呪いを解くために最強を目指した話(きっかけ編)
こんにちは、トラック泊地で艦これをのんびり楽しんでるyohです。
この記事は私がトラック泊地のサーバー記録更新を目指した理由と達成するまでの経緯の話になります。いつもお世話になっている知り合いは内容を知っていますが、X(旧Twitter)とかのSNSではほぼ話していない内容になります。(かなりドロドロしてる裏話があるので不快に思ってしまう人がいるかもしれません。納得した方のみ閲覧ください。)
聯合初挑戦で6位になった話
いきなり呪いを付与された話をしてもいいのですが、まずは初の聯合挑戦の話からしましょうか。
私は19年着任で今ほど戦果をやっている感じではなくどちらかと言えばイベントを中心にやってる人でした。
こんな感じでイベントは結構しっかりやってましたね。この時は三群をたまに砲全撃ちでやる程度で戦果のイメージは皆無でした。けどこの時には一回でいいから聯合をとってみたいな~って感じの夢は持っていました。
しかしこの竹イベ以降モチベが結構下がっていたのですがそれが元の値まで戻ってきてこの月なら時間が取れるな~って思ったので21年3月に聯合に初挑戦をします。
この月がナーフ後トラック史上一番二番を争う月になろうとは思いもしなかったです。
結果としては完敗でした。
すでに25日くらいからもう負けるなとは思ってましたが、せっかくだし最後まで足掻くかと思って足掻き切りました。
結局この月はY砲FB砲がない時代に10300を稼ぎながら6位で聯合漏れを経験することになりました。(一説にはこの月のせいで今の私が誕生した可能性があるらしいですね)
しかしこの時の聯合のメンバーを振り返ってみるとかなり豪華だったなぁと今では思いますね。
この時に背景はtaroさんでした。この時の記録は15392です。この数字は両儀さんが21年8月に記録を塗り替えるまで7-1ナーフ後のトラックサーバー記録でした。当時はどんな周回したらこんなに稼ぐことができるんだ?と不思議に思っていましたね。
2位はななさんさんです。20年から21年にかけて聯合で活躍された方で聯合10回は24年2月現在でもトラックサーバー9位タイです。
3位はJames Francoさんです。当時私と同じ初挑戦でその後に聯合を8回記録する方です。こちらも24年2月現在でもトラックサーバー11位タイです。
4位はH-Nさんです。トラック泊地のレジェンドの一人ですね。3.6億カンスト聯合21回背景5回は聯合をやったことない人でもやばいと思える記録が並ぶすごい方です。
5位はア(ト)ムさんです。3.6億カンストで聯合26回はトラック泊地の聯合回数topであり、25カ月継続聯合という今後この記録を超えれる人はいないんじゃないかと思わされるような記録の持ち主です。
こうしてみるとレジェンドもいて他の方も全員トラック泊地の強豪となるような方々だったということがわかりますね。
呪いに繋がる出会い
その後はリアルの忙しさもあってまた三群をちょこちょこやる人に戻りました。この時に呪いに繋がる出会いをしていました。A氏ですね。
その後は特にお話しする機会はなく、年が変わって22年になりました。年の初めくらいにお話しする機会があって、ある事を言われました。
「次の聯合挑戦はいつですか?」
私はこの時まだ純粋であったので言葉通りに意味を捉えてしまい、これがきっかけで一回負けてるしもう一回挑戦するかと思うようになります。
(彼は軽く煽ってたらしいですがそれは別のお話)
無事に初の聯合がとれこの時に出会ってるのが私が後に憧れ尊敬するようになる二代目トラックの王B氏です。
(私が勝手にそう思っているだけなので解釈違いあったらすみません)
6月と7月は聯合をとった反動と坊ノ岬イベントをやっていたこともあって三群だけやって過ごしていました。
この時私は自分のdiscordサーバーを持っておりそこのみで活動していたのですが、そのサーバーが崩壊する事件が起こってしまいました。そこで毎日のように深夜まで会話をしていた私は「う~んどっかのdiscordサーバーに入ろうかな~」と思うようになります。
