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2024/09/25

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本編

はじめに

 あぶないあぶない。危うくガス停止の一歩手前まで来ていた。前にも書いたが私は夏の間帰省しており、その間料金を払っていなかったということだ。カード決済ならこうはならないのだが、生憎私はコンビニ決済にしていたので、肝がひやりとした。あと、2時から5時半までカラオケした。さすがに疲れて、後半は寝転がりながら歌うというより口ずさむような感じになっていた。外に出るとすっかり明るくなっており、朝焼けが綺麗なグラデーションを作っているのを見た。そして牛丼屋で鮭定食を食べ、家に帰ってよく寝ましたとさ。

言語化は正義か

 こういう景色が綺麗、というのを言葉で説明するのは大変な気がする。というのも、直球だからだ。古代原子論では、原子という物体を構成する最小単位が存在するだろうことを推察していた。もし物体の小ささに限界がなければ、それ自体もそれにより構成される物体も触ったり他の物とぶつからないだろう、という具合だ。人の感情と文章の関係にもこれは当てはまると思っている。よく言語化する表現をまとめた本が注目を集めたりするが、あまりに言語化しすぎるというのは、鳥の美しさを調べるためにそれを解剖するかのように思える。解剖により詳しい知識を得ることはできるが、何もそこまでグロテスクなことをする必要はないのでは、と思ったりする。ただ言語化が今の時代に求められるのには文章という一応は共通言語の低をなしているものを活用するのが一般的だという土壌があると思うので、言語化自体は悪ではないと思う。

おわりに

 たまには終わった生活をするのもありだ。たまには、ね。それでは。