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ウィルスとの共存ってどうするの(エッセイ)

『風に谷のナウシカ』 『天気の子』 のあらすじ(ネタバレ)を含みます。

「with コロナ」と言われる時代。それはどういう時代なのか、残念ながら答えは誰も知らない。だから、自分で考えるしかない。

 最近、NHKで生物学者の福岡伸一さん、歴史学者の藤原辰史さん、美学者の伊藤亜紗さんが『風の谷のナウシカ』に触れながら新型コロナウィルスとの共存の方向性について語っている番組を観た。コロナ禍で発生する様々な問題にほとんど答えを見出せずにいる私たちだが、この番組には大いに触発された。(BS1スペシャル「コロナ新時代への提言2」8月1日放送)

 昨年公開された映画『天気の子』では「観測史上例のない」が当たり前になっている昨今の異常気象をリアルに物語る。自然の脅威と人類はどう向き合うべきなのかという視点で観ると、コロナ禍を生き抜くためのヒントがあるかもしれない。

 共存のヒントを二つの作品の中に探ってみた。

 宮崎駿の漫画版『風の谷のナウシカ』では「ありのままの生命そのものに価値がある」と考えるナウシカが、産業文明の果てに滅びた旧人類が未来に遺した技術遺産を破壊する。それは理性と知性によって計画され改変された人工生命。彼女にとって命とは「闇の中のまたたく光」であり、暗闇を排除し死をも否定した世界など未来ではあり得なかった。自分たちが腐海によって清浄化された世界では生きていけない汚れた生命だと認識した上で、ありのままの命の力を信じて「生きねば」と力強く呟くナウシカ。

 新海誠の『天気の子』穂高は、人類が個の犠牲を黙認する事で折り合いをつけようとしてきた自然との調和を反故にした。晴れ女として天に身を捧げたヒロイン陽菜を取り戻すことができた代わりに、街の多くは海の底に沈んでしまう。自分たちが世界の在り方を変えてしまったと苦しむ穂高は、家出をして上京した自分を救ってくれた須賀の「世界なんて元々狂っている」という言葉を噛み締めながらも、自らの意志でこの狂った世界を選択し愛する人と共に生きていこうとする自分と陽菜を再確認する。

 主人公たちに共通しているのは、人間の理性や知性が自然をコントロールしようとする行為に強い違和感を持ち、ありのままの世界を受け入れた上で腹を括って力強く生きようとする姿勢だ。コロナウィルスはまるで『ナウシカ』の世界に満ちる瘴気だ。マスクなしでは生きていくことができない世界。そして『天気の子』の世界を狂わす異常気象も、もはや物語の中の架空の出来事ではない。地球誕生の歴史から紐解けば、人類の歴史なんてほんの一夜の出来事に過ぎず、疫病の発生も、街を海の底に沈める大雨も、自然にとっては当たり前の営みなのだ。小賢しい知恵で自然を制圧したり、折り合いをつけようする人間の行為はいかにも愚かに見えてしまう。だから、彼らは自然のままに受け止める。汚れて危険で生きにくいこの世界を敢えて選択し、たとえそれが間違っていたとしても人類の持つ命の可能性を信じて生きていこうとする。

 コロナ禍の現代に、二つの物語が提示するのは、変わってしまった世界を受け入れ、改めてこの世界で生きて行くことを選択し直すこと。つまり、コロナ以前に戻れるという幻想に惑わされることなく、今日の現実を受け止めること。そして、この世界で生き延びるための具体的な行動変容と発想の転換をすること。焦らずに時間をかけて、人が生きるために必要なことやものを選択し直していくことだ。それぞれの立場で、限られた自らに出来ることを一つでも見つけ出し実行していくしかない。それは誰かがワクチンを完成させてくれさえすれば元の生活に戻れるという期待ではなく、暗闇の中を手探りで進み続ける新たな生き方の模索であるはずだ。

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