私のサーバーは主にFPSをやる身内のサーバーだったのですが、約二年間ともに遊んでいた仲間を失った私は正直に言ってFPSのモチベーションはもう修復不可能なほどに消え去っていました。(今でもご飯食べに行ったり連絡したりすることはありますが、これ以降ゲームを一緒にやったことはないといった感じです)
それなら少し真面目にやってた艦これが中心のサーバーに入ろうかなと思い加入させていただいたのがA氏のサーバーでした。
そこで私は後に師匠と呼ぶようになるC氏、某鯖で聯合を複数回とり聯合仲間となるD氏とE氏、私に呪いを付与することになるF氏と出会うことになります。
そのdiscordサーバーは聯合を複数回とっている人が複数名在籍しており、私はそこでノウハウを伝授され22年秋から冬にかけて聯合を三回とることができました。
正直この4回の報酬が良すぎて聯合に満足していました。
次が5回目でキリが良いしリアルの方も聯合やるほど余裕はないから二群継続で程よく遊ぼうかなと思いながら3月砲全撃ち前提で走っていました。
あの事件が起きるまではね……
呪いの始まり
22年3月某日私はD氏とイベントについて話していました。内容としては「E2-1周りも沼ってる人いるし結構きついよね」と言われ、私は既に攻略済みであったので「Dさん飛龍熟練誘導弾二機持ってるし艦隊も強いからいけるいける。あそこで結構活躍してくれるから飛ばしてみな!」
特になんの変哲もないただのイベント攻略の会話だったと私は認識してました。
この時私はF氏にこう言われます。
「飛龍熟練誘導弾なんて無くてもクリアできますからね。何言ってんの?」
冗談のトーンではなかったのでボイスチャンネル全体が凍りついたのを今でも覚えています。
私もそんなことは分かってます。けど私とD氏はお互い飛龍熟練誘導弾を二機持っているのでD氏に対してE2-1で使ってみた感想を述べただけで煽るつもりなど微塵もありませんでした。
私はこの人に認められてないなと普段から感じていたので言われた内容に関してはあまり疑問を感じてはいませんでした。
要するに私は
争いが緩いトラック泊地で楽して聯合とってるくせに報酬は一丁前のものを貰ってる奴
と心の底では思われていたわけです。
反対にD氏はF氏にとても気に入られている存在でした。
D氏はこの時点で某サーバーのサーバー記録を保持しており、一目置かれる存在であったのが大きかったのかなと思ってます。まあ後に聯合ボーダーがとてもきつい某サーバーで約一年間聯合継続を達成することになるのでF氏の見る目が正しかったと言えばそうなのですが……
「私は言い返せない自分が悔しかった」
当時私は聯合4回で確かにあの頃のトラック泊地はレジェンドたちがお墓に入ったり延命措置をするようになりかなり緩いサーバーなっていた時期でした。しかし聯合4回は自分の頑張りの結果であり、振りかざすものではないですがある程度は誇っていいものだと思っていました。けど戦果の中でも聯合は数字で語り合う結果が全ての厳しい世界。私の今までの実績はあまりにも弱かったのです。私が自分のことを語っても「お前さ、俺より弱いじゃん」と言い返されるだけでした。そこで私は次のことを決意します。
「認めてもらうんじゃない。あいつには到底超えられない記録を作り、嫌でも俺の方が強いと認めざる負えない状況を作る」
戦果の借りは戦果で返す。お前が弱いと言い切った奴が自分より上の高みに行くのを見とけ。そう思ったわけですね。
私の記録への執着が始まったわけですね。当時は決意はしたもののできる自信がほぼ無かったので誰にも言ってなかったです。
これが記録を目指す最初のきっかけになります。他にも背負っていたものはあるのですが、それはまた次の記事で触れたいかなと思います。(こんな経緯だったとはこの記事を読む前だと絶対に思わなかったんじゃないかな~と思います)
少し忙しい日々が続いてますが頑張ってまとめるのでちょっと待っててください。
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