2024/09/03
※当記事は後から編集される可能性があります。ご了承下さい。
本編
はじめに
最近、秋を感じる。夕方は早まって夜になれば虫たちが鳴き、朝の寒さが感じられるようになった。寒がりな私としては、寒さを感じにくい夏の終わりは認めたくないが、時はそんなもの何処吹く風とただ淡々と進むんだ。それでいいのだけれど。秋つながりでいうと、「XXの秋」には複数の一般的なアンサーがある。食欲だったり読書だったり、あるいはスポーツだったり。もう一つ挙げるとすると、例えば「芸術」とか。というわけで、私の好きなボカロPである、ピノキオピーさんについて、特に好きな曲を挙げながら書く。
一曲目
一曲目は自分がハマるきっかけとなった、「恋の恋による恋のための恋」について。この曲の歌詞を端的に表すと、ある人に恋に落ちて、恋を知ったがその恋は遠ざかっていき、という感じだろうか。しかし私がピノキオピーさんのセンスに脱帽する所として、Aメロでは一切「恋」という言葉を用いずに、心の揺れ動きをありありと表現しているのだ。それだけに、Bメロの無機質に過去を振り返るような歌詞が刺さる。そして何より、ラスサビ前の怒涛の「殺して」連打。これだけ気持ちを抑えようとして、でも到底そうできるようなものではなくて。あぁ、これが恋か。という感想だ!
あと、2回目は字幕を英語にして見るといいですよ。
二曲目
嘘。ピノキオピーさんは、これの深くかかわる曲を複数作っている。そんな中でも、この曲ほど「嘘」を聞く曲は無い。固定コメントから歌詞を見ると、それはもう沢山「嘘」という字がみられる。映像に関しても、控えめな服装の時は全体が灰色で、アイドルのような服装の時は色づいて、おまけに童話「ピノキオ」のように鼻だって伸びる。そんなこの曲だが、「嘘」と同じくらい目に留まるのが、「本当」である。嘘と本当。相反するもので、一般的な認識も真逆のものだけれど、実際は歌詞にある通りのことしていたりするなぁと感じる。嘘で周りを、自分を満たしていても、いやだからこそ、「嘘」みたいな「本当」を探していた、この部分に思いが込められている、そう私には思えるのだ。
三曲目
最後に紹介するのは、「ヨヅリナ」。インターネット上の友達についての歌、と考えられる。まず言いたいのは、音が良い!こういう感じの断続的な音とか、よく言い表せないけどめっちゃ好みである。次に歌詞。深夜、画面の向こうにいる人がどんな人か(人でないかもしれない)すら分からないのに何時間も話して、めんどくさかったり会話に面白みがないときもあるけど、何だかこの時間が終わってほしくなくて。そんなことをしていたらいつの間にか日が昇って。これを上手い具合に歌に落とし込めるのが、私の好きなピノキオピーという人なのだ。あと、自分ともう一人とだけの空間を宇宙に喩えるの、すごく好き。
おわりに
というわけで、ピノキオピーさんの曲を3つ紹介した。もちろんこれ以外にも好きな曲はあるので、もしかしたらまた書くかもしれない。つまり、ピノキオピーのこと、寿司くらい好きってこと!これで記事を締めようと思う。明日は、ピノキオピーさんと同じボカロの作り手だけど、初音ミクを主に使うピノキオピーさんとはまた異なった音楽ソフトを用いる、フロクロさんについて書こうと思う。それでは。