サイサリが好きだった
Bjorkやレディオヘッドを聴いてる自分をオシャレだと思い込んでいいのは何歳までなのか、そろそろ法律で決めて欲しい。別にかっこいい音楽を聴いているからといってかっこいい人になれるわけでもないことはそろそろ解っているのだけれど。
"みんな"とか"普通"とかいう言葉をなんとなく苦手なまま生きてきた自分は、その疎外感を「自分だけが特別で誰も知らないような曲を聴いているのだ」という愉悦に挿げ替えてこれまでやり過ごしてきた。
大人になって、そういうのダサいかもって気付き始めて焦るけど手遅れで、思春期に同調を放棄したツケが意外とデカい。今更流行りの歌にも馴染めない。かといって過去にあるのも、身近な人は誰も知らないようなエモ、スクリーモ、ポストロック、オルタナ、ビジュアル系とかそんなのばっか。
そういう音楽の話をします。
2012年、ロックの未来は突然爆ぜた。
Psysalia Psysalis Psyche(サイサリア サイサリス サイケ、通称サイサリ)というバンドがいた。
私は音楽が好きだが詳しい者ですと名乗る事は出来ない。彼らがどういうバンドだったか、その魅力を文章で表現することは難しい、とても難しい。でも大好きだった。めっちゃカッコよかった。最高だった。
アートディレクター吉田ユニさんがMVを手掛けた大好きな曲。ネット上を結構一生懸命探したのだけれど、ガサガサの画質のこれしか見つけられなかった、あとニコ動にあるかないかくらい。
ストーリーを描くのは赤と影と光のみ。景色が強烈に洗練されていて、そこにないものが見る者に空想を駆り立てる。
椅子、キツイ坂の上の青い家、歌詞に出てくる形のあるものはたったこれだけ。しかも椅子は"王様になった僕"の頭の中にしか存在しないし、青い家なんて、ただ建てたいだけだ。
何もない。しかし何があってもいい。そういう歌だ。
僕だけが僕の唯一を殺してしまう、死なせてしまう、誰にも口を出させるなよ、どう生きるかなんて。決して何人も侵すことが許されない何処までも自由な唯一のユナイテッドステイツ、それが何を意味するのかさえ、聴いた人が各々自由に思いを巡らせればいい。
「懐かしいなぁ。ロックの未来だったはずなのに、、、」
この動画に寄せられたコメントの一つが妙に忘れられない。
私自身、別にロックの未来が死んだとは思っていない。このコメントに強く共感するというよりは、誰かにそう言わしめるような存在であったという事実がただ喜ばしい。
サイサリは何年か前に改名して再始動をしている。しかし言葉を選べばパワーアップしたそれは、もう結構サイサリじゃない。
社会に向けてエネルギーを放出するようなポジパン、ジャパコアという感じが、それも勿論いいんだろうけど、そうじゃなくて、どんなに音は明るくても内に鬱々と秘めた哲学とか美学とかがどうしても匂ってしまう、そういう青いサイサリが私は大好きだった。
それでも昔のような曲をやってほしいとは思わない。決して自分のような懐古厨に迎合してほしくない。あんなに勢いがある中で解散してしまったのも含めてサイサリは完璧だった、終わり方まで音楽だった。
昔のサイサリが大好きだったという人はきっと沢山いると思う。復活したと聞き、新しいバンドの曲を聴いて、なんか違うなと思う人も。でもこれでよかった、それでこそと思っている人も、きっと居るだろう。私のように。
サイサリのボーカルの別バンドCOYOTE MILK STOREも好きだったが、しばらく動きが見られない。
これもサブスク少なめ、情報少なめ、ダウンロード音源はあるけど歌詞が何処にもない。
MATATABIという曲が一番好きで、何年も前からずっと聴き続けているのだが、手軽に薦めることができずしんどい。
ガレージロック、グランジというものを全然解っていないのだが、音的にはその辺なのだろうと思う、多分。
この動画には出てこない部分に、
"ぼくを忘れて どうか忘れて"
という歌詞があり、聴いた瞬間に「人生に於いてそんなこと思ったことないな」と感じた。それからなんだか忘れることができない。時々、どんな感情なのかと考えてみたりする。この曲はネコの一人称視点(だと思ってる)なのだが、自分の中に重なる部分を探る余韻が心地好い。このダウナーなメロディーを聴くと、ネコなんだから放っといてほしいに決まっているとは言えなくなる。
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夏の終わり頃に、ベランダの溝でタマムシが死んでいるのに気が付いた。わざわざ埋めてやるでも、放って捨てるでもなく、なんとなく放置して冬になった。時々見ると、隣でひっくり返っていたセミはとっくに喰われるか風化するかしてしまっているのに、ずっとそこで死んでいる。こんなに綺麗なのに、ずっとそこでひとりで死んでいる。それを見るのは私しかいない。こんなに綺麗なのに。この曲たちもそんな風になってしまわないだろうかと、小春日和にシーツを干していて思った。
私の気にすることじゃないか。
埋めてやろうかな、タマムシ。
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自分は話を書く時に、もしこの文章に映像があって、そこに音楽を流すならとか、この曲のイメージやテンションで書こうだとか、音と文章を合わせるような書き方をするのが好きだ。必ずしも歌詞の直接的なイメージだけでなく、テンポや音の質感を拾ってテンションを合わせるつもりで書くのが本当に愉しい。
共感覚、などというそこまで大層なものでは決してないのだが、イメージとして近いものはあるかもしれない。今書いている話は、物語に対する曲のイメージではなく、このキャラは普段こういう感じの音楽を聴いている人種のテンションやノリで動いて貰おう、みたいな考え方で進めている。それをサイサリにしたかった。
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ねぇ、せっかく吉田ユニがめちゃくちゃかっこいいMV作ったのにこの曲はこのまま忘れられたり埋もれたりしてくんですか、そんなの絶対絶対嫌なんだが…………………!
あとすごい無茶なこと言うけどこの映像みたいな文章を書きたい。書かずして伝えるというか、書かれていないからこそ読み手に想わせるような。
余談ですが私はCreepyNutsが大好きです。