が農家に注文したことが、かなり大きな話題になったのだった”、という話。あなたの安眠を優先すると生態系がまわりにまわっていずれあなたはおコメが食べられなくなりますぞ、と説明してもわからなかったら、ここはもう、入江聖奈さんに一発...いや、入江さんは試合以外ではそんなことしないと思いますが。
作品後半には“半分冗談”というフレーズが頻出します。問題は“冗談”じゃないほうの半分でして、そうでもしないと取り返しがつかなくなるくらい人間中心社会システムと地球環境の折り合いはギスギスしてきているぞ、という、これは中野さんから人類への警告の一篇であります。近頃は一時期ほどSDGsなんて言葉も聞きませんが、みなさまぜひ、小誌を手に取って、中野さんがなぜ「うるさいがうるさい」ことにうるさく(!?)言及しているのかお確かめください。
田んぼに集まるとくにアマガエルの合唱の音量は実際、ものすごい。至近距離で聴くアマガエルの大合唱を「趣がある」と感じるのはなかなか難しい。苦情をいった人が、音を遮る庭木もロクにない狭い家で、ひどく辛い思いをしているのは間違いない。それを「自然音だからしょうがないだろう」とかんたんに切り捨てるわけにはいかない。そもそも、たとえ過渡期的なものであっても、郊外住宅地と田んぼを無造作に隣接させるという、その地域デザイン自体に問題がある。
だが、郊外住宅地と田んぼが隣接して共存するというのは、それが無造作でなければ、それはそれで大いにありだ。郊外住宅地と森も共存して、カエルだらけで虫だらけで獣だらけなのに勤め人だらけの都市をつくっていくという地域デザインは、それはそれで素晴らしい。素晴らしすぎる。
~ウィッチンケア第14号掲載〈うるさいがうるさい〉より引用~
中野純さん小誌バックナンバー掲載作品:〈十五年前のつぶやき〉(第2号)/〈美しく暗い未来のために〉(第3号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈天の蛇腹(部分)〉(第4号)/〈自宅ミュージアムのすゝめ〉(第5号)/〈つぶやかなかったこと〉(第6号)/〈金の骨とナイトスキップ〉(第7号)/〈すぐそこにある遠い世界、ハテ句入門〉(第8号)/〈全力闇─闇スポーツの世界〉(第9号)/〈夢で落ちましょう〉(第10号)〈東男は斜めに生きる〉(第11号)/〈完全に事切れる前にアリに群がられるのはイヤ〉(第12号)/〈臥学と歩学で天の川流域に暮らす〉(第13号)
